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武蔵御宿捕物帖-1

あらすじ

 辰之助は八王子千人同心だ。日光東照宮の火の番を勤めあげて帰る途中の<扇町屋>で捕物に出くわす。与太者を引っ括った男の笑顔に引っかかって、所澤まで行ってみた。出会ったのは、男とは似ても似つかない小柄な少女だった。

扇町屋を走るやつ

 辰之助は八王子千人同心だ。1年ぶりの火の番で、50日を勤めあげ、一昨々日、日光東照宮を出発。今朝早朝に行田の宿地場を出て、やっと扇町屋の宿地場に入ったところだった。同じ長屋の鉄之進も同じ組だ。

 扇町屋は大きな町だ。三八の市で商っているのは米。
 町の北側に河岸があり、舟で乗りつけてくる。たいていは千俵、多い奴は二千俵を北の穀倉地帯から集めて舟運で扇町屋へ、扇町屋からは牛馬・大八車で江戸へ流す。
 米の江戸への運搬、本流は荒川経由で浅草のお米蔵に直接運ばれる。御年貢などはこのルートだ。だが、荒川は荒れてなんぼの暴れ川、沈舟も多い。それで、小舟は入間川から川越、また、ここ扇町屋と流れてくるのだ。
 河岸沿いの倉庫群が町の繁栄を物語る。
 日光からの帰りに扇町屋への橋をわたると、戻った感が半端ない。あと一駅で八王子だ。

「辰つぁん、さっさと風呂やって寝ちまおうぜ」
声をかけてきたのは鉄之進。テツ、と呼ばれている。
「おうよ、テツ、明日は八王子にけえれるぜぇ」
 火の番といっても、ちょっとしたお役とはわけが違う、八王子から東照宮のある日光までは3泊4日、ひたすら歩き続けるしかない。着いたら着いたで、半年間の火の番務め。千人頭1名と同心50名で、東照宮の火の用心はもとより、日光の町の警備、災害時の応援と、誠心誠意が求められる、規律重視の団体行動。行き帰りは日光往復韋駄天旅と、体力がなくては勤まらない。実際、22歳の辰之助は18から病身の親父の代わりに参加していた。

 今は帰りの旅である。

 八王子千人同心について、少し説明してみると。
 千人同心は、10人の「小頭」(旗本クラス)のもとに、各100名、つごう千人の戦闘部隊、すなわち、甲斐から攻めて来る秀吉軍を迎え撃つためだったと語られてはいる。平和なご時世には何とも居づらい仕儀ではあるが、徳川家康の江戸討入以来、江戸の西を守る部署についているんだ、と自負しているところだ。
 武士とはいっても日頃は農業に従事、町外れの原野を自分たちで開墾して、今は雑穀や大豆を育ててタツキにしている。千人同心の給米だけでは暮らせない。

 宿に明かりが点いた。上がり框は広々とピカピカとしていた。糠で磨いているに違いない。玄関わきの壁に同心たちの道中傘がつぎつぎと掛けられていく。その位置もだいたい決まっているのが千人同心らしい。奥の階段を上ると、寝所になっていて、段取り通りにみな滞りなく動いている・・・辰之助は肌で感じてはいたが、動けなかった。
 ゆんべは寝そこなってちょっといつもより疲れているようだ。頭がぼっとして、足元が重い。
 はぁ
 ため息も気合の一つ。

 ぼんやりした頭で、ぼんやりと考える。
 まだ八王子についてもいないのに、脚絆が汚れて擦り切れている。ちぇっ。布は貴重だからどうにか持たせるしかない。二重に畳んで・・・傷んだところは挟んでいくか、とまたぼんやり。草鞋はもう、使い物にならないだろう。脱いで風呂敷にしまった。これも堆肥にしないとならん。捨てるわけにはいかないのだ。代わりの草鞋を袋から出す。道中傘にからげて、吊っておくのだ。
 愚図々々していたから、みんなの姿はすでにない、鉄之進だけは隣で呆けて待っていてくれた。

 陣屋の外で悲鳴を聞いたような気がした、気がしたとしか言えないほどの、微かなもので
「おい、テツ、悲鳴が聞こえなかったかい」
「何言ってんだよ、通りの女の声の多いこと、聞き違いじゃないのかい」
「なにもなきゃぁそれでいいのさ」
「おい、外へ行く気か?組頭に知られたら一大事だぜ」
「だ~からお前がいるんじゃないか」
と、手早く草鞋を締め直し、脇差をひっつかむと外へ出た。
 といっても、そこは軍機違反だもの、出口から首をかしげて左右を見、誰もいないとみるや、風のように走り出した。

 さて、半刻前のこと、汚い恰好の二人連れが、神社の鳥居の脇にそっと身を隠した。どちらもガタイの大きなヤツで腰に獲物を持っている気配だ。町場にはかどわかしの噂がたっていた。

 夕暮が迫るなか、町娘が帰りを急いで神社を突っ切ろうと走り込んできた。そこへ、侍装束の、いかにも与太者風といったやつが3人、ちょこまかと町人風のが1人の、あわせて4人連れが茶店の蔭から姿をあらわし
「おいねえさん、こっちへ来な」
と腕をつかんだ
「きゃぁ」
 驚いた娘の声はちいさい、そのまま暗がりに引っ張り込まれようとする刹那、先ほどの二人組が鳥居の影から現れて、ものも言わずに縄を出した。ひっくくろうというのである。背の大きいほうは娘を取り返して、背に回し庇う姿勢をとった。それを見たもう片方が、反対側の町人風の男に向って行くや、足を払った。多分これが頭だと目をつけたのだろう。相手は手もなく尻もちを搗き、縄を打たれて転がった。どうやら頭と思ったのは勘違いらしい、弱すぎる。
 そこへ、先ほどの悲鳴を聞きつけた辰之助が現れた。加勢をしようと声をかける
「オイ、どうした」
 町人に縄を課っているヤツが、十手を示し
「岡っ引きでさ、かどわかしをひっくくりやす、わっちは馬五郎で」
と低い声で言うのへ、
「千人同心じゃ」
と答えて、脇差をかまえた。 
 残りは二人。相手は二本差しの与太者だ、すぐに向かってくるところを、辰之助は峰打ちに倒した。
 片や、馬五郎は最後の一人に向って、十手を逆手に持ち首筋に当てどうと倒すや、要領よく縄を打つ。
 背の高いほうは娘を庇いながらも、大立ち回りをやってのけ、とうとう後ろ手にきっちり縄をかけ終えた。そいつが首謀者だったらしい。背の高いほうが馬五郎に声をかけた
「なんだい、いい腕だな」
「ふん、こんなの」
 岡っ引きがにたりと笑った、その横顔が辰之助には女の顔に見えた。

 背の高いほうの岡っ引きが辰之助の正面にまわるや、低い姿勢で
「お侍様、ありがとうござりやした」
と挨拶を通してくる。さりげなく手ぬぐいを渡して来たのは顔にかかったしずくを拭けということか。うっかりしていた。ありがたく受け取るが、辰之助は面倒はごめんだ。
「千人同心には埒外だから、ここはよろしく頼む、俺はいなかった」
 さらりと言うとさっさと走って宿へ戻った。千人同心といえども、許可なく逮捕はできない。それより事件になってしまったら、火の番(道中も火の番のうちなのだ)をおろそかにしたということでお叱り必定である。

 馬五郎ともう1人とは、辰之助を見送ると、4人組を振り返った。とりあえず立たせて、近くの番屋へ引っ張っていく。4人は番屋まで自力で歩いた。といっても、馬五郎にやられた町人風の男は骨折していたらしく番屋に着くやうーーんと唸ってひっくり返った。

 番屋に4人をひきわたすと、当番の同心が人相書きを見せてくれ、少し待ってくれと伝えてきた。
 4人組は迷惑行為の張本人だった。もう少しつっこんで事情を聞こうとしたら、急に相手の歯切れが悪くなった。

 おっとり刀に名主がやって来た。番屋の知らせを受けて、扇町屋の親分(岡っ引きの頭)が名主を迎えに行ったらしい。
 親分は二人と捕物の相棒だったこともある仲だ。
「助かったよ、舟の方で盗難があってかかりっきりなんだ」
「まったく、忙しいってのは重なるモンさ」
 この二人の岡っ引きは実は所澤寄場組合村という、いわば他所の村からの応援だった。二人は自分のところの親分に報告するため、少し詳しく事情を教えてもらうことにした。ことによっては知らないことにして戻ることもあるのだが・・。

 名主の長右衛門は太った体を揺するようにしてお辞儀をする。
「ほんとうに助かりました。次は銃刀法取締の方で、連携さしていただきますので」
 4人組に手を焼いていた、と汗を拭きながらつぶやくように言う。
 どうやら、情報が漏れていて、それが逮捕してみて、首謀者が代官所の雇い人だったことが判明して辻褄が合った、ということだったらしい。ことがわかれば、底が浅い事件のようであった。
 情報漏洩がわかって外から呼ばれたのか、と腑に落ちた。一揆の前触れとかではなかったのだ。
 名主の相手はもっぱら小鉄がして、馬五郎は控えたままだ。

 二人を見送って、
「じゃあ、俺らも帰るか」
 小鉄に笑顔が戻った。
「そうだよ、扇町屋で泊まるわけにはいかない、ここは高すぎるからねー」
 馬五郎が笑うと、急に女の顔になった。馬五郎は襲名した名であって、幼名はおはる、れっきとした女だ。
「まったく、おはるは女にしておくのがもったいないな」
「何言ってのさー、さっさと帰るよ」

 すでに夕方の6時を過ぎていた。明日は市が立つ日だから、どうしても所澤にいなくてはならない。


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