多才VS無才
いろんな才能があればな、と羨む最近の日々です。
正確に言うと最近ではなくてずっと前からなんですけど、そういう心持ちになるときというのが度々あって、いつも「できることが何もない自分」というのを強く認識することになります。だったら考えるのをやめとけって話なんですけどね。
僕の所感ですが、今まさに小説家というものの在り方が大きく変容している気がします。
発信の仕方が増えたことによって、これまでにはなかった新しい活動をすることができるようになっているからです。
そうなってくると、一個人の多才さというのが大きな鍵を握ります。
例えば、〇〇ができる奴は〇〇もできる、みたいなことって割とよくあることかと思いますが、そういう人はそれらの多様なスキルを活かして面白いことができるはずです。
面白いこと、とぼかす辺り、自らの素質の無さを露呈していますが、とにかくできる人にはできるということです。
それで、結局一番最初の羨慕に戻ります。いろんな才能があればな。
――できることが何もない自分。
仮にそこまで言うのが大げさだったとしても、無才な僕にできることは少ないです。勝ち負けが簡単に決まるものではないかもしれないですが、気持ち的にはできる人たちに完全に敗北しています。
ただそれでも、諦められないことってあるじゃないですか。
だからこそ、僕は「自分にしかできないやり方」っていうのを見つけて勝負しようと思います。
そして、すべてに勝ちます。
勝てないけどね、とか付け足そうかと思ったけど、かっこよく決まったのでこれで終わりにします……という文章自体蛇足になっていますが、これで終わりです。
また次回、よろしくお願いします。