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療育花育の記録 ともくん#2
ともくんは、平成25年生まれ。
障害名はついていません。いわゆるグレーゾーン。
普通学級に1年通い、勉強も頑張りました。
2年生からは、障害クラスに入り、お母さんもともくんものびのびたのしく生活できるように少しづつなってきました。
いきものが好きで、カマキリを飼ったり、抜け殻を収集したり、遺跡を掘りに行くのが好き。いろんないきものにとても興味があり、調べるのも得意。
おともだちからは、いきもの博士と呼ばれることも。
2023 0821「自主性」
親御さんから
今月の教室は、「お花だよ。」(教室があるということ)と言っておいて、後は何も言わないように、そしてお母さんは準備は一切何もしないよう、ハサミ、水、用意しないといけないよ等一切言わないということを先生に言われていたので、今回それを実行しての教室となりました。
前回は私がお花を買いに行くよと言って一緒に行ってお花を用意したのですが、今回はそれをしてはいけないということなので、自分でお花の段取りをしなければ本番お花は用意されてないという状況で教室がスタートなるわけです。
いつも本当に忘れ事が多いのですごくハードルが高い課題でした。どんな展開になるか本当にハラハラ、ドキドキでした。17時半からだったのですが、いっこうにお花を買いに行こうとか言わないし、庭などにとりに
行こうともしないので、16時位にやっぱりお花は用意されそうにないなと思って、近くのスーパーにお花を買いに車を走らせました。
その姿は見せずに、買ってきたお花は見えないところに置いておきました。
どうなるだろうと不安に思いながら見守っていると、教室が始まる前の40分前になって、奇跡が起こりました。急に「お母さんお花とってくる。」と言って、自分でハサミを持ってお外に出て行き、お庭のお花を自分で切って切り花にして帰ってきたのです。
その行動が本当に感動的だったのですが、切ってきたお花を見るとピンクの花が半分枯れていたのでつい「これ枯れてるね。」と言ってしまいました。すると知樹が「枯れてないよ。生きてるよ。」と言ったのでした。そして自分でハサミと新聞紙とボールにお水を入れて用意したので、それも本当にびっくりでした。
教室が始まって、「気」のお話の時には、下を向いて黙っている感じでした。それ以外ではいつものようにぐでぐでだらだらと恥ずかしそうな態度をとっていました。
お花を生ける時間になると、さっきまでの態度はどこえやら、今回もすごくスイッチが入って、お花の世界に入り込み、全集中して取り組んでいました。目が真剣そのものでした。
生け終わって、先生が「これは何というお花かなあ?」と聞いてくださったところ、黄色い花がどうしても名前が分からない花があり、「なんだろうね?」となった瞬間から、そこに全集中となり、図鑑を持って来て調べ、お花の本でも調べたり、スマホで検索したり、それでもなかなか分からず、それでもあきらめず、むしろ楽しんでいるかのように調べる姿がけっこう長い時間続きました。私的にはもう良いんじゃないかなと思ったのですが、先生もとことんつきあって調べてくださったおかげで、その花が「ルドベキア」だという名前の花だということが分かりました。
すごく調べ切って分かったお花に「お~!!」という感動的な瞬間をみんなで体感、分かって良かったね~という一体感がありました。
その後、できたお花の作品の回りに貝殻や鳥の羽等持って来て、どんどんともワールドの作品を作っていきました。
終わった後は、片付けもせずにおばあちゃんちに行ってしまいました。先生が後始末の大切さをお話してくださったのてすが、もう忘れてしまったのかとがっくりきましたが、次の日、声掛けするとすぐにボールの水と水切りした茎や葉を後始末できたので成長を感じました。
2日後「シダの葉が枯れてきた。」と言って、水をくんできて、花器に入れていました。
その3日後、朝、水をあげていました。「白い花(てっせん)が先生の言った通り、白いフワフワが出てきたよ。」って言ってました。
この頃、学校の帰りの車の中での道中、山際にユリの花がたくさん咲いているのをみて、「わ~きれい~、」と言っていました。ユリが気に入ったようで、9月の初めの日、なんと外でどこからかユリの花を切って帰ってきて、「あったよ~。」と嬉しそうに見せてくれました。そして元々飾っていたバンブー竹の花瓶にさしてあげました。
生けた花はずいぶん前に枯れましたが、枯れた花はいまだ飾ってあります。
乾燥してフワフワになった白い花のてっせんの花を「そういえばこれって何て言ったっけ?」と聞いたら「ミイラ 先生言ってた。」と言いました。
今回ミイラということがずっととものなかにあるようで、明日は教室の日ですが、「お花どうする?」と言っても、いっこうに火葬も土葬もする気配なしでずっと飾っています。
てっせんという花を、庭で切ってきてお花を生けたのですが、先生が「お花は枯れてミイラになるんだよ。ドライフラワーとも言うよ。」と話してくださいました。それを今回すごく覚えいてい「お花はミイラになるんだよ。」と何回も言っていました。だから、今回はずっと飾り続けています。
「後で。」は絶対ダメ、知りたいことはとことん調べるということが大事だよと言ってくださり、今回そこを先生が一緒にとことんやってくださったことで、どんどん探求していく姿をリアルに見れました。
この子は本当に良いものをもっているんだな、子どもの探求心って本当にすごいんだなと思いました。それを見つけて引き出してくださった森先生の存在はとても大きかったです。
お花を通して先生と関わりあいながらイキイキして探求していく姿を見ていると私もとても元気になりました。ついつい忙しくて子どもにつきあってあげれていなかった自分を反省し、これから気をつけようとも思えました。子育てで大切なことを学ばせていただきました。
「ともくんはアーティストだね!彼のもってる能力がすごい!」と言ってく
ださったのがとても嬉しく励みになりました。もっている良いところをお花を通してこれからも伸ばしてあげたいなと思いました。
写真記録
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前回を踏まえた 検証と考察
印象記録
>①教室が始まる前の40分前になって、奇跡が起こりました。急に「お母さんお花とってくる。」と言って、自分でハサミを持ってお外に出て行き、お庭のお花を自分で切って切り花にして帰ってきたのです。
記憶があった。
潜在的なやる気はあった。
なにをどうして準備したらよいかの反復記憶の回想が行われ、一度体験したことがなんらかの(身体からか細胞からか頭脳からか)蘇ったのではないか。
>②「枯れてないよ。生きてるよ。」
やはり、彼の世界の中での生命の死生観の基準がある。
>③私的にはもう良いんじゃないかなと思ったのですが、先生もとことんつきあって調べてくださったおかげで、
彼の中では終わっていない。興味探求を中途半端にすることは、その後のすべてのがそのような感覚で癖付けされてしまうことになりかねないため、癖がつく環境を改善済。生きる力を育む環境とルーティン。
>④次の日、声掛けするとすぐにボールの水と水切りした茎や葉を後始末できた
彼の納得感はどこにあるのかを探る
>⑤「白い花(てっせん)が先生の言った通り、白いフワフワが出てきたよ。」って言ってました。>⑥「お花どうする?」と言っても、いっこうに火葬も土葬もする気配なしでずっと飾っています。
枯れた生命への興味関心度が髙い。
前回
(次回考察)
①集中力
なぜ、真剣に見せたことが無いほどの集中力が発揮されたのか?
②初めて料理に取り組んだ
③自主的に花に水やり
⑤積極性
なぜ、したこともないことを自主的にやる気になったのか?
〇なにか、うれしかった、希望が湧いた、初めてをやりたくなった、理由があるはず。
ー初めて何かができた自己肯定感からか、承認欲求が満たされた後だったか、様子をみていく。
④母親からの促し
なぜ、すぐにしなかったのか?
〇セミの抜け殻やカマキリの死骸など収集していたことと、同じ感覚がどこかにあるのではないか?
ー彼の中にある、枯れた生命への興味関心度。
⑥嫌だを参加へ
なぜ、嫌だったのか?
⇒やってみると想像と違ったのではないか?
ー今回は比較的スムーズには入れるようになっていた。
2 現場で
ともくんはとても眠そうにあくびをしていた。
なのに、切り花と向き合ったとたんの集中力はすざまじいモノがあった。
他の音も全く意に介さず、聞こえない位に。
いっしょに参加している話せない動けない障害を持つ方のうごめくような声にも全く反応なしに、目を輝かせながら、一点集中でもくもくと花をいけた。
ともくん、今日の花はどれが気にいっているの?と聞いた。黄色い花と答えた。
ひとつはコスモスだったが、もう一つの花がわからない、となった途端、彼は急にせきをきったように調べ始める。
植物図鑑を持ってきて調べ、写真を撮って母の携帯で調べ、私はその興味を持った彼に、最後まで付き合う覚悟をし、私の本棚にある花の辞典を駆使。いっしょに調べた。
英語ではなく中東の国の文字で名前が出てきて苦戦していたが、それでもわからないので、母親が「また今度」といったので、それを私は制止して続けた。
ここは、最後まで付き合うところ。これを最後までできた、という体験をするかしないかで、心地よさ、達成感、次への興味、粘り強さや後始末ができるできない、何かに対して結果をだせるかどうかの生きる力や忍耐力を養うきっかけとなるだろう、と、ふと思った。
私の携帯も駆使し、やっと見つけた。
外国品種で、明治時代に日本に来た花だった。
ともくんは、何度も何度も花の名前を声に出していた。外来種??と言って、今度は他の図鑑を持ってきて、私にブラックバスという魚の写真を見せてくれた。
4 次回考察
この2回では、彼はまだ自分の出せていなかった感性や感覚を出し切ろうと、表現という手段で私に語り掛けているように感じた。
出し切るまでこのまま出し切らせてあげようと思う。
―to be continued
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