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『デュシャン展』・アートとは何か?

東京国立博物館『マルセル・デュシャンと日本美術』展に行ってきました。

 マルセル=デュシャンの名前を聞いた人は少なくないのではないでしょうか。 世界で最も有名なレディメイド作品の一つである「泉」を作成し「芸術とは何か」を世に問うたアーティストです。

画家 マルセル・デュシャン 印象派、キュビズム

 裕福な医者一家に生まれたデュシャンは、兄弟に囲まれて少年期から様々な分野において豊かなの才覚を顕しはじめました。

青年期はモネやセザンヌといった印象派に影響を受け、兄たちと興じたチェスの場面を描く作品などを残しています。そしてこの後もチェスは彼にとって重要なモチーフとなり続けます。 

その後、デュシャンはピカソ、ブラックらが旗揚げしたキュビズムにも強く影響を受け始めました。  

キュビズムとは、画面の再構築を目指した動きです。画壇から離れたブラックとピカソにより、ピレネー山脈に位置する街であるセレでの中ば共同生活のような営みの中で、生まれた独自のムーブメントでした。 

ピカソにとってのキュビズムの起こりと言えるのは、《肘掛け椅子に座る女》が特徴的な「分析的キュビズム」であり、それは空間の再構成の中で、三次元的な重量感を画面に映そうとしたものであり、同じようにブラックにとっての《ヴァイオリンのある静物》のように、物の断片を一度解きほぐし、時間的な順列と空間的な断続性を一度分断し、平面を平面として扱わず、再配置するという営みでした。彼らは「新しい空間」の創造を目指したのです。  

一方で影響を受けたデュシャンが試みたキュビズムで最たる佳品は、《階段を降りる裸体No.2》です。ピカソのキュビズムの転換点とも言える作品である《アヴィニョンの娘》が発表された1907年に最盛期を迎えたキュビズムから時間を経て、1912年の発表でした。


マルセル・デュシャン《階段を降りる裸体No.2》1912年


《アヴィニョンの娘》はアルカイックで力強い表現に影響を受けた作品でしたが、デュシャンの《階段を降りる裸体No.2》は、多重露光的な考え方から生まれた作品でした。一つの画面の中に一度解かれた複数の時間軸(本作では5体)の画面を構成することで表現したのです。  

そして25歳になったデュシャンは油彩から離れ、「アートとは何か」を本格的に問います。油彩そしてキャンバスから一度離れ、レディメイド作品に舵を切ります。空想そして抽象の世界からアートを捉える試み、思考を通して鑑賞をする、いわばコンセプチュアル・アートを拓いていったのです。 

レディメイドとは、明確にはジャンルの名前ではありません。デュシャンといえば、ということでジャンルのように扱われていることもありますが、レディメイドの対義語はオーダーメイドであり、意味は既製品、工業的な手法で大量生産された物にアートを見出したのです。既製品にすでに付与された意味を切り離すことで、純粋なオブジェクトとして扱う。そしてその働き自体を芸術として提案したのです。 


 アートとは何か?・コンセプチュアルアート

 デュシャンは模索とも見え、発明とも見え、革命とも見える作品を発表し始めました。 

《泉》という作品があります。いかなるアートも受け入れようという芸術団体を作り、自分自身が名前を偽り、男性用便器にサインを入れて出品したエピソードはあまりにも有名です。実際はその団体を試すような意図で若手アーティストを名乗ったようですが、後世では「アートとは何か」を示したエポックメイキングな出来事として語り継がれています。  

その他にも、自分自身をプロデュースし、美しい女装をして(割と見間違うほどに美しい)レディメイド作品の中に溶け込ませたり、意味のない文字、単語の羅列を配置したり、アートをアート足らしめてきた有意味性を解体してきました。 アートを問い直し、解体し、再構成することで、作品と鑑賞者の間に(デュシャン曰くクールベ以降の)見かけの網膜的な美しさの関係から、知的な関係へと進めようとしてきたのです。  

ピカソ、マティスと並び、20世紀初頭のアートシーンに大きな影響を与えた現代美術の創始者とされるアーティストですが、作品の枠組みの解体という意味で、鑑賞者である私たちに最も近しい形で問題提起をしているのではないでしょうか。  

作品を前にして考える。何がアートなのか。作品を触媒として動かされる自分自身の思考の行く先を鑑賞する。 これこそがデュシャンが提案し問うてきた観念芸術なのだと思います。

 物事を脱構築的に考え、前提を伺い、歴史を俯瞰して描く人には特に面白い展覧会だと思います。 

最初に入場した時には、「あれ、ここトーハクだよね…??」と思わず鮮やかな作品を前に戸惑ってしまいますが、くぐり抜けて、これは一つの歴史の転換点を表す作品群といういう点で腑に落ちました。

印象派自体が、見かけ自体の美しさ、綺麗な画面を作る風潮への批判として、光や雰囲気、イメージのみを描くことを目指した芸術であり、それが「印象しか描いてないじゃないか」と揶揄されたところから始まり、結果一つの時代を築き、そしてその印象派を観念芸術からの批判としてレディメイドが生まれてきた。そのようなアートの歴史としてみるとまた面白いですね。




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