身近なあの人に、なにをするか。
今日、母が怒った。
理由は、姉が夜ご飯の準備をしない上に口答えをしたことにキレたのだ。
姉がもともと、自分のやりたいことだけやって、家事は基本的にやらない。
しかも、リビングを汚してしまうから、呆れられていた。
そんな中、仕事で疲れて帰ってきたお母さんの「手伝って〜」というお願いをふざけて断り、手伝い始めるも他のことをし始めたから、そりゃそうだ。
こんな偉そうに言っている私だが、私もそんなに手伝いをするタイプではない。
自分が汚いといやだから、箇所箇所こだわって綺麗にしているくらい。
母が怒り、「一緒に食べたくない。」と姉に言い捨て、美味しそうなタルタルソース付きカキフライたちをテーブルに並べて寝室に去って行った。
残されたのは、父と姉と私の重い空気と夕飯。
沈黙で食べ始め、話し始めたのは父。共同生活をすることについて。
社会人になり、みんな働いている中で、自分がやりたいことだけやって、なにもしないことはありえないこと。協力するものであること。できないなら、家を出て好きなことをすればいい。だれかが何かをしてくれることは、当たり前ではない。母は料理係ではない。親への感謝の気持ちがないように感じることを伝えていた。
「感謝はしているよ!」
姉は焦って父の言葉に重ねて言っていた。
姉は、母を旅行に連れて行ったり、プレゼントをよく渡したりと、そんな形で感謝を伝えているのは感じる。そのことを姉の言葉はそのことを示したのではないかと思う。
父はすぐに言った。
「そう思っているなら、感謝していないよ。」
特別な時だけ何かをする姉。
それは、とても素敵なこと。だってプレゼントもらったら大体嬉しいだろう。
でも、家族が一番に求めているのはそういうことではないのだ。
日常を気持ちよく過ごせること。
母は忙しい。忙しいことを理解し、それを助けてくれるのが一番の喜びなのだ。
多分。
身近な人のためになりたいと思った時、一番喜ばれることは、
相手の優先順位が高いものを大切にすることなのかもしれない。
私は、仕事でも、家でも、どうしたらいいのか、動き出しても空回りするのが怖くて、相手が迷惑そうな顔をすることが嫌で、臆病で、なにもできないことがあるのだが、今日の発見で少し変わりそうな気がする。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?