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【怪作?駄作?】JOKER folie à deux感想・考察

待ちに待ったJOKERの続編が公開されたので劇場に足を運んでDolby cinemaで堪能してきた。
日本で公開される前からアメリカで批評家に散々言われたり、レビューが酷いことになったりともしかしてクソ映画なんじゃないかと思ってたけれど杞憂だった。結論から言うと・・・

カットが美しい神映画。
今すぐ劇場に行って観るべき。

です!!!


ネタバレしないように感想を書いていきます↓↓↓↓

(アーサーの)人生は悲劇か?喜劇か?
というのが前作からの一貫したテーマだと僕は思っている。前作をどう取るかは人によって異なるだろうが、今作まで含めると、僕はこの映画、アーサーの人生をこう解釈できると考える。
アーサーの人生は悲劇だ。だが、その悲劇を喜劇として纏めたのがこの映画である。

あの衝撃のラストから暗転して、That’s life〜と呑気な音楽が流れ出すのは当にコメディとしか言いようがない。観てる側としては衝撃でそれどころじゃなかったけど。でも、フリもオチも効いててこの映画は構造的には全体的にコメディだと言えると思う。だからこそ悲劇を喜劇としてコミカルに纏めた、そんな映画だと僕は解釈した。

兎に角、ワンシーンワンシーンのカットが美しい。予告編にもなってたカラフルな傘の中をアーサーが護送されるシーン、ガラス越しに塗ったリップに合わせてニッてするシーン等々、心に残るシーンが多い。僕のお気に入りは独房で月明かりに照らされながら煙草を吸うシーン。

『ダークナイト』を手掛けたクリストファー・ノーラン監督の大ファンである僕的には、若いハービーデントとか、ヒースレジャーが演じるような凶悪なジョーカーに繋がるようなシーンもあったりと大満足だった。前作のチンピラにボコられてたこのひ弱な男があの冷酷無比で極悪なジョーカーになるんか??っていう疑問が解決したのは凄いデカいと思う。

前作が余りにも完璧すぎるというか、完成度が高すぎたので続編は蛇足になるんじゃないかという心配があったけど、全然そんなことはなかった。寧ろ、今作によって前作が完成されるという形を取っていたところにこの映画の妙があると思う。

前作のヒロイン?だった隣人ソフィーなんかも出てきて、ソフィーがアーサーの奇行をどう思ってたかが明かされたり、小人症のゲイリーも出てきたりする。これによって前作との断絶感が無くなってる。

ミュージカルという前情報があったので結構不安だったが(前作の雰囲気的にどうしてもミュージカル向きじゃない)、今作はアーサーの妄想が全部ミュージカルとして表現されていたので、寧ろそれが良かった。ずっと刑務所の中で話が進んでいくので、絵面的に変わらないというのもあってミュージカルにしたのだろうが、ミュージカルだからこそ素晴らしい完成度を保ちながらも前作との隔たりなく今作を楽しめる、という構図になっているように感じた。

folie à deuxの意味がわからなかったのでググったところ、フランス語で「二人の狂気」という意味らしい。なるほどと思える反面、二人というところが僕にはしっくりこない。レディ・ガガ演じるリーは確かに狂っていたと思う。でも今作のアーサーはどうだろう。

確かに前作のアーサーは狂っていた。というか狂っていった。でも今作のアーサーは狂っていたかというとそうでもない気がする。寧ろ前作に輪をかけて愛に飢えていた男の姿がそこにはあったと思う。それは狂気と言えるのだろうか、ごく普通の人間の姿ではないだろうか。寧ろ僕にはリー含めたアーサーを取り巻く人々(看守・弁護士・街に溢れるジョーカーの信奉者etc)の方が狂気に憑かれているように見えた。ゴッサムシティに溢れる狂気だ。

何となく前回の話がアーサーが狂気に憑かれていく話なら、今回の話はアーサーが狂気から覚めていく話、という構図が見て取れる。その過程でジョーカーは生み出されたのだ。だからもしかしたらタイトルのdeuxはアーサーとジョーカーの二つの人格を指してるのかも、なんて思ったりもする。勘ぐりすぎかもだけど。観た人の意見が聞きたいところ。

良い映画はアクションを楽しむ映画、難解な表現を楽しむ映画、ヒューマンドラマを楽しむ映画、何となくシーンが良い映画の4種類に分類できると思うが、この映画は4つ目に当たる。画が印象に残って離れないシーンが多々ある。忘れられない映画になると思うので、是非観に行って欲しい(前作を前日に観てから行った方がいいかも)。


以下ネタバレを含む感想&ちょい考察です。ご注意ください。






この映画はアーサーの人生という悲劇を喜劇として纏めた、とざっくり書いたが、深掘りしていきたい。僕はアーサーの人生は悲劇だと考える。これは間違いないだろう。社会から見捨てられ(前作では地味に救いの手を差し伸べる描写もあるが本人は気づいてない)、凶行に走り、捕まる。一躍スターになるも、誰もアーサーに興味はなく、ジョーカーを求めているだけ。理解しあえたと思った女性(リー、ハーレイ・クイン)も結局ジョーカーの信奉者の一人でしかなく、本当の自分を吐露した後に離れていってしまう。最後にはジョーカーの狂信者に刑務所で殺されてしまう。

これは間違いなく悲劇なのだけれど、この映画の構造的にはコメディとして纏めていると感じた。元々トッド・フィリップス監督はコメディの監督らしいし。冒頭のカートゥーン調のアニメが端的にこの映画を表していたと思う。あれが全てだ。悪役が失恋して倒されて、呑気な音楽が流れる。まるでトムとジェリーみたいな構造だ。

前作でジョーカーという作品を異様に信奉するような社会現象が起きた。日本でも模倣犯が出たりと、凄まじかった。もしかしたら自分もジョーカーなんじゃないかと思った人もそれなりにいると思う。僕も当時はそう思った。それを嘲笑うかのように、監督が悪趣味な笑いを仕掛けてきたのがこの映画だと感じた。

考察①
ラストシーンでアーサーを殺した男は何者か?
僕はこの男が所謂我々の知る極悪非道のジョーカーになるのだと思う。根拠は三つ。
まず、アーサーを殺した後に画面の奥でナイフで唇を裂くような姿が見て取れること。これは所謂ジョーカーの特徴である、裂けた口に繋がる。見逃した人はよく見て欲しい。
その2。直前に「僕は息子が欲しい。僕の作った天国を引き継ぐような」という内容を歌で歌っていたこと。リーの妊娠したという話は僕は嘘だったと思っているので、この息子=ジョーカーの名を引き継ぐ者がこの若者に当たるんじゃないかと思う。ジョーカーの信奉者で溢れたゴッサムシティがジョーカーにとっては悪事を為す天国というのも合致する。
3つ目は少し弱いんだけれども、この男がまだ若いという点。バットマンになるブルース・ウェインはまだ子供だ。ハービー・デントもまだ検事補だ。ここからそれぞれが成長していったとしたら年齢的にも辻褄が合う。ここからあのダークナイトみたいな世界に繋がるのかと思うとワクワクが止まらない。

考察②
ラストシーンでアーサーに面会に来てた人物は誰か?
僕は小人症のゲイリーだと思う。リーが会いに来た、という線はまずないので(物語的に美しくないから)この時点でアーサーの面会に来るような人物はゲイリーしか考えられない。法廷でのゲイリーとのやり取りを通じてアーサーはかなり心にきている描写があるし、実際あの一連のやり取りがアーサーがジョーカーの仮面を脱ぐきっかけになったと考えるのが自然だ。そして、そのきっかけとなったゲイリーが来ることでアーサーは失望したジョーカー信者に殺された、という構図の方が収まりがいい。
また、前作と比較しても前作はゲイリーが訪ねてきてアーサーがランドルを殺した、今作はゲイリーが訪ねてきてアーサーが殺される、という構図になるのでこれも収まりがいい。まさに、「報いを受けろ、×××××」というわけだ。

考察③
自動車爆弾を仕掛けたのは誰か?
自動車爆弾で裁判所が吹き飛ぶシーン。あのシーンの衝撃は忘れられない。誰が仕掛けたのかというのが問題だが、これは考察というよりほぼ妄想になる。物語的には大して重要じゃないからだ。僕はあの爆弾を仕掛けたのはリー、ハーレイ・クインであって欲しいと思う。刑務所を燃やしたりこのハーレイ・クインはジョーカーと違って戦闘力が高い。だから自動車爆弾ぐらいはやりそうだなと思う。度々自由になる発言もしてるし。でも、ジョーカーであることを捨ててアーサーとして自分の元にきたアーサーに失望してあの態度をとったんじゃないかと思う。はじめから線がないなら待ってる必要ないもんね。アーサーがジョーカーとしてやってくるという希望を持ってリーはあの場所に居たんじゃなかろうかという妄想?考察?をしてしまった。


ここまでダラダラと駄文に付き合って頂きありがとうございます。この映画の感想を語り合いたいのでコメントしてくださると嬉しいです!!



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