江戸時代の暦(太陰暦)
※江戸時代のリテラシー(読み書きそろばん)について調べています
今日は、江戸時代の暦について調べました。
落語でも「大の月(30)・小の月(29)」など、当たり前にしゃべってますし・・・そう、太陽暦でも30日と31日があり、手をひろげて、指先(最初は人差し指)を押さえ、一月、指の股を押さえて二月、指先三月、間で四月・・と歌って覚えませんでした?七月・八月は小指の先を2回押さえるんですよね。暦は1年生が覚える最初の常識!です。いつ学校(寺子屋)へ行って、いつお休みか。お八つが出たり、成績が決まったり。
脱線しました!では、はじめましょう
さて、江戸時代は、太陰暦だったということは、知っていましたので、先ず、太陰暦について調べてみました。
太陰暦
最初にヒットしたのは、国立天文台。王道ですね!
太陰暦(月の満ち欠けで1か月を定める)は、太陽暦よりも先に発達してきました。満ち欠けがあるので、夜になると空に浮かぶカレンダー。
「#文字がなくても、三日月が見えたら○○」の一節に、百人一首の月の句などが思い浮かびます。もしかしたら、現代の私たちとは違う鑑賞のしかただったのかもしれない。
太陰暦では、1か月が29日標準なので、12カ月では日が余るため、「閏月」というのがあって、同じ月が2回ある年があったそう。
同じ理由で、太陰暦では、季節と日付がずれるので、二四節季などを決め、田植えなどの日は、ずれないように調整していた。
もっとも、ある山里では、カレンダーでなく、山に浮かぶ馬の絵(雪解けの塩梅で一定の形が見える)で、田植えの日を決めていたりしたらしい。
太陰暦のすてきな所は、
「15日に彼と会ったの」
という告白のとき、その背景は必ず満月だってこと!
平安時代のあいびきも、月のない日は真っ暗で道を歩けないから、満月の日が選ばれたらしい。
年の始まりはいつから?
これは、調べてみたら、現代と同じように厳寒ちょい前の1月1日(いまと同じ!)だそうで、正月のことを初春、などというので、2月か3月の新月スタートなのかな?と思っていたの、まったくあてが外れました。
1月1日は、1月1日。8月1日は、8月1日なのだそう。
そうしたら、旧暦でお盆をするといったとき、1カ月遅れの8月になるのは、どうしてでしょう?
七夕だって、うちの田舎は8月だったんですよ。
微妙すぎて調べることもままならず。
暦の変遷
検索していたら、暦の変遷についての記事がたくさんあることを発見。
グレゴリオ暦も、江戸時代には日本に入って来ていたらしく、明治6年に太陽暦になったときも、割とスムーズに移行したようです。
江戸時代に印刷技術が発展して、カレンダーができ(庶民も手に入れることができ)たことと関係あるかも。
東京都立図書館・江戸の歳時記
美しいページを最後に。
もうちょっと調べてみようと思いました。
寺子屋ではどう教えていたんでしょうね?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?