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三省堂神保町本店

夜、会社を出るといつもどっしり構えていた三省堂本店がないのが、なんだかさみしい。

あんなにも東京が嫌いだったのに、気づいたら東京で働いて7年。東京をしばらく離れると思うと、恋しくなる。神保町はエチオピアのカレーは辛さ20倍までしか挑戦できなかったし、キッチン南海には結局行けていない。名店スヰートポーヅは1度しか行けぬまま、ひっそりと閉店してしまった。
なんとなくまだ帰りたくない日は、やさしくネオンが光る三省堂で、ゆっくりとその本の海の中をさまよった。そして帰り道はきまっていつも、歩いて大手町まで。神田橋をわたったところに自衛隊のワクチン大規模接種センターが開かれていたのはもう、懐かしい話になった。

東京へと向かう労働者を吸い込んでは吐き出していく朝の通勤電車が憎かった、社会人1年目の冬。京浜東北線上り電車に押し込まれた私は、身動きひとつ取れぬまま背の高いサラリーマンの鼻息を頭上に浴びていた。当時勤めていた会社の古くさい男性社会の中で、ただ長いものに巻かれるしかできない日々の象徴のようだった。

駅のホームでは割れるほどうるさいアナウンスがあちこちから聞こえ、電車が勢いよく入線しては飛ぶように去っていく。忙しなくどこかへ向かうビジネスパーソンと、視界へ次々飛び込んでくる誘導看板。その情報量の多さに翻弄されながら、JR横須賀線の行先に「久里浜」を見つけたとき、そのときだけは、地元横須賀の港で鳴る軽やかな汽笛が、私の耳の奥に響き、都会の喧騒を一瞬だけ忘れられた。

6年前、得意先に嫌味を言われ渋谷駅で泣きながら先輩に電話をかけた私へ、それでも東京は楽しいよと、そう今は言ってやりたい。

鉛色の東京コンクリートジャングルは、人との出会いによって鮮やかに彩られていく。キャンバスに色を置いていくように景色が鮮やかになっていく過程が積もり、東京への通勤路をすこし受け入れられるようにもなった。

趣味の合う同期と巡った六本木の美術館やギャラリー、会社行事の打ち上げで飲んで歌った有楽町、接待をした新宿、絵を描くことを得意先で教わった御茶ノ水。人情深いお客さんと話が弾んだ北千住に、誰か届けと祈りながら文章を書いては消しながら4年半勤めた神保町。

次東京で働くときは一体どんな景色になっているだろうかと、品川や新宿の再開発を見ながら思う。増殖するように生み出される東京のビル群は、一見混沌にも思える都市美を感じさせる。これから先どんな東京の景色で、いったいどんな出会いがあるのか。数年後、神保町の三省堂はまた、その本の海を開いてくれているだろうか。
たくさんの未来を想像する。そのとき、東京という狭くてうるさくて鮮やかな都市で再び働きたいと、私はあのうんざりする満員電車に懲りずにそう思うのだった。

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