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映画「笑いのカイブツ」を見て感じたこと。原作を読みたくなる映画だった。
いつの間にか引きこまれて、あっという間に約2時間過ぎてしまった「笑いのカイブツ」のエンドロールを見ながら、「この映画はどんな表現をすれば良いんだろう。。」と頭の隅で考えていた。
その時ふと浮かんだ言葉が、「ままならない…」だった。
なぜあまり使わない、意味さえハッキリと分からないその言葉が浮かんだのかは分からないけれど、その後この気持ちを表す言葉を考えてもしっくりくる言葉が無くて、やっぱり「ままならない…」という言葉が頭に沁みついた。
社会性と個性のバランス
「社会性」と「個性」ってまるでガスコンロみたいだなと思った。
ガスコンロみたいに「社会性」⇔「個性」っていうツマミがあって、人によってどのくらい捻るかが違うみたい。
なんで人って自分の理想通りにツマミを調整できないんだろう。「ツチヤさん」は、なんてままならないんだろう。
たぶん、ツチヤさんは「個性」に力いっぱいツマミを回している。
そんなツチヤさんを見て、わたしは「社会性」にツマミを回してて、器用に生きているふりをしているかもしれないけれど、人の形をして中身が詰まっていないようにも感じた。
劇中ツチヤさんに対して、「もっと器用にできれば…」と思う場面はいくつもあった。でも、私が好きな「太宰治」は、(社会性の天秤かはわからないけれど)間違いなくツチヤさんの方が近くて、同じように「ただ真っ直ぐに。1つのことに掛けていた人」なのではないかと思う。
「掛ける」という言葉は、「欠ける」という言葉と意味は違うけれど同じ語感だということは、きっと偶然だと思いつつ、何かの意味を感じてしまう。
「人間関係不得意」という言葉の重さ
映画を見た後は、ネットで映画の情報を調べる。
「笑いのカイブツ」を調べる中でたびたび目にした言葉が、「人間関係不得意」だった。私はこの7文字を見ると少しだけ苦しい気持ちになる。
「笑いのカイブツ」を見て、ツチヤさんがどんな気持ちこの7文字を絞り出したか考えると、「違う」という気持ちがわいてくる。
この7文字はそんな人間を分類したような言葉じゃなくって、この7文字はそんな軽い言葉じゃなくて、どうしようもない気持ちを伝えるために絞り出した言葉なんだと。
「人間が苦手」でも「人と関わりたくない」でもなく、「自分、人間関係得意じゃないんで」と、自分を守るような軽いものじゃなくて。
それが、ツチヤさんを表す簡単な、分類のような一言になっているようで、何だかなんとも言えない気持ちになってしまう。
きっとそれほどに、素晴らしい映画で、ツチヤさんという人間の生きづらさと必死さが伝わってくる熱量を感じる映画だった。原作も読んでみたくなった。
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