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インターネットとの相性が悪い人は、安心できる答えが欲しい人だったりして
インターネットとの相性が悪い人は、「安心できる答えが欲しい人」なのではないかと今日思った。
SNSでもホームページでも、インターネットを使いこなせる人とずぶずぶ嵌まってしまい、自己嫌悪に陥る人がいると思う。私は後者。これは技術的な意味ではなく精神的な意味だ。例えば私はword、excel、power point、SNS各種など母よりずっとパソコンの機能をあれこれ使えるけれど、必要な情報だけさっと取ってきてあとはパソコンを開かない母の方がずっと使い方が上手いと思う。
この差は何か?と考えて「安心できる答えを求めているかどうか」なんじゃないかということに思い至った。大学を出て大学院にまで進学しながら言うのは恥ずかしいけれど、私はずっと答えが欲しくてたまらない。自分を安心させてくれる答えだ。大げさにいうと「この生き方でいいのか?」「この道を選んで良かったのか?」といったことの答えを自分ではなく他の誰かに求める。親、友人、カウンセラー、インターネット(で発信している人)。
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前に、ある人がインタビューで「自分の話に注目が集まったのは、下を見て安心したい人がいるからじゃないか」という趣旨のことを言っていた。その人は就職活動に「失敗」したものの、その後起業を選び、注目を集めるようになったという経歴の持ち主。「下を見て」というのは、「就職活動に失敗した自分」を指しているのだと思う。この「安心したい人」と似ていて、私はたとえインターネットで「調べ」ても、現実を見せるようなキツイ結果から目をそむける。自分が安心できる答えを選ぶ。だから、ありとあらゆる情報が載っているインターネットを見てもすごく狭い範囲からのみ答えを選んでいる。こういう理由で、自分を「インターネットとの相性が悪い」と思う。
この相性の悪さにもやもやしている人は一定数いる気がする。というのも文筆家の牧村朝子さんの文章を読んでいて、そうした話が出てくるからだ。私は牧村さんの著作が好きで、Cakesの人生相談もたまに読んでいる。その牧村さんは「代弁しない」ということを繰り返し言っているのだ。人生相談でも、相手が欲しがっている答えはあげない、ということを何度も書いているように思う。「私を安心させて!!」状態が頻繁に起こってしまっているんじゃないか。代弁して、不安な人を安心させることを書く人と、答えが欲しい私みたいな人の需要&供給があった時が最悪だ。牧村さんがどこかで書いていた(それともRadiotalkだったかな)ように、そういう時に炎上が起きるのかもしれない。
最近カウンセリングで「答えはあげられないから自分でちゃんと話してほしい」とやんわり言われて、やっと自分が答えを欲しがっていたことに気が付いた。だいたい、受験を続けてきたとして、大学までは答えがもらえるなかで生きていられる。でもそれもどこかのタイミングで終わる。朝井リョウが『何者』で書いていたことは本当だ~と実感している。自分が答えを求めるのをやめられるかは、気づきとはまた別の話だが。