学校にいられない小学生を、家で生殺しにしている気分。


完全なる選択ミスだったと気づく

おはこんばんちわ。(over the sun サイレント互助会員ですので)
新学期がスタートして3週間。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。

さて、我が家の兄ちゃんも6年生。
2月に児童精神科を退院し、それからは1日1~2時間程度の登校にしていました。
が。完全に「行きたくないから行かない」モードだったので、4月は喝を入れたんです。やりたくないことも、やらねばならぬと。
そうして、2週目はできるだけ行かせました。
本人も「6時間目まで行けた、頑張った」と。
それを信じてしまったんですね。
失敗でした。

ある日、娘の保護者会に参加した夫に担任が声をかけました。
「フルで登校ではなく、ゆっくり時間を増やすのではなかったのですか」
「理科の時間は最初の15分くらいしかいられず、結局僕がずっと付き添うことになった」
「本人がこれは最後まで参加できる、と思えるものに確実い参加させてはどうですか」
それを夫は私に伝えてきたわけです。

が。

夫はその言葉を文面のまま受け取ったのみ。
その裏側、先生の感じていることは夫は理解していませんでした。

要は、
「短時間で登校させてくれ」
だけではないのです。

つきっきりのサポートなんてできない
6年生の集団に入れるレベルではない
 =深堀りすると普通級は無理です、というところに行き着く。
夫はここまで考えられていなかった。
「6時間行けてると思ってた」
以上。That's all.
その言葉の裏にある意味の理解はできていなかった。

担任のおっしゃるとおり、短時間からの登校で慣れさせる予定だった。
甘ったれるな、しっかりしろー!とフルで行かせたこちらが完全に悪い。

復学するときに養護の先生から「6時間ずっといるのはかなり先じゃないかな」とは言われていました。
でも、具体的にそれがどういうことなのか。
それがどういうことを意味していたのか。
先生方が短時間登校を求めた真意。
それを理解するのに、2か月もかかってしまった。

支援が必要なら、普通級にいてはいけない

まあ、平たく言うと
「支援が必要な子は、35人の普通級になんて居てはいけない」
ということです。
担任も養護の先生も兄ちゃんのことをよく理解してくれていたからこそ、転校はせずにあと1年いる、という選択をしたのです。
でも、それは理解しきれていなかった。

支援がない中で普通級にいるということは、
参加できることも限られる、サポートも薄い、
それを了承した上で在籍せよ、ということだった。
甘かった。

今、兄ちゃんは確実に45分参加できる少人数算数のみの登校です。
滞在時間オンリー45分の日もあるわけです。
もちろん要送迎。(私の母にお願いしています)
幼稚園児以下の生活。
それを覚悟の上で普通級にいろということだった。(と、感じざるを得なかった)

ちなみに、先日は当日に科目変更があったので休ませることになった。
さすがに「自分の子どもを生殺しにしている」気分。

教育委員会には「年度途中の転籍は基本ありません」と言われた。
何のサポートもないということの非情さ。

普通級を選択したことに後悔し、自分を責めた。
兄ちゃんの現実は、想像よりも、もっともっと厳しいものだった。

算数のみの単位制小学生、それもありなのか

しかし。
もし彼が支援級や情緒級に転級していたらすべて上手くいっていたのかと言われると、そうではないと思う。
6時間登校なんて到底無理だったんだろう。

(ちなみに、兄ちゃんはASDのこだわりで「やりたくないことはやらない」、そしてADHDの特性もあり「じっとしていられない」のです)

そもそも、家でも衝動性が高すぎて発狂したり物をぶん投げたりしていた兄ちゃんが、半年間の入院を経て自宅ではまあまあ落ち着いてすごせているだけマシなんでしょう。
だから、学校に行くということは高望みしすぎているのかもしれません。
1時間行けたら100点なのかもしれない。

でも、彼は曲がりなりにも6年生であり、もう少し社会と接点を持つべき時期ではある。
接点を持たせてあげられない現状は、親である私の判断ミス。
本来なら、必要な支援を受けながらもう少し学校という場で過ごせたのかもしれない。(いや、支援を受けても無理かもしれないけども)

このまま算数のみの単位制小学生でいるのか。
ホームスクーリングをするべきなのか。
私は働いていて良いのか。

正解がない中で、もがいています。

衝動性やこだわりで学校にいけないお子さんを育てている方、どうしていますか・・・?

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