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療育花育の記録 ともくん#3

ともくんは、平成25年生まれ。
障害名はついていません。いわゆるグレーゾーン。
普通学級に1年通い、勉強も頑張りました。
2年生からは、障害クラスに入り、お母さんもともくんものびのびたのしく生活できるように少しづつなってきました。いきものが好きで、カマキリを飼ったり、抜け殻を収集したり、遺跡を掘りに行くのが好き。いろんないきものにとても興味があり、調べるのも得意。
おともだちからは、いきもの博士と呼ばれることも。

20230912 テーマ「彼の死生観」

親御さんから

今回、①お花屋さんでお花を買うと言ったので、お花を買いに行きました。自分の好きな花を選ぶことができたのでとても機嫌が良くうきうきした表情で家に帰ってきて、①自分から進んでボールに水を汲んだり、ハサミや新聞紙を用意したのでびっくりしました。

ズームが始まると恥ずかしそうにしながら先生の話を聞いていました。8月の教室で飾った花をずっと火葬も土葬もせず、そのままずっと飾っていたのを先生に見てもらいました。「花はしゃべれないから、動けないからともくん火葬か土葬してあげてね。」と話されたこと、「ミイラになったけど種(てっせんの花の種)だよ。てっせんの種から次の赤ちゃんが生まれる。100ケあったら1ケ生き残ったらいい」というお話をじっと聞いていました。

②「ミイラになったお花なんて言ってる感じがする?」という質問には「う~ん。」と考え込む感じで答えられませんでした。先生のお母さんが少し前に亡くなられ、先生が「お母さんはミイラになれないから火葬してあげたよ。お骨になってお家に一緒にいるよ。」とさみしい気持ちを話してくださったこともちゃんと③聞いていました。
いのちの循環のお話をへな~となりながらも、じっと聞いている感じを受けました。

お花を生ける時間になったら、今回もものすごく集中して真剣に生けていました。今回はパッパッパッーと生ける感じがあり、以前より早い時間で生けれたように思います。先生にお花を見てもらう時、今回も次々と自分の部屋から鹿の角のついた頭蓋骨、拾った骨やお兄ちゃんが高校生の時に作った家の模型、貝殻、恐竜、ガジュマルの鉢やらを持って来て飾りました。
先生に見てもらいたいという気持ちがとても出ていました。

先生は「先生の気持ちをくんでくれてありがとう。」と言ってくださいました。③恥ずかしそうにしていました。「片付け上手な人は、お花上手になるよ。」と言われたことが残っていたのか、終わったらすぐに進んで片付けをしました。いつもは何度も言わないとしないのに、③こんなことは初めてでした。水替えはなかなかせず、1週間後位に水替えをしていました。

12日後、イオンの花屋さんに立ち寄ることがあり、お花を見ていると、④「僕、お花を生けたい。お花買って。」というので、好きなお花を選んで買って帰って、教室で生けたお花に足生けました。とても満足そうでした。その後は、今回も枯れても、ずっとそのままにしています。前回のもずっと枯れたままそのままにしています。

④「お花屋さんの花はやっぱり良いなあ。」と言っていました。家族のみんなが「とも すごいええなあ。」と言うと、「僕の好きな花なんよ~。」と言っていました。

先生に生けたお花を見てもらう時 次々骨を持って来て、その上、家の模型まで持ってくるのかがよく分からなかったのですが、

先生が、「お家でお骨と一緒にいると言ったからその通りに生けてくれたんだね。お母さんが死んでさみしかったから、ともくんはそれをやって再現してくれた。それがともくんの表現方法であり、私へのお悔やみなんだよ、慈しみの気持ちなんだ」
と言ってくださった時、⑤本当にハッとさせられ、だから骨と家の模型をもってきたのかという⑤理解につながり、
先生の話されていることをともなりにちゃんと分かったんだなという気持ちと優しい⑤気持ちが分かって 私の心にそのことが交差してジーンとあったかい気持ちになりました。

言葉にすることは難しい子だけど、こうやって⑤言葉の代わりに作品を通して表現してその人の心に届けることができる子なんだなと思えたこと、そういう所が⑤この子の良いところなんだなって思えました。

写真記録



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前回を踏まえた検証と考察


前回の次回考察 
>出し切るまでこのまま出し切らせてあげようと思う。

不明。奥深くというより、視点が変化していた。
今回は、感覚というより、情緒のほうを主に表現していた。
引き続き観察。

①お花屋さんでお花を買うと言った。
 自分から進んで用意したのでびっくりしました。

そういう気分だったのではないか。ただ、自分で進んで、が、あまり無い日常であれば、自覚したかどうかは別として、
自分の中に眠っている感覚の種のようなものを、自分自身の力で、発見することができていた可能性がある。

②「ミイラになったお花なんて言ってる感じがする?」という質問には「う~ん。」と考え込む感じで答えられませんでした。

感覚を探ってみたが、奥深い感覚は、あまり表現して使っていない場合、ニューロンにつながって感覚が言語化になるまでに数週間かかって出てくる場合も見られたことがあるため、再度聞いてみることにする。

③言われたことが残っていたのか、終わったらすぐに進んで片付けをしました。いつもは何度も言わないとしないのに、③こんなことは初めてでした。

彼は、いつも人の話を頭脳でも聞いているかもしれないが、感覚的にとらえて聞いているような気がする。
例えば、一度聞いた音楽を手が訓練で慣れれば、ピアノで弾ける、または、
一度聞いた歌を、歌える、ような、感覚。
聴覚の反応。

④「僕、お花を生けたい。お花買って。」というので、好きなお花を選んで買って帰って、教室で生けたお花に足生けました。とても満足そうでした。
その後は、今回も枯れても、ずっとそのままにしています。前回のもずっと枯れたままそのままにしています。
「お花屋さんの花はやっぱり良いなあ。」と言っていました。家族のみんなが「とも すごいええなあ。」と言うと、「僕の好きな花なんよ~。」と言っていました。

ただ、花、植物、生き物、というところから、
好きだ嫌だ、というような、好む感覚が花に対して出てきたと思った。1歩前進している。
枯れた生きものをとっておく、コレクション的な要素を見た。枯れたら汚いものである、捨てなきゃ、という概念以上の価値観と感じた。

 

⑤理解につながり、先生の話されていることをともなりにちゃんと分かったんだなという気持ちと優しい⑤気持ちが分かって 私の心にそのことが交差してジーンとあったかい気持ちになりました。
言葉にすることは難しい子だけど、こうやって⑤言葉の代わりに作品を通して表現してその人の心に届けることができる子なんだなと思えたこと、そういう所が⑤この子の良いところなんだなって思えました。

親と子であっても別の人間で、考えも気持ちも概念も違う、ということを親御さんが学ぶいい機会となったと思えた。
違う人間であることと、親子の情愛はまた、別の方向性で次元だと気づくきかっけとなるといいなと感じる。


現場から

今回は身構えず、普段通りの素が出ていたような様子。

創るときの集中力はそのままに、話しながら生けていた。

前回の想像通り、やはり、彼には独特の世界観があり、日本の大人の社会では普通の基準ではないが、それが、彼の特徴で、資質かもしれない。
生きている生命だけにとどまらず、死んでしまった生命にも愛情を示している。様子を観察していく。
地球上の生命循環に興味もあるかもしれない。


たまたま私の母が亡くなったばかりだったので、その話をしてみた。

1)話せない、動けない、歩けない、死んでしまってお母さんは何もできなくなったから、生きている私にしかできないのが、後始末だよ、云々というような話。

2)人間も花も同じで、花も話せない、動けない、歩けない、から、生きているともくんが、先生みたいに後始末をしてあげてくれたらうれしい、というような話。

テーマ自体にはあまり反応はなかったが、
言葉を押さえ(先生の家におかあさんの骨がまだ居てくれていて、という話の部分)最終的に、兄の創った家の模型と山などで見つけたいろんな化石や骨や頭蓋骨などもいっしょに飾って作品としていた。

ので、ともくん、枯れてドライフラワーになったものも、コレクションにしていいよ、と伝えておいた。

お母様には、
ドライフラワーがたまってきたら、それで作品(自分の手によって枯れたものが美しく蘇る体験。彼の中にある美意識を見る)もつくれます、
まだ、自分自身を表現して出している最中なので、出し切るまではこのままのスタンスで、私からはまだ美意識は教えずに、時期がきたらスタンスは変えます。

今は始めたばかりなので、興味関心が花にありますが、
しばらくして慣れてきたときには、飽きる可能性もあり、その時は、深く頭で考えず、花に触るときもちいいなど、感覚だけかんじながら、なんとなくだらだらとして大丈夫ですので、続けてみてほしい、
人の成長は、右肩上がりだけのグラフのように、コンスタントにはなっていない、という旨をご説明。

いきものの死骸やいきものを飼うこと等々もそうだが、母親の再三のどうする?の促しに反応しなかったのは、死んだら火葬か土葬してね、と伝えたので、母親とともくんの死生観や生きものへの視点の違いからだろうと思われる。

ともくんには、とりあえず、最後はどうなったかを聞いた。枯れた、燃やした、と彼は言ったので、最後まで後始末(次への準備)ができたことをほめたたえる。(日常あまりできないらしい)。

だだし、本人は、死を迎えたと感じていなかったのだと思う。そういう感覚と感性を持っている様子。ここは、自分をすべて出していい場なんだ、と感じてくれたのでは?


家庭の中だけでは当たり前になっていて発見・気づけないことを気づけるのは、外部の関係ない人間の仕事なのかもしれない。
これから続けていく中で、信頼関係を構築しながら、客観的な視点を提供して、更にともくんへの理解をふかめていただけるよう、尽力しようと思う。


次回考察

1 彼の枯れた者たちへの興味・関心の度合いを探ってみる。死生観とそれは、別か、否か。

2地球上の生命循環の話を花でしてみる。(様子を見て可能そうであれば)

3今回は、スムーズに、気構えることなく、創るときの集中力はそのままに、話しながら生けていたので、安心感なのか、慣れたのか、何なのか、
なぜ、それができるようになったのか、
1つに集中するだけでなく、話ながら集中できた理由を観察する。

4まだ出していない感覚があるか。自由表現での全肯定を続ける。

―to be continued


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花育研究家 森直子
2003年から一万人以上の方に花育をしました。現場でどんな風に、どうしたか、結果どうか等、遺さないまま頭の中にあり、書きのこして、いつか誰かの役にたったらいいな、と思い書き始めました。サポート励みになります。活動費として使わせていただきます。よろしくお願いいたします。