「かわいそう」は果たして優しい言葉なのか?
私は「かわいそう」という言葉を使わないように心がけています。
「かわいそう」は果たして優しい言葉なのでしょうか?
もしかしたら、その言葉の裏に傲慢さが隠されているのではないかしらと感じてしまうようになったからです。
そう考えるに至ったのは、我が子N子との会話がきっかけでした。
N子は小さい頃から敏感な子でした。
人の何気ない目線の動き、唇の動き、眉の動き、うなづき方、顔の傾け方などから人の感情を感じるというか、推し量るというか…
なので「言葉」にも敏感でした。
特に「単語」が持つ意味や深み、その使われ方によるその人のその時の感情。
めちゃくちゃ面倒な子ですよね。
10歳そこらの子どもがそんなことを考えているなんて、大抵の親は思いもつかないと思います。
私もそうでした。
でも、ある時、何気ない会話の中で
N子が言いました。
「かわいそう」という言葉が嫌いだ、と。
何故かと問うと
「かわいそう」と言われたことがあるか?
「かわいそう」と言われた身になったことがあるか? と。
私は、ありません。
でも、N子は言われたことがあるのです。
しかも何度も何度も。
N子は持病があります。
アレルギーもあります。
アトピー性皮膚炎もあります。
見た目もほかの子と違います。
食事も日常行動にも制限がありました。
なので、いつも他人から
「かわいそう」と言われ続けたのです。
言われるたびに苦しかったと。
顔、足、腕、体がアトピーでぶつぶつです。痒くてたまらず掻きむしって皮膚はただれています。
軟膏を塗って包帯を巻いていました。その匂いと包帯の異様さで、お化けと言われました。
持病による厳しい食事制限のため他の生徒とは給食のメニューも異なりました。
保育園でも小学校にあがっても
ほかの子たちからはお化けだ、臭い、病気が移ると言われていたそうです。
(絶対感染しません)
そして、保育園では保育士が
「かわいそうなんだから」と
やんわりほかの子を諭していたらしい。
たぶん、小学校でも同じだったのでしょう。
「かわいそうなんだから」と言われるたびに惨めだったとN子は感じていたそうです。
その人は、優しい気持ちで言っているのだろうけれど、言われた私は何故こんなに辛くて惨めな思いをしなきゃいけないのだろうと。
言われるたびに惨めになる。
言われるたびに卑屈になる。
言われるたびに悲しくなって自分が益々嫌いになる、と。
ある時、友人のお母さんが言ったらしいのです。
「N子ちゃんはかわいそうなんだから、優しくしてあげなさい。」
「してあげる」
「かわいそう」の裏に「施し」の気持ちがあるのです
「かわいそう」の裏に「自分でなくて良かった」という気持ちが見え隠れするのです。
だから、余裕がある私達が救いの手を差し伸べて「あげましょう」
それを感じ取ったN子は
「かわいそう」と言う人は
どこか自分でなくてよかったという
上から目線で話している、
自分達は恵まれているから優しくしてあげようという驕りがあると言うのです。
私もN子を育てるのに四苦八苦していた頃、
親しくしていた同僚から言われました。
「あなただからできるのよ。私だったらとてもできない。神様は乗り越えられる試練しか与えないって言うでしょ。あなただからできるのよ。私には無理だわぁ」と。
ふざけんな!
と思いました。
我が子が命にかかわる病気を持っていて、食事制限もしてアトピーもあって…
できるできないじゃなくて
するしかないじゃん!!!!!!
母親の私がしなければ、
この子は死ぬやんかっ!!!!!!!!
なに余裕もって
「私だったらできないわぁ」って?
じゃあ、お前はできないからと言って我が子が死ぬのを見ているのか?
あぁーん?
と思ったことがあって。
まあ、その人とはそれ以来一切お付き合いはしておりませんがね。
なので
N子が怒りをぶつけるように私に話したことがあって、私も私なりに感じることがあって。
それ以来「かわいそう」と言う言葉を使わないようにしています。
使いたいような場面に遭遇した時は
「辛かったねぇ」
「痛かったねぇ」
「しんどいねぇ」
と言っています。
共感することに重きを置いています。
「かわいそう」は同情の表れではありません。
「かわいそう」という言葉を本人に言ったことがありますか?
言われた本人は楽になったようでしたか?
余計に辛そうにしていませんでしたか?
私は「かわいそう」という言葉を使わないようにしています。