平安海進の実態や如何?(今日の学び)
東山道武蔵路について書いたものを読んでいたら、「平安海進」についての話が載っていた。
関東平野に水があがって来たので、海側の道が使えず、国府のあった現在の府中市から、利根川の渡し(その先に東山道がある)までのまっすぐな道を作ることにしたそうだ。まっすぐな道には祈りもあったろう。
と、書いてみたところで。
そんなに平安海進ってすごかったの?
Wikipediaに聞いてみる
50㎝高くなったからといって、東京都域が水没したとは思えない。
例えば、利根川の自然堤防でさえ、2mくらいあるもの。
干潮差はどうだろう?
可能性が出てきた。たしかに・・・ぃ。
もう一つ、東山道武蔵路ができた奈良時代のことに思い至った。
先の文章、よく読んでみる。
「平安海進」の冒頭に、奈良時代は海退(海水面・1m低下)とある。
頭がぐちゃぐちゃになったけど?東山道ができたときは、東京都域は乾いてたってことで、道は武蔵台地を迂回してもよかったわけか・・・。
もう少し調べてみます・・・手強い。
感想をひとつだけ。
案外、海進・海退はおきているみたい。
温暖化の影響で海進が進んでいて、いろいろ大変なことが起きているのだけれど、地球の都合でも起きていたんだなぁって。
・・・なんとなく、剣客商売で知った知識が湧きだしてきた・・・
江戸時代にも小氷期があって、海退が起ったとあった。
海退は、海(汀)の埋め立ての追い風になったのだそう。
江戸は排水工事(掘割をつくるとか)をする前、沼や池がすごかったらしく舟で移動していた。
井戸を掘っても塩水だから、前代未聞の上水道整備が進んだ。