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4. 中村文則「逃亡者」

 物語は主人公がドイツのアパートで「B」に追い詰められる所から始まる。ケルンの街にあるそのアパートで、主人公はある地域では「神の楽器」とも呼ばれる、日本軍の所有していたあるトランペットの話を聞かされ、さらに1週間後に生きている確率は4%だと謎の人物「B」に言われる。

 この本は、そのトランペットを中心として、それを手に入れた主人公であるフリージャーナリストの「山峰」の逃亡劇と、その周りに起きた出来事が描かれる作品である。

 この物語で注目したいのは山峰やその周りで起きた出来事ひとつひとつのリアリティである。勿論、「神の楽器」であるトランペットや「B」の存在、逃亡劇からは、フィクショナルな感じを与えられるのであるが、その周辺に起きる出来事には、過去〜現在の日本と重なる所があるのだ。

 フリージャーナリストである山峰には、いわゆる「ネトウヨ」からの誹謗中傷が浴びせられるようになる。そして、ある日長文の手紙が来る。それは「Q派の会」と呼ばれる宗教団体に属する人からのものであった。そこには「リーダー」と呼ばれる宗教団体の長への信仰心、忠誠心と思われるものが記述され、最後には所謂ネトウヨの思想が書かれるリンクが掲載されていた。

その手紙に対する地の文で印象に残った文が、


「しかし、彼の人生を否定することが、できるだろうか。僕にはできなかった。人生の悲痛な出来事を身体に受け、そこで宗教にすがることが間違っているだろうか。人間はそんなに強くない。」

であった。これはたまに私が少しだけ宗教団体の会員に接するときに感じることが言語化されているために、心に残ったのだろう。その人物が生きるために縋れる最後の砦が新興宗教であり、それが新たな社会問題を生み出していると考えると、どうしようもない社会の現状に対するやるせなさが生まれるものである。

 「Q派の会」は、後半にも名前を変えて登場する。主人公はそのリーダーに会うことになる。リーダーは、会ってみると気さくなボケ始めの老人なのである。ここにもリアリティがある。例えば、過去に事件を起こしたオウム真理教の教祖は、初めは面白いおじさんとしてテレビ出演して人気を得ていたし、ナチスドイツの件なども同様である。ここから、一見親しみやすい人物に、気づけば信頼を寄せて、いつの間にか信仰にはまっていくというケースは多いのではないかと考える。

 また、中盤で、「公正世界仮説」という用語が引き合いに出される。

「人々は基本的に、この世界は公正で、安全であって欲しいと願う。理不尽に、危険が存在する社会ではない方がいい。正義は勝ち、努力は報われ、悪をすればすっきり罰せられる社会の方がいい。広く広がる物語は、ほぼこの公正世界仮説に沿うよう作られている。」 

ある出来事が、「公正世界仮説」に沿うように筋を大幅に曲げられて世界に伝わる。元の筋では、弱者が理不尽に遭いすぎ、人々には耐えられないというのだ。これの危険性として、社会としての問題が個人としての問題にすり替えられてしまうことが挙げられる。

例えば、「努力は必ず報われる」という言葉の裏には、「報われないのは努力しないからだ」という意味が潜んでいる。「この世に理不尽は存在しない」ということになるのである。それでは現実は進まない。理不尽があって当然の社会だということを念頭に置かなければ、弱者はいつまでも踏み躙られ、問題の解決は一向に進まないだろう。


作者あとがきでは、この本は「公正世界仮説」に沿って作られてはいないという。つまり、この作品はこの世の問題も理不尽も、ありのままに写した物語であるということである。

 確かに、この作品には宗教問題以外にも、多くの問題について言及されている。

ポールダンスをする女性たちの話。女性の人権の問題ではなく、貧困や、性への態度の問題なのではないか。虐げられているからと一方的にその職業をなくせば、女性たちは失業する。

Twitterの140字という短い文章では議論などできるはずがなく、分断を産んでいるのではないか。

技能実習生の制度。技能が学べず、日本の労働力として単縦作業をさせられているところもあるという。

また、主人公の彼女「アイン」は外国人留学生であったが、アルバイトだけでは生活費と学費を賄えず、借金に追われ、違法となるキャバクラで働くようになった。良心的なところもあるが、悪徳な日本語学校も多い。
アインは結果的に、外国人流入への反対デモに反対しようと歩いているときに、たまたま苛々していた男に押し返されて頭を打ち、死んでしまう。

このアインの物語もまた、公正世界仮説には反している。純粋に日本語を学びたい外国人が努力しても、制度の問題と偶然の出来事により簡単に打ち砕かれてしまう。そんな現象がまだ日本には多く存在している。そういったことを中村はこの本の中のメッセージとして伝えたかったのではないかと思う。

 物語の後半では、トランペットが活躍していた戦時中のことについて、トランペット奏者であった「鈴木」の手記によって描かれ、戦争中の兵士の生々しさが感じられる。山峰は、アインの書きたかった小説を完成させるが、行方を眩ます。

 後半は少し弛んだ印象を受けるが、「逃亡者」全体を通した「B」や、最後の終わり方などのよく分からなさは独特の雰囲気を感じられて良いのかもしれない。前半によく出てきた作者の問題意識は後半では薄れた印象がある。全体として、よく調べられて書かれた文章であるといえ、一つ一つの問題については生々しいが、それがフィクションを交えて描かれることによって緩和させられ、読みやすく、人々に受け入れやすいものになっているのではないかと思う。

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