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最近のはなし①
note更新したいな、しなきゃなとずっとおもっていたのに全然書いてなかった。いろんな言い訳の仕方があって、①英語使っていると日本語が出てこなくなる、②雇ってもらったタピオカ屋の仕事で日々ヘトヘト、③更新しない間に書きたい話が積もっていって更新のハードルが上がる、の主に3つ。でも①については、正直ある程度英語をしゃべれるようになると向上心を失ってしまい、最近は全然勉強してない。本当は「コンフォートゾーン」を抜けないといけないんだけど怠惰な性格ゆえにしていない。あと②のタピオカ屋はだんだん慣れてきた(今日も疲れてるけどね!)。なので、ぼちぼちちょっとずつ書こうかなと思っている。書きたいことを書きたいときに書きたいだけなので、更新しない間積もった話をこの記事で一度整理したいな~と思い始めいま、夜中にキーボードをたたき始めた。散文で特に校正も推敲もしないので読みにくいかも。
学校のはなし
6か月間、オークランドの中心地にある語学学校に通って、2024年の8月に終えた。毎日世界各国から来たクラスメイトと話して、あーだこーだとくだらないことや将来のことを話したり、その国の生活を聞いたりした。韓国や中国、タイなどアジアの友達や、コロンビアやアルゼンチンの人たちとも話ができて、とても有意義だった。有意義だった、というにはあまりにももったいないくらいに。コロンビアではバーベキューにパイナップルを焼くらしい。それも酢豚のパイナップル的な脇役じゃなくて、ひとつの具材として主役と同じく肩を並べているらしい。アルゼンチンではほとんどの国民が自国のパスポートに加えて、イタリアやスペインのパスポートを持っているらしい。歴史的背景からくるもので、時と場合によって使い分けるそうだ。ほほえみの国タイの人たちはいつもニコニコしている。彼らが英語を話すときのアクセントはとても癖があるけど、やわらかいタイの雰囲気が一層伝わってきた。
後半の4か月間はIELTS(英検とかの一種、アイエルツと読む)対策コースの授業を受けていた。それまでの一般コースの授業が単調過ぎて、モチベーションが下がってしまったので気分転換がてらコースを変えてみた。アイエルツのアの字も知らなかったのだが、スコアという指標があるのはモチベーションにもなるので結果的に楽しかった。特にSpeakingのクラスでは、答えのないテーマについて自分の意見を述べる練習をたくさんした。抽象的なことについて、各国のクラスメイトと話しをするのは勉強になった。
例えば、タイは王様がいて、日本には天皇がいる。でもアルゼンチンにはいない、昼ご飯を食べながらそんな話題になった。アルゼンチン出身の友人フラビアが「天皇はどうやって暮らしているの」というから「税金でまかなわれているよ」と言ったら、彼女はびっくりした顔で「自分たちの税金勝手に使われて嫌じゃないの、なんで怒らないの?」とたずねた。私は考えたこともないテーマの質問にハッとした。「あんまり考えたことないけど、でも天皇制という伝統を守ることと、税金をかけることで日本の外交がうまくいくなら別にいいと思っている」と言ったら彼女は少し納得したような、そうじゃないような感じだった。バックグラウンドが違う人たち(アルゼンチンなんて日本から見れば地球の裏側だ)と話すのは、時々思いもよらない考えに、ハッとさせられることがある。
仕事のはなし
仕事なんですぐに見つかるだろう、とぼんや高をくくっていたのだが、結論、全然見つからなかった。私のリサーチ不足がいけないのだが、ニュージーランドは絶賛不景気で、大企業のフルタイムワーカーたち(日本でいう正社員)もクビを切られているところらしい。おまけに冬の時期(4月から9月)は求人が減る。そんななか私は学生ビザ(週に20時間働ける条件)で仕事を探していたのだが、まあ見つからない。履歴書を印刷してカフェやレストランに配り歩き(ネットに求人情報があまり出ないのでこの足で稼ぐ方法が一般的)、「ちょうど人を探していたの!あとで連絡するわね!」と言われても待てど暮らせど連絡が来ない日々が続いた。20~30件くらいそんなことの連続だったと思う。毎月の生活費はどう切りつめても日本円で20万はかかる。おまけに当時円安が進み、円=NZDのレートは過去最高の97円まで上がってしまった(私が渡航した直後は86円とか。今は90円くらいを行き来している)。このまま仕事なし、貯金なしのアジア人アラサー女がこの異国の国でどうなっていくのか不安で、日本の銀行口座の貯金残高と毎日にらめっこしていたと思う。5パック入り9ドルで売っていた辛ラーメンのインスタントの袋を2食に分けて食べていたら風邪を引いて、薬代のほうが高くついてしまった。雨の多いニュージーランドの冬で、私は誰よりも絶望の景色を見ていた気がする。
そんな中、ダメ元で履歴書を渡したタピオカ屋の店員さんに「このアドレスに履歴書送ってみて。ほかの支店で募集してるかもしれないから」と言われ、その通りにメールで送ったら、その日のうちにZOOMで面接が決まった。面接をしてくれた台湾出身のマネージャーは「中華系の人が多い職場だけど、もちろんニュージーランドで生まれ育った人も働いている。いろんな国の人たちを採用したいと思ってる」といって、私はそのまま採用してもらえることになった。
そんなわけで、意図せずも晴れてタピオカ屋の店員になることが決まったのだが、マネージャーが言っていたようなマルチカルチャーな職場ではなく、「ザ・中華」な環境に身を置くことになるとは、この時知る由もなかった。
つづく