療育花育の記録 ともくん#3
ともくんは、平成25年生まれ。
障害名はついていません。いわゆるグレーゾーン。
普通学級に1年通い、勉強も頑張りました。
2年生からは、障害クラスに入り、お母さんもともくんものびのびたのしく生活できるように少しづつなってきました。いきものが好きで、カマキリを飼ったり、抜け殻を収集したり、遺跡を掘りに行くのが好き。いろんないきものにとても興味があり、調べるのも得意。
おともだちからは、いきもの博士と呼ばれることも。
20230912 テーマ「彼の死生観」
親御さんから
写真記録
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前回を踏まえた検証と考察
前回の次回考察
>出し切るまでこのまま出し切らせてあげようと思う。
不明。奥深くというより、視点が変化していた。
今回は、感覚というより、情緒のほうを主に表現していた。
引き続き観察。
そういう気分だったのではないか。ただ、自分で進んで、が、あまり無い日常であれば、自覚したかどうかは別として、
自分の中に眠っている感覚の種のようなものを、自分自身の力で、発見することができていた可能性がある。
感覚を探ってみたが、奥深い感覚は、あまり表現して使っていない場合、ニューロンにつながって感覚が言語化になるまでに数週間かかって出てくる場合も見られたことがあるため、再度聞いてみることにする。
彼は、いつも人の話を頭脳でも聞いているかもしれないが、感覚的にとらえて聞いているような気がする。
例えば、一度聞いた音楽を手が訓練で慣れれば、ピアノで弾ける、または、
一度聞いた歌を、歌える、ような、感覚。
聴覚の反応。
ただ、花、植物、生き物、というところから、
好きだ嫌だ、というような、好む感覚が花に対して出てきたと思った。1歩前進している。
枯れた生きものをとっておく、コレクション的な要素を見た。枯れたら汚いものである、捨てなきゃ、という概念以上の価値観と感じた。
親と子であっても別の人間で、考えも気持ちも概念も違う、ということを親御さんが学ぶいい機会となったと思えた。
違う人間であることと、親子の情愛はまた、別の方向性で次元だと気づくきかっけとなるといいなと感じる。
現場から
今回は身構えず、普段通りの素が出ていたような様子。
創るときの集中力はそのままに、話しながら生けていた。
前回の想像通り、やはり、彼には独特の世界観があり、日本の大人の社会では普通の基準ではないが、それが、彼の特徴で、資質かもしれない。
生きている生命だけにとどまらず、死んでしまった生命にも愛情を示している。様子を観察していく。
地球上の生命循環に興味もあるかもしれない。
たまたま私の母が亡くなったばかりだったので、その話をしてみた。
1)話せない、動けない、歩けない、死んでしまってお母さんは何もできなくなったから、生きている私にしかできないのが、後始末だよ、云々というような話。
2)人間も花も同じで、花も話せない、動けない、歩けない、から、生きているともくんが、先生みたいに後始末をしてあげてくれたらうれしい、というような話。
テーマ自体にはあまり反応はなかったが、
言葉を押さえ(先生の家におかあさんの骨がまだ居てくれていて、という話の部分)最終的に、兄の創った家の模型と山などで見つけたいろんな化石や骨や頭蓋骨などもいっしょに飾って作品としていた。
ので、ともくん、枯れてドライフラワーになったものも、コレクションにしていいよ、と伝えておいた。
お母様には、
ドライフラワーがたまってきたら、それで作品(自分の手によって枯れたものが美しく蘇る体験。彼の中にある美意識を見る)もつくれます、
まだ、自分自身を表現して出している最中なので、出し切るまではこのままのスタンスで、私からはまだ美意識は教えずに、時期がきたらスタンスは変えます。
今は始めたばかりなので、興味関心が花にありますが、
しばらくして慣れてきたときには、飽きる可能性もあり、その時は、深く頭で考えず、花に触るときもちいいなど、感覚だけかんじながら、なんとなくだらだらとして大丈夫ですので、続けてみてほしい、
人の成長は、右肩上がりだけのグラフのように、コンスタントにはなっていない、という旨をご説明。
いきものの死骸やいきものを飼うこと等々もそうだが、母親の再三のどうする?の促しに反応しなかったのは、死んだら火葬か土葬してね、と伝えたので、母親とともくんの死生観や生きものへの視点の違いからだろうと思われる。
ともくんには、とりあえず、最後はどうなったかを聞いた。枯れた、燃やした、と彼は言ったので、最後まで後始末(次への準備)ができたことをほめたたえる。(日常あまりできないらしい)。
だだし、本人は、死を迎えたと感じていなかったのだと思う。そういう感覚と感性を持っている様子。ここは、自分をすべて出していい場なんだ、と感じてくれたのでは?
家庭の中だけでは当たり前になっていて発見・気づけないことを気づけるのは、外部の関係ない人間の仕事なのかもしれない。
これから続けていく中で、信頼関係を構築しながら、客観的な視点を提供して、更にともくんへの理解をふかめていただけるよう、尽力しようと思う。
次回考察
1 彼の枯れた者たちへの興味・関心の度合いを探ってみる。死生観とそれは、別か、否か。
2地球上の生命循環の話を花でしてみる。(様子を見て可能そうであれば)
3今回は、スムーズに、気構えることなく、創るときの集中力はそのままに、話しながら生けていたので、安心感なのか、慣れたのか、何なのか、
なぜ、それができるようになったのか、
1つに集中するだけでなく、話ながら集中できた理由を観察する。
4まだ出していない感覚があるか。自由表現での全肯定を続ける。
―to be continued