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モグラなの?
武蔵野台地の雑木林はとってもおしゃべり
頭上には尾長の追いかけっこ、サザンカの茂みに囀り
ちょっと歩いただけで、生き物の痕跡。・・・え
えーなに、この土の山!
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トトロの世界ですー
雑木林は、広葉樹で冬は葉が落ちて日が林床まで届きます。
そうした樹々を植えることで、林床を清潔に、落ち葉を堆肥に、芽生え(木々だけでなく、山菜とかも)を活発にする役割があるのだそうです。
落ち葉が積もっています・・・里山なので、地元の方が掃いて集め、たい肥にして畑に戻すのだそう。
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欅の芽生え
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歴史勉強会で学んだこと。
武蔵野台地は、数万年前に川がお引越してしまったために、乾燥した土地柄になったそうな。普通に雨は降るので・・・いや、水蒸気があがらなくなったら、降らなくもなったろうなぁ・・・雨は降っても地下深くだし。いや脱線。だけど。脱線ついでに、えっと、地下深くなった事情は・・・
川が干上がってしまったうえに、数十メートルの火山灰が積もり。
この火山灰、富士山の麓とかでは再度固化して凝灰岩になれるんだけど、この辺は火山から遠く・・・大きな火山の大爆発の余波=遠方のここいらは熱は冷え気味で互いに固まっての岩石にはならず・・・砂の降りしきったそうな。しかも、重い岩石はさっさと隊列をはなれて地上へと降下するわけで、この辺りでは段々細かい砂ばかりのこるはず。
そんなわけで、雨は降っても砂の間を一目散に地下へ→地下で、古川跡に辿り着くと、一散に海へ(地下深くで昔の川の姿に戻る)。
現在は、22m下にそうした粘土層があるらしい(たぶん火山灰が降り積もっているときは22mでなく・・・30mとか、もっとすごかったらしいです)
こうした土地に生きていける、ススキ・菅・地衣類が表面を保護した。
樹も育ちそうなものだけど、こうした原野は野火が起きやすく、すべて焼け野(灰が土質改良になる)になって、また、生き生きと原が育つのだという。けど・・・そうなるまでは砂と礫
というわけで、寡黙な台地になっていったんだと。
人々(川がある時代=縄文時代はすごく人口が多かった)は、新たにできた川のほとりに移住し、仲間と語らって農業を再開した。
平和な時代が訪れ、人口が増え、技術革新(例えば井戸掘り)が続くなどの文明の曲がり角で、人々は武蔵野台地を(農地として)再発見。
人々は木々を植え、井戸を掘って(したがって堀もできる)、台地をかえていったそうな。
平地林(ヤマという)が広がると、「武蔵野の雑木林」という景観が定着しました。ちなみに、文学作品「武蔵野夫人」は、世田谷が舞台。玉川上水は、柳瀬川以南を潤し、武蔵野の景観を作っていったそうです。