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473.「決める」は現在進行形の言葉

半年前に、このときにはこうなっていよう、と決めたことがある。

なかなか三ヶ月程度では目に見えるような変化は生まれないから、半年間と設定したことを覚えている。

今の状況を大きく変えたいタイミングだった。
このときしかない、と思っていた。

今までも決めてきたことは何度もあった。

高校球児の頃は、来年の大会は4割バッターになろうと決めて素振りをしていたし、大学野球の裏方時代は選手を辞めて学生コーチになったことを後悔しないように過ごそうと、引退するときに本当に選んでよかったと過去の自分を褒め称えるような終え方をしようと決めて頑張ってきた。

社会人一年目の頃も、二年目までに取れる新人賞を狙えと上司に言われて仕事に取組み、二年目に獲得した。

決めて達成してきたことは、思えば全くなかったわけではない。
ただ、それを続けているのであれば今現在はもっと豊かな人生であるはずなのにと思う気持ちも、あるのはあった。

そんなときに、3月に決めたこと。
今振り返ると、最大限とはいかないが割と変化した自負がある。

何度も何度も、決めていることを思い出して日々を過ごした。
決めたことに相応しい行動をしようと、必死に動いてきたこともある。

感覚的には、その度に「決め続けてきた」という方が正しい。

「決める」というのは刹那的な言葉ではない。

現在進行形、「決め続けている」という表現が最も近い。

そもそも「決める」とは何なのか

一度決めたらその項目が頭の上に浮かんで可視化されるわけでもない。
決めたことは目には見えない。
黙っていて他人に伝わるものでもない。

決めるとは何だろう。

何をもって決めるというのだろう。

そんなことをぐるぐる考えていたときもあった。
考えたところで答えが出ないこともなんとなくわかっていた。

こういう状態になる、この目標を達成する、この仕事をこんな風にやりきる。そう決める。

決めるとは、その時点ですでに決めたことを達成している状態であると自分をセットアップすることだと考えている。

未来を今に持ってくる。
今、未来の自分であると思い込む。
その自分だったらどうするのか、何を考え、何を行うのか。

決めた時点で、未来は文字通り「決まっている」のである。

「決める」は行動である

思い込んでいるだけでそうはならないので、結局考え方を変え、行動を変え、具体的な変化を伴わないと決めた自分にはたどり着かない。

結局は行動することでしか変われないのだが、これもまた、行動を変えようと思っていても一週間、一ヶ月で元に戻ることが往々にしてある。

モチベーションという話ではない。
それはきっと、決めていない。
その未来の自分を今生きていないからだ。

逆に、本当にそうだとするのなら三ヶ月後にほんの僅かな変化を感じ取るようになってくる。

一ヶ月間何一つ変わらなくても変えた行動を継続していて、少しずつ新しい感覚が養われていく。

苦しいのは、気持ち的には決めた自分を生きているので何か違う結果や良い状態であると感じているのだが、この時点ではまだ目に見えた何かに現れてこないので、現実と感覚のギャップが生じる。

いい感覚だと感じていても、これから結果になると手応えを掴み始めても、まだ外には結果として出ることはない。

その期間を超えてこそ、半年後に蓋を開けてみれば変化していた、結果が出ていた、という状態になるのだ。

稀に、一瞬で変化して一瞬で結果を出す人もいる。

そんな人は外れ値だと思って気にしなくていい。

いい意味で、自分は普通で、凡人で、だから努力と変化が必要なのだ。

その立ち位置にいれば、きっと自ずと結果がついてくる。

「決める」は現在進行形の言葉である。
決め続けた先に、望んだ未来が訪れる。

さて、僕は次の状態を決め、また半年間走り出す。

あなたはどうだろう?

今が、過去に決めた自分なのだ。
つまり、未来は、今決めた自分が形成する。

何を決めているだろう。

どうなろうとしているのだろう。

答えはない。

自分で「決める」ものである。

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