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太陰暦と旧暦は違う。
旧暦では、立春がお正月にあたるという。
以前、江戸時代の1月1日も現代の1月1日と同じ日、と書いた手前、此処は調べねば!と思いつつ。
そう、私の実感でも、旧暦は1カ月遅れの感があったのです。
旧暦の定義は、『太陽暦への改暦の直前に使われていた「天保暦」と呼ばれる暦法のこと』だそうです。
正確に引用すると・・・太陽暦への改暦の直前に使われていた「天保暦」と呼ばれる暦法のことを、一般には「旧暦」と呼んでいます。・・・とのこと。
出典は、相変わらず、国立天文台さま。
<太陰太陽暦・・以下・引用>
新月から新月までは平均して約29.5日の間隔です。
12ヶ月間では約29.5日×12ヶ月=約354日であり、太陽暦の1年より約11日短いため、そのままではだんだんと季節とずれていってしまいます。
そこで太陰太陽暦では、暦と季節のずれが大きくなってきて、ひと月分に近くなると、閏(うるう)月というものを入れて、ずれを修正しました。
例えば、3月の次に閏月が入るとその月は「閏3月」と呼ばれ、その年は13ヶ月間あるということになります。閏月は平均すると19年に7回ぐらいの割合で入ります。
以上のような理由から、太陰太陽暦では同じ日付であっても、それを現在の暦での日付に換算すると、年ごとに違う日付になります。例えば、現在の暦に切り替わる前の、明治3年1月1日は、現在の暦では2月1日ですが、翌年、明治4年1月1日は、現在の暦では2月19日です。
今日は旧暦の何日かを調べることはできるか?
同じページに答えがありました。
『現在、日本で「公式な」太陰太陽暦の計算というものはおこなわれていません。そのため国立天文台でも、「今日は旧暦の何日か?」などの、太陰太陽暦に関するお問い合わせには、はっきりとしたお答えができないことがありますことをご理解ください。』とのことです。
ただし
『太陰太陽暦が公式の暦として使われていた時代については、当時の暦とグレゴリオ暦の対応などを、記録に基づいてお答えすることができます。』とありました。
国立天文台さま、ありがとうございます。
旧暦を楽しむ
旧暦では、立春がお正月。
旧正月の行事もあるし、中国からの旅行者も増えたらしい。
大晦日にあたるのが2月の節分。太陽暦の大晦日に、寺の梵鐘で百八つの煩悩を静めるように、豆を撒いて(鬼に当てて)邪気を粉砕するようだ。
鬼は鬼門から入って来る。鬼門は丑寅の方角なのだそうで、牛の角と虎の褌は必需品、そして、修行を妨げる五つの煩悩の色をしているのだそう。
面白いページを見つけた!
整理してみる。
◆<5色>とは赤青黄緑黒。対応するのは「五蓋(ごがい)」◆
赤:貪欲(とんよく)・・・欲望や渇望(金棒を持っている)
青:瞋恚(しんに)・・・悪意や憎しみ、怒り(⇔幸福・利益)
黄(または白):掉挙(じょうこ)・・・後悔や我執(のこぎりを持つ)
緑:惛沈(こんちん)・・・睡眠(すいめん)、怠惰や過食、不真面目さ(⇔健康)
黒:疑(ぎ)・・・疑心や愚痴(斧を持つ)
旧暦は、太陰太陽暦で「天保暦」と呼ばれていたもの、その明治3年のモノを下敷きにしている。
明治6年から変わったんだから、明治5年のかと思ったら、そうでもないのね・・・。
旧暦は色々調整があって、今に置き換えることはできない。
ならば、太陰暦とダイレクトに対応させて、
七夕(必ず満月ではない日)
お盆(15日は満月!)
中秋の名月(8月の頃、地軸が太陽に傾いて、月がキレイ)
などの祭りをしてみたらどうかな?
全部夏だ・・・ちなみに、お彼岸は春も秋も春分・秋分と、太陽暦だし、冬至もそうだ。この辺は江戸時代もそうだったのだろう。