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自己紹介
はじめまして。橋下ハルカです。
初回につき、自己紹介をします。
自己紹介といっても、好きなものや趣味の話ではなく、自分の人生について振り返ってみました。長いですが最後までご覧いただければ嬉しいです。
※2024年1月追記
好きなものや苦手なもの、考え方や価値観などについて触れた記事はこちらです。こちらの記事はそんなに長くないので、よろしければ併せてご覧ください。
小学校~高校
私は神奈川県で生まれ育ちました。
小学生の頃は足が速く、サッカーが得意で、勉強もできた方なので、どちらかというとクラスの中心的な存在だったのではないかと思います。
少年サッカーのチームに所属していてチームメイトの約半分と同じ小学校に通っていたので、学校では友達作りに苦労した記憶も特にありませんでした。
ただ、小学5年生の時に通い始めた学習塾では同じ学校の知り合いが一人もおらず、友達作りに苦労したことを今でもよく覚えています。すでに同じ学校に通うグループでコミュニティができており、知り合いがいない私が入る隙がなく、塾に通う日は毎日が憂鬱でした。
中学は地元の中学校に進学しました。
通っていた小学校のほとんどの同級生が同じ中学に進学したため、ここでも友達作りに苦労しませんでした。中学から知り合うことになる人とも、自分から話しかけに行かなくとも、相手から話しかけてくれる、そんな感じでした。
部活はサッカー部に所属し、初めて上下関係のある団体に属することになりました。中学時代は部活に加えて1年生の時から塾に通っていたため、毎日がハードスケジュールだったと思います。
小学生の時に通っていた塾は中学に進学してすぐに辞め、同じ中学から通う人が多い塾に入ることになりました。部活と勉強の両立は大変だったけど、毎日が割と楽しかったことを覚えています。
高校は地元から一つ離れた高校に進学しました。
同じ中学から通う生徒は女子が4人、男子は私だけでした。
当然、友達作りに苦戦しましたが、仮入部期間にサッカー部で練習し、入部したことで徐々にクラスメイトと打ち解けることができました。
高校では中学以上に部活の練習が忙しく、週1日の定休日以外は練習と対外試合が毎日あり、帰宅するなりご飯も食べず、風呂にも入らずソファーで寝て親に起こされるという日々でした。高校2年時の夏休みは、他の生徒が1か月間のところ、サッカー部はオフが4日しかなく、配布されたスケジュール表を見て絶句したことを今でも覚えています。
高校生活はサッカー部が中心でした。部活はもちろん、授業や通学もほとんどサッカー部員と共にし、大学受験に向けた塾もサッカー部員が多く通う塾に通っていました。
サッカー部は人数が多いため、苦手な人もいる中で気の合う部員と行動を共にし、中学時代に比べて人見知りするようになりましたが、クラスの打ち上げなどには毎回参加し、人付き合いが苦手だという認識もありませんでした。
大学
大学はMARCHの一角の大学に現役で入学しました。
大学1年時にはキャンパスライフに対する憧れが強く、ウェイ系のサークルの新歓に参加したり、学生団体の活動を体験したり、人見知りするくせに居場所を求めて色々と行動していました。6月にはTwitterで見つけた謎の国際交流パーティに参加したこともありました。
また、5月にはラーメン屋でアルバイトを始めました。大学生も多く、仕事も覚え、すべてが順調に進んでいるように感じていました。
ところが、夏休み明けくらいから徐々に気分が落ち込み始めました。
精神的な負担が原因だったと思います。
人見知りで、決して社交的ではないということを認識しつつも居場所を求めて行動し、社交的な人間を演じようとした結果、ひどく疲れきってしまいました。
また、当時家族ともあまり関係が良好ではなく、家でも外でも精神的に落ち着く環境がありませんでした。家ではほとんどの時間を一人で過ごし、夕食も食卓ではなく自室に持ち込んで食べていました。
大学でもサークルに通わなくなりました。授業は友達、というより知り合いと一緒に受けていましたが、もはやそれだけの関係です。アルバイトは辞めずに頑張っていましたが、気の合わない店主にパワハラを受けるなどし、徐々に精神的に追い込まれてしまいました。
大学1年の春休みに一人暮らしを決意し、物件探しから入居までほぼ一人で行いました。当時未成年だったため、契約は親に同伴してもらいましたが、アルバイトで稼いだ収入の半分ほどを新生活の費用に充てました。
大学2年時の始めから一人暮らしの生活が始まりました。
大学の近くに引っ越したため、電車ではなく自転車で通うことになりました。家に帰ると誰もいない、そんな一人暮らし生活に不安はなく、むしろ誰の目も気にしない自由で快適な生活だと感じていました。
大学では、新たな出会いも多くありましたが、この辺りから人付き合いを避けるようになりました。
授業も一人で受け、昼休みには近所のコンビニのイートインで食事、サークルにも通っていないため、家をでてから帰宅するまで誰ともしゃべらない、なんてことは普通にありました。
授業を一人で受けることに対して、周りは友達と受けている人が大半のため、多少の恥ずかしさはありました。でも、無理して人と関わることで生じる精神的な負担を感じなくてよいため、劣等感のようなものあまり感じませんでした。
ちなみに、私はゼミには入りませんでした。
特に興味のある分野がなかったこと、人付き合いを避けており団体に所属するのが嫌だったこと、卒業に影響がないことが主な理由です。
就職活動
まず初めに、私は既卒で就職活動をしていました。
通常、大学3年時から就職活動を開始⇒4年時に内定⇒3月に卒業⇒4月から就職というケースだと思いますが、私は下記の理由から就職活動から逃げてしまいました。
・やりたい仕事が見つからなかった
・極度に自己肯定感が低かった
大学3年時に就活に関するガイダンスがあり、漠然と将来について考えたり、自己PR書を書いて支援員の方に添削を依頼したりしていました。
そして、書き上げた自己PR書を見て、「誰がこんなやつ雇うんだ」と絶望してしまいました。
今思えば、学歴や資格などはそれなりに評価してもらえるだけの要素があったはずですが、当時の私は周りの優秀な大学生と自分を比較したり、バイトもコンビニなどが長かったため、自信を無くしてしまったのです。
エントリーが解禁される3月になっても志望業界すらまともに決まっていない私は現実から逃げるように一日一日を過ごしていました。
明日やろう、来週からやろう、そんな感じで面接どころか説明会の一つも参加することなく6月を迎えてしまい、心配した親にも現状を打ち明け、新卒枠で入れる企業を探しつつ、気持ちは既卒就活に傾いていました。
結局、3月に大学を卒業したものの、既卒で就活することになりました。
周りに相談できる人もいない状況でネットの情報だけが頼りでしたが、無事に3社から内定をいただき、そのうちの1社に翌年から入社することになりました。
社会人~現在
2020年4月から事務職員としてとある企業に入社しました。
コロナ禍の入社ということもあり、入社直後に自宅待機という波乱の幕開けとなりました。基本的にはEラーニングなどで自宅で課題をこなしつつ、月に5~10回ほど出社するという状況が5月まで続きました。
そして、6月からは自宅待機ではなくテレワークが始まりました。
テレワークは初めのうちは週3日、徐々にコロナが収まっていくと、週2日で行いました。後述しますが、当時のテレワークの経験はとても大きいものとなりました。
2021年8月、所属部署の課長との評価面談がありました。
そこで、仕事には一定の評価が与えられましたが、「人付き合いをよくしてほしい」という趣旨の指摘を受けました。
正直、かなり驚きました。というのも、当時の私は人付き合いが苦手にもかかわらず、先輩や上司からの食事の誘いは必ず受け、仕事でも、苦手なりにもコミュニケーションをとって、頑張っていた自覚があったからです。
「今までこんなに頑張ってきたのに、それでも人付き合いについて指摘されてしまうのか」
そこでモチベーションがガタ落ちして仕事も身が入らず、精神的に疲弊してしまい、初めて行ったメンタルクリニックで「適応障害」の診断を受けました。
思い当たる要素はありました。
2年目に入り、1年目に比べて仕事量が3倍ほどに増え、その分上司や同僚とのコミュニケーションが増えたことで多くのストレスを抱えていたのです。
仕事のことを考えると全く寝れず、不眠のまま出社することもありました。
そんな状況でも上司には相談できず、必死に仕事を頑張ってきた中で先述の人付き合いに関する指摘を受け、どうすればいいのかわからなくなってしまいました。
↓2024年8月更新。
結局、休職などはせずに退職することを決め、退職後は自分の将来について考える期間を多めに取りました。
そして、一つの結論にたどり着きました。
「何をしたいというわけではなく、精神的に安心できる環境で働きたい」
ざっくり3つの道を考えました。
・組織に所属して人と関わらない職種で働く
・組織に所属して在宅勤務を中心に働く
・組織に所属せずフリーランスとして働く
そして、週2日のテレワーク経験から、出社時とテレワーク時の精神的な負担の差について思い出しました。
出社して定時で帰宅するより、在宅勤務で残業する方が精神的に楽だったことを思い出し、仕事内容よりも環境を優先して将来を決めようと決意しました。
悩んだ結果、将来性があり、在宅勤務が多く、未経験でもチャンスがあり、何より、スキルと経験を積むことでフリーランスとして活動が見込める「IT業界」に飛び込もうと決めました。
当時、ExcelのVBAに興味があったことも影響しています。
2022年の2月から就職活動を始め、4月からSIerで勤務し始めました。
ところが、さっそく試練が訪れます。
未経験で採用となった私は正社員として入社しましたが、別の現場のプロジェクトにBP社員として派遣されることになります。
病院で勤務するのですが、常に緊張感とスピード感が求められるうえに、元看護師である女性上司が生み出す地獄のような職場の雰囲気に心が限界を迎え、わずか1か月半でプロジェクトを降りてしまいました。
在宅勤務に希望を見出しIT業界に飛び込んだ私の思いとは裏腹に、毎日出社して地獄のような職場の雰囲気や苦手なプレゼンも担当するプレッシャーに耐える日々。現場の経験も将来のために必要だと我慢したけど耐え切れませんでした。
プロジェクト終了後に営業担当と面談し、メンタルクリニックの受診を提案され、「社交不安障害」と診断されました。
診断を受けて、「ああ、もう人生終わったな」と思いました。
営業担当に報告し、その後は提案される案件に対する面接や社内業務を在宅で行っていました。
そして、営業担当に提案いただいた在宅勤務の案件の面接を通過し、現在もその企業で約1年間働いています。
在宅勤務なので、精神的にはかなり安定して働けています。
電話を取らなくていい、周囲の音声に邪魔されない、連絡もチャットでOKと、HSPも抱える私にとってこのような環境で1年間働くことができるということはありがたいことだと思います。
しかし、プロジェクト先では派遣という扱いのため、不要と判断されたら契約が終了となるし、所属する企業の待遇面についても、お世辞にもいいとは言えません。
そのため、今後はこの精神的に安定して働くことが出来る期間をうまく利用してスキル習得などに充て、将来に活かしていけたらいいのではないかと思います。
↓2024年3月更新。その後の転職活動。
以上、私の自己紹介でした。
ご覧いただき誠にありがとうございました。