なんで好きになったんだっけ。
「ことばに関わる仕事に就きたい」
「書くことで生きてみたい」
そんな漠然とした夢をここ数年思い続けてきた。
ついに迎えた就職活動。視野を広げろと言われようと、頑なに「ことば」「書く」関係の職種に絞った。なかなかひどい結果だったけれど、そんな中で唯一私を掬ってくれた、来年から入社する会社も大きく見れば「ことばに関わる」「書く(ことに関わる)」会社だ。
しかし私は、大学生ながら作品を世に出しているわけでもなければ、細々と何かしらの書くことを続けてきたわけでもない。noteだって、オタクごとを除けば今回が初めての記事。書いていなければ落ち着かない!というようなことは、正直無い。
就職活動中、心のどこかでずっと思っていた。
そもそも、私はなんで「ことば」や「書くこと」を好きになったんだっけ。
面接官に話すためのよく出来たストーリーではなく、何ともそれらしい志望動機でもない“好きになった理由”を、振り返って、思い出してみる。
…実はそれほど好きなわけでもなく、ただ「書くという好きなことがあると思い込んでいた」だけだったらどうしよう。ちょっと怖い。
1年生の終業式
小学校1年生、当時通っていた学校では終業式にそれぞれ学年からひとり、自分の作文を音読するイベントがあった。
代表の児童は立候補ではなく先生たちが決めていた。そこで、私の作文は選ばれた。
どの季節の終業式だったか、どんな内容の作文だったか、まるで覚えていない。
しかし、体操座りをした1000人弱の目がこちらを見上げていた。作文用紙を貼り付けた赤い画用紙を両手で広げ、スタンドマイクに向かって自分の作文を読み上げた。あの光景だけ鮮明に覚えている。
嬉しかった。
「学年の代表に選ばれた」という事実が、7歳の私を得意にさせた。
市の作文集
私が住んでいた市では、市内の小中学生が書いた人権に関する作文集が毎年配布された。各学校から数人選ばれて、低学年の部、高学年の部、中学生の部…というように作文が載る。
この流れでわかるかもしれないが、2年生とたしか5年生(6年だったかもしれない)のときに載せてもらった。
もともとの性格上自己肯定感やプライドがあり余るほど高かった私は、市内で限られた人のみ載るその作文集に自分の名前があることを、誇らしく思っていた。
「私って、書くことが得意なのかもしれない。」
うん。非常に調子に乗っている。
しかしたしかにこの辺りで、自分の「書く」ということに関して、そのような見方をするようになったと思う。
作文コンクール
中学生。部活動でそれなりに忙しく毎日を過ごしていた。
3年生の夏休みの課題で、市の作文コンクールに応募した。「得意なのかも」と調子よく自負してはいたものの、課題以外で自主的にことばを紡ぐような真似はしていないし、さすがに今回は選ばれないだろうと思っていた。
本気で時間をかけて書いて選ばれないのは恥ずかしいし、逆に選ばれて注目浴びるのもなんだかね…とかなんとか。完全に予防線である。
結果として、選んでもらった。
市役所に行ってちょっとした景品をもらい、写真を撮った記憶がある。
そりゃあもう調子に乗った。困ったことに「得意なのかもしれない。」という自意識が「得意なんだ。」に進化してしまった。
つまらない過去の自慢話になってしまっているが、たとえ自意識過剰であっても、得意なんだという意識は私に自信をくれた。
褒めてもらえたら嬉しい。書いたらたくさん褒めてもらえた。だから書くことが好きになった。
我ながらなんと安直なんだろう。それでも、正直な最初のきっかけはこれだ。誰だってこんなものなのかもしれない。わからないけど。
書くことに楽しさを見出し始めたその頃から、友人たちに手紙をよく書くようになった。
手紙
書くことの中でも、手紙を書くことが大好きだ。
中学卒業時には仲の良かった友人それぞれに書いたし、二十歳の誕生日には両親と祖父母計6人に贈った。友人に誕生日プレゼントを渡すときには一筆どころか、長々と思いをしたためた手紙を押し付ける。
重いな、と気心知れた友人には笑われるけど、きっとこれからもことあるごとに送りつけるだろう。だって書いてる私が楽しいから。また重くるしい手紙が来たぞと笑ってくれればそれでいい。
人によっては引かれるだろうが、好きになって1年の推しにも、すでに何通も贈っている。ファンレター専用に買った30枚入りの便箋は、次回でなくなる。
手紙を書いていると、幸せになる。
相手の好きなところ、楽しかった思い出、感謝の気持ち。書きながら初めて自分の気持ちに気づくこともある。あ、私こんなに彼/彼女のことが好きだったんだと知る。わざわざ手間をかけてきらいな人に手紙を書かない。私にとって手紙を書くという行為は、相手のことを大切に想う気持ち、好きだという感情に直結している。
書くことが好きになったから手紙を書く機会が増え、手紙を書く機会が増えたから書くことがさらに好きになった。
読書と広告
人から褒められ嬉しかった経験から書くことが好きになって、書く頻度が少しだけ増えた。そんな高校時代に出会ったのが、有川浩(有川ひろ)さんの本だった。
元から読書を好きではあったけれど、こんなにも心を奪われたのは初めてだった。
お気に入りは図書館戦争シリーズ。ベタだけど。映画化やアニメ化されるほど有名な作品だと知ったのは、全6冊を読み終えたあとだ。
文字でここまでひとの心を動かせるものなのかと感動した。推しに目の前で愛を囁かれたわけでもないのに、それと同等なのではないかと思えるほどのときめきを、文字から得られることへの驚き。グッとくる一文を読んでは顔を覆い、ベッドの上でジタバタと悶えた。
またこの頃からスマホを持ち始め、SNSを使うようになる。そこで、広告のキャッチコピーに興味を持った。忘れもしない最初のきっかけはこの作品だ。
たまたまTwitterで見かけた。それだけだったのに、視点の斬新さやメッセージの込もったことば選びに心を打たれて、鳥肌が立ったことを覚えている。
様々な受賞作を見てショックを受けたり、思わず涙を滲ませたり。ことばによって鳥肌が立つ感覚に夢中になった。
単語ひとつ、たった一文字で受け取り方が変わってくる世界。とても、とても面白いと思った。新たな作品を知るたびにワクワクした。この作品のこの単語が違ったらどのような印象になるか想像するという、女子高生がするには何とも地味な遊びにハマった。
ことばに対してそれまでより少し敏感になってから歌を聴くときも歌詞に注目することが増えた。関係ないけど最近はヨルシカさんに遅ればせながらハマっている。
ライターという職業を知った。憧れている、妄想ツイートが大好きで当時からフォローしていた夏生さえりさんにお付き合いしているひとがいると知ったときは、勝手に親友に先を越されたような気分になった。勝手すぎる。今も大好きです。
好きな作家さんとの出会いやSNSを通してブワッ!と世界が広がったこの時期をきっかけに、語彙や語感に興味を持った。喜びを表すことばが何通りも存在する中で、なぜこのことばを選んだのか。このことばでしか表せない感情や景色とは一体何なのか。この興味は、そのまま大学の学科選びの軸となった。
いつかこんなふうに、自分の紡いだことばと文字でひとの心を動かしてみたい。魅力のつまったことばの世界で生きてみたい。
シンプルで単純な「好き」が、夢や目標のようなものに変わった。
今回は「なぜ好きになったのか」が主題。夢や、いつか書いて携わりたいものについては、また次の機会に書きたい。
「話す」ことから知った、「書く」行為の魅力
なんで「ことば」や「書くこと」を好きになったんだっけ。最後の理由。
最後に消極的なものをもってきてしまうけれど、私は改まった場や互いの感情がヒートアップしている状況で、自分の思いを話すことが苦手だ。
喧嘩などもってのほか。体が受け付けない。マイナスな空気の中で、向かい合って腹を割って話すということが極端に苦手なのだと思う。納得していないまま謝るか、無理やり話を切り上げる。そんなだから、縁を切ったような形で会わなくなった知人もいる。
言いたいことはたくさんある。原来ごちゃごちゃと考え込む性格で、考えていることもそれはそれはたくさんある。しかし怒っている相手を前にすると、何もかもが弾け飛んでしまって何も言えなくなる。「なんで何も言わないの!?」などと言われてしまうともうゲームオーバー。言わないんじゃなくて言えないのだ。「なんで」なんて、こっちが知りたい。
そんな自分の性格を思い知る機会が大学時代にあり、書く方が性に合っていて好きだと実感した。書くときは、一から気持ちに向き合って、自分の考えていること、相手への思いを丁寧に伝えられる。マイナスなことでも、書いて伝えるのならがんばってみようと思える。
とはいえ話すことが苦手なことについては、社会人になる身としても、逃げずに少しでも改善できるように努力しなければいけない。それはそれとして、私は「書く」という行為のもつ丁寧さが好きなのだと改めて感じた。誰かの目に留まる場所に出すまでは、何度だって消し、もっとふさわしいと感じる表現に変えることができる。手を動かしながら、頭を捻らせながら推敲を重ねたのちに、自分の心を表現できる。今の時代は、本来関わるはずのなかった人にまでその思いが届くことだってある。
語彙、文の並び、一字一句の表記の仕方。
細かなことにすみずみまでこだわって表現できる「書く」ということ。振り返ってみれば好きな理由はそこら中にあったみたいだ。良かった。
これからも丁寧に、しかし自分の思いに正直に。
ここでは書きたいことだけを書いて、より楽しんでいけたらいいな。
いつか、誰かの心にそっと寄り添って、読んでいる間だけでも明るい気持ちになれるような、そんなことばを紡げますように。