つながりの格差:不可能への挑戦



1.お金とつながり:二つの格差


 資本主義社会とはつまり格差社会だ。いろんな格差があるが、格差と言えばまずお金の格差のことを指す。資本主義では一部の人たちに膨大な富が集まり、残り大多数は大した富を得られない。べき状の分布になる。

 つながりにおいても、一部の有力者やセレブ、イケイケな人にはどんどん人が集まる。資本主義社会ではお金と同じようにつながりも一部の人にどんどん偏ってしまう。

 つながりとは他者からの承認で生まれる。つまり、孤独・孤立問題とは承認の格差の問題である。つながりを持ってたりつながりを作るのが上手い人にはどんどん人が集まる。逆に、人が寄りつかない人にはますます誰も寄りつかなくなる。このような魅力資源があるかどうかが生きづらさを大きく左右するのだ。

2.つながりの再分配について


 資本主義社会は放置してたらそのまま自壊してしまう。貧困を放置したら死人が増え、治安の悪化や暴動にもなる。競争に任せると社会が荒廃し、経済も安定しなくなる。また、経済活動を資本の都合だけに委ねると自然環境を破壊し、暮らしそのものが成り立たなくなる。このため、資本主義を維持するには社会主義的な措置で適宜調整する必要がある。それが規制や再分配政策だ。社会保障など再分配が正当化される理由である。

 政策によりお金は再分配が可能である。では、つながりはどうか?人を再分配はできるのか?人の再分配とは、行政が孤独な人に誰かをあてがったり居場所をつくる措置だ。紹介システムなどは現実的にできそうである。ただ、お金は与えられるが友だちは与えられるものなか?という議論はよくある。

3.人間関係は勝ち取るものである


 人がエンパワーされるには、自分の働きかけで何かを獲得する経験が大事になる。人間関係においても、自ら主体的に他者と関わり承認を勝ち取っていく経験が必要になると思う。特に友だちや恋人などは関係性により成り立つので、誰かにあてがってもらうだけではできるものではない。

 つながりそのものよりも、つながりを作ったり関係を温めたり、うまく関係を維持する行為に人は快を感じるしエンパワーされるのだと思う。相手との関係性や自分なりの人間関係構築スキルを発揮していくことに楽しみがあるのではないか。

 これまでのやり方で上手くいかなかったのならば、やり方や自分自身を変えていく必要がある。変わることは大変だし恥をかいたり失敗の連続だ。でも、何らかの効果を得ると達成感も得られる。単純だが、わたしがしている路上で知らない人に話しかけたり投げ銭をもらう活動やヒッチハイクで知り合った人を中心にインスタのフォロワーを増やし、いいね!の数が増えると気持ちがいい。

4.新自由主義におけるつながり作りの困難性


 新自由主義は人と人とを個別化しバラバラにする。村落共同体から企業共同体(それを支える近代家族)という枠組みがこれまでつながりを支えたが、今は非正規も増え主流に乗れない人たちがバラバラになり漂流している。

 人は共通の物語がないとつながれない。今は生きづらい人でも、宗教に走ったり、自己啓発に走ったり、ネットビジネスに走ったり、右派になったり左派になったり、みんなバラバラな物語に乗っている。コミュニティも細分化して島宇宙化している。起業家集団やキラキラ系に包摂されればつながりを得てオイシイ思いもできるが、何も共有するところがない人はたちまち孤立してしまう。

 また、能力がなかったり仕事をしていないと人から評価されずつながりもつくれないと思わされている。もちろん、それは社会一般の統計的な傾向ではある。でも、そういう評価軸によらない関係もつくることはできる。

 働けない人や生きづらさを抱える人ほど、むしろ能力主義を内面化し劣等感をもちやすく、どうせわたしなんか人から受け入れられないとつながりの可能性をあきらめることも多い。新自由主義の価値を内面化し過剰に自己規定してしまうことで行動の柔軟性を損ない、そういう価値とはズレたところで人とつながる契機をなくしているようにも思える。

5.親密圏の陥る罠と公共圏に飛び込む「勇気」

 自分の身内や拠り所にしている関係やコミュニティを親密圏と呼ぼう。家族、居場所、ネットのコミュニティなどがある。親密圏は否定されにくく居心地がいい。しかし、例えば社会的弱者の居場所などで、資源の乏しい人同士が集まると余裕のなさから過度に集団や他人に依存したり、誰かを振り回したりしやすい。また、他に依存先がないとコミュニティが荒れていてもそこに居ざるを得なくなる。共依存である。サークルクラッシュ、つまり小集団が侵されやすい害毒の問題である。

 問題は親密圏が煮詰まってくることである。家族が維持できるのは、その家族の構成員が仕事なりで外部からお金など資源を調達してくるからだ。会社も何らかの組織も外部から資源を引っ張ってこれる限り成り立つ。しかし、コミュニティにおいて外部から資源を引っ張ってくる力が不十分だと、身内で資源を食い合うことになる。コミュニティが外と交渉できないと煮詰まってくる。内だけで仲良くするのではなく、外に立ち向かっていくこともコミュニティやその成員には大事なのである。

 公共圏は自分の知らない他者がいる親密圏の外部だ。自分が受け入れられるか拒否されるか未知の領域だ。こういった公共圏に飛び込んで賭けに挑んでいけるかが大事になる。恐れを振り切る「勇気」も必要となる。

6.つながりをあきらめない


 自分は人と関わりたいのに孤立してしまうタイプだ。自分のようにやっかいな人間は自分に合う人を頑張って探さないといけない。つまり、数を打たないといけない。自分に好意をもってくれる人、さらには自分をもてなしてくれる人も世の中にはいるのだと、路上で投げ銭をもらったり人に思い切って話しかける経験を通して知るようになる。

 普通のやり方だけでなく、いろんなやり方でつながりを作れるのを経験した。人からお金をもらったりご飯を奢ってもらうことでもつながりはできたりする。

 資本主義から落っこちた人がつながりを作るのは大変だ。中々上手くいかないけれど、たまにすんなり自分の味方になってくれたり、思わぬ形で人とつながりを持てたりもする。不可能な中にも奇跡が起こる。奇跡、つまり革命だ!

 つながりを作るにはコストがかかる。人と会ったり、どこかに出向いたり、相手のために何かしたり、コミュニケーションの試行錯誤をしたりと、手間や時間がかかる。足を使わずに誰かいい人現れないかなと受け身でいては、中々人と出会うのはむずかしい。

 つながりが欲しいのにつながり作りにエネルギーやコストをかけないでいると、結局はそういう行動力の乏しい人や魅力に欠けた人ばかりしか周りにいなくなる。いいつながりが欲しければ、ある程度の手間や工夫が必要になるということだ。

 無名の人間ならまず自分のことが認知されることが第一で、そこからしか勝負は始まらない。能動的になってコツコツ人と知り合い自分に合う人を見つけることを繰り返していくしかない。あきらめないことだと思う。

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