ほんとうの地獄はこの社会『名前をなくした女神』
Tverでドラマ『名前をなくした女神』(2011 フジテレビ)を観ている。
主人公の侑子は、働きながら夫と共に一人息子を育てていたが、不本意な転勤を命じられ、仕事を辞めて引っ越す。新しい町で息子が通う幼稚園の「ママ友」グループに入る、そこから物語は始まる。6話まで観たが、どんどん悪い方へと話は進んでいっている。冒頭の遊園地のシーンから不穏な空気が流れているし、1話で「彼女もこの町を美しいと思っていたはず」「でも地獄」といったナレーションが入り、先行きは暗い。「のびのび息子を育てたい」と言っていた侑子だが、ママ友は「お受験」に固執していたり悩みを抱えていたりと「いかにも」なドロドロ具合だ。1話目のタイトルは「ようこそ、ママ友地獄へ…」。
ただ、全部のエピソードを観ていないものの、「ママ友地獄」として観るのは違うのではないかと思っている。確かにママ友グループのリーダー格の女性は、高飛車で見栄っ張りで嫌な奴。彼女にぴったりくっつき崇拝している女性も、嘘はつくわ引っ掻き回すわ、トラブルメーカーだ。『ミーン・ガールズ』を幼稚園でやっているような。露悪的ですらある。でも、そもそもなぜ「地獄」が始まるのだろうか。ママ友同士の足の引っ張り合いではない、ということも描かれていると思う。
例えば、侑子は転勤(侑子の反応からして「左遷」と言っても良いと思う)を命じられ、仕事を辞めている。侑子は「子どもがいることを理由にしたくないから皆と同じくらい仕事をこなしてきた。残業もしてきた」と話す。しかし認められず辞めてしまい、転職もできていない。「仕事」が全てではないだろうけれど、やりがいを奪われてはいると思う。他のママ友も、かつて虐待を受けていたことが示唆されたり、仕事を得ても低賃金であることが描かれたりしている。侑子の夫は「家事と子育てに協力的」だが、他の男性陣は子どもを顧みない、DVなど最低なことばかり。侑子の夫がやたらと良い人に見えるくらいに。そして、「○○ちゃん/くんママ」と「子どもの名前+ママ」で呼び合っており、名前がない。子どもの成功が自分の成功になってしまうくらいに囲い込まれている。
けれど、怒りは「社会」や夫に向くのではなく、ママ友同士のなかで討ち合いになってしまう。どこまでも「地獄」だ。
分かったようなことを書いたけれど、たぶん全然「分かって」はいないと思う。それでも、仕事や結婚がだんだん「リアル」として迫ってきている今は、主人公たちに入れ込みながら観ている。昔の私だったら、「お受験なんてくだらない」「私は結婚せずに働く」と思っていただろう。それが「偉い」と思い込んでいたのだ。
今年に入ってから9:00-17:00のアルバイトを続けている。アルバイト自体は楽しいが、終わるとやはり疲れていて、帰宅すると何もできない。来年からはこれが週5日続くのかと思うと、仕事に加えて家事はできるのだろうかと今から不安になっている。プラス子育てとなると、考えられない。子育て自体が考えられないが。働きながら自分を育てた両親のこと、特に母のことに考えは飛んでいく。「○○ちゃんママ」と呼び合うようなお洒落な世界とは無縁だったけれど、場所によっては「ハルカちゃんのお母さん」だった。このドラマほどではないけれど厄介な人間もいた。そして、私は母にケア労働を全て押し付けていた。離れて分かるのは親の有難みというより、ケアをされて当然と思っていた自分の厚顔さだ。
「母」って何なのだろう。どうしてこうなのだろう。社会のせい? 大学生の時に取ったジェンダーの授業で、日本の母親の意識調査について話した教授がいた。けっこうな人数の母が「子どもがいると自分のため(美容院など)に出かけることに罪悪感を覚える」と回答していて驚いた記憶がある。子どもがいる女性は、母は、24時間子どもについていなくてはだめなのだろうか?仕事も子育てもしながら「輝く」なんて、無茶ではないだろうか。
その後も『新しい女性の創造』(ベティ・フリーダン)や『ステップフォードの妻たち』(アイラ・レヴィン)を読んでは「母」に期待されるものや、逆に「母」を排除する場所について考えていた。『名前をなくした女神』はどこに行き着くのだろう。観終わったらまた感想を書きたいと思う。
ブックガイド
『新しい女性の創造』ベティ・フリーダン
言わずとしれた名テキスト。フリーダンは学歴も高く恵まれたように見える主婦たちがなぜ無気力さを感じているのか?と疑問を抱いたところから調査を始める。
『ステップフォードの妻たち』アイラ・レヴィン
こちらは小説。やはりバリバリ働いていた主人公が夫と子どもと共に郊外の「ステップフォード」に引っ越す。子育てと家事を完璧にこなす美しき「ステップフォードの妻たち」。だが何かがおかしい。
何度読んでも恐ろしい。小説としても面白いが、アメリカ社会への「妻」「母」への期待を上手く描いている。恐ろしいことに今の日本にも当てはまる。時代は少しずれるものの、作中にはベティ・フリーダンへの言及もあり、2冊セットで読むと面白い。
映画の方はテイストが異なり、笑えるダークな作品になっている。
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