喫茶店のナポリタンはいつも懐かしい味がする
入口のドアベルが控えめな音を立てる。あと、何人待ちだろう。いち、に、さん。人数を数えながら、隣のメニュー表に視線を取られる。
「ナポリタンか、ミートソースか…」
喫茶店で食べるパスタは、いつでも美味しくて懐かしい味がする。
「ナポリタンにしよう」と心の中で決意したとき、隣から「しょうが焼き定食良いなぁ」と声が聞こえてくる。旦那だ。旦那の誘惑だ。
その誘惑に負けそうになりながら、ずっとメニュー表を眺めていた。今日の気分は、どれだろう、か。
メニュー表と格闘していたら、いつの間にか待っているお客さんは居なくなっていて、すんなりとお店に入れた。あんなにも迷っていたのに、口から出た言葉はやっぱり「ナポリタン」だった。
周りは本を読んでいる方ばかりで、あぁ静かだなぁと、深呼吸をする。ケチャップの香ばしい香りが広がってきて食欲をそそられる。
「はい、お待たせ」
出来たてで湯気が出ている熱々の麺。ふつふつと弾けるケチャップソース。フォークを差し込めば、湯気の向こうに懐かしい香りが広がる。
もちもちの太麺に絡んだトマトの甘み。炒められた玉ねぎの甘さと、ピーマンのほろ苦さ。酸味が強めで、すこし焦げているくらいしっかり炒められていて、美味しい。
窓の外を眺めながら、フォークをくるくると回す。暗めな照明に、静かに流れる昔の曲。わたしには分からない、でも誰かが生きていた時代の曲。途中、粉チーズをすこしだけかけて、あっという間にペロリと食べ終えてしまった。
お腹はいっぱいで、ただ、食べていただけなのに、心がぽかぽかになるくらい幸せな時間だった。ナポリタンは、時間をゆっくりと巻き戻すような、不思議な力を持っている。
「ごちそうさまでした」
どこか昔ながらの味わいがするのは、きっと喫茶店ならではの魔法なんだろうな。そんなことを思いながら、店を後にした。
魔法を身に纏ったわたしは強い。今日なら、わたしは、なんにでもなれる。そんな気さえしてしまうから、やっぱり食べるって素敵なことだ。
すこしだけ背筋を伸ばして、ヒールを鳴らして歩いてみたりする。神保町、良い街だ。また行きたいな。