初体験三昧、藤井風のおうち訪問 【ライブレポート】
6月16日、藤井風のライブ「Fujii Kaze alone at home Tour 2022」に行った。
昨年末、紅白歌合戦で初めて藤井風の曲を聴いた。一緒に観ていた母と「夏頃ライブ行くほどハマっとったりしてww」なんて笑っていたのが、現実となった。
きちんとライブレポートらしくセットリストを載せたりしたかったのだけど、ライブ後特有の興奮もあり、まともな記憶が出てこない。
それでも。
書き残しておきたい感動や景色がある。すごかった。初めての経験がたくさんあった。とにかく、思い出すままに感想を書き留める。たぶん抜けや記憶違いがたくさんあります。ご容赦ください。
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会場に入る。ステージには真っ赤な幕が下がっていた。幕の前には、左右に色とりどりの花が咲く。ホームセンターにありそうな、かわいらしいサイズ感のお花たち。
開演の19時になり少し待つと、ジーーーという、舞台で流れるあの開演ブザーが流れた。会場一体が、期待のこもった拍手に包まれる。勝手に目が開き、口角が上がったのがわかった。始まる。
幕が上がるとそこは、「家」だった。
なるほどツアー名にある、at home。向かって左側にソファー、その奥にテーブルや鏡、中央には立派なグランドピアノが鎮座する。ピアノ、なんかオーラ放ってた。右奥にはハンガーラックがあり、いくつか洋服がかかっている。右前に扉。これまた舞台で、家の中の場面を見ているような感覚になった。
現れたのは、ピンク色のゆったりとしたパーカーを着た藤井風。小ぶりなギター?ウクレレ?を抱え、ソファーに佇んでいる。徐に始まった最初の曲は洋楽だった。ごめん、何だったか覚えていない。
私は、ライブの1曲目といえば盛り上がる曲がくるのがセオリーだと思っていた。あの一瞬でボルテージがグワンと上がる感覚が好き。今日も仕事をしながら、何が一発目にくるのかわくわく想像していたのだ。しかし予想は大きく外れる。良い意味で力の抜けた優しい声色のバラードから、藤井風のライブは始まった。休日にふと練習したくなって口ずさんでいるような、リラックスした雰囲気を感じた。
中央のピアノへ移り、弾き語りで洋楽を歌う。
終わると、彼はコップを出し、水を飲み始めた。人の水分補給をシンとした会場が見守る光景、なかなかカオスで面白い。英語での軽い挨拶が入る。奥からじょうろを持ち出した藤井風が、左右の花たちに水をやる(フリをした。それはもう適当に。本当に水が入っていたらそこらじゅう水浸しだよ、ってくらい、適当に。)。彼の一挙一動を、会場にいる全員が固唾を飲んで見守っていた。私は特に事前情報を入れずに行ったから余計にそう感じたのかもしれない。次は何がくるんだ。
英語で話す挨拶の中に、「garden」という単語が聞こえた。幕が開く前からあった左右の花たち。水やり。ああ、なるほど。全てが繋がる。『ガーデン』の弾き語りが始まった。
この曲は特に好きというわけではなかった。アルバムを再生する流れで聴いてはいたけれど、歌詞も完璧に覚えていない。しかし、弾き語りで彼の歌声を聴くと印象が大きく変わった。歌詞の言葉ひとつひとつが、注射器で刺したかのように体の中にどくどくと入ってくる。
絵本みたいだ、と思った。
そこには綺麗なものしか描かれない。鳥も、雲も、夜も、空も、私とあなたに淀みのない美しい世界を見せてくれる。理想郷のような空気感がそこにはあった。私、ちゃんと藤井風の曲を聴けていなかったのかもしれない。序盤にしてそんな反省めいたことを考えていた。
次の曲は『きらり』。もう、何回聴いたことか。大好き。
ラスサビ前の、一歩ずつ階段を踏むように音階が上がっていく音の連なりから、〈どこにいたの 探してたよ〉への繋がりが好きだった。しかしここでもまた予想は裏切られる。さぁラスサビ! というタイミングでフッと音が止む。そうして最高潮に盛り上がるはずのラスサビの最初は、ファルセットで息を吹き込むように奏でられた。次の瞬間、鍵盤を叩くように力強いサビへと変わる。
これは彼の思うがままに動いていく演奏会なのだと察した。次に何が起こるか全く想像がつかない。もしかしたら藤井風自身も、わかっていないのかもしれない。
『ガーデン』で一瞬歌詞を間違えたときにサラッと同じ箇所をやり直したのも、『きらり』でのアレンジも、彼が一人で弾き、一人で歌っているから為せる技。私は藤井風の家に遊びにきたのだ。
曲が終わり、再び水を飲む藤井風。
水、こぼす。服、濡れる。
「……こぼしてしもた。」
これ、今回の日本語第一声。そんなことある?
右奥のハンガーラックから着替えを取り出し、なんとその場でお着替えを始める。めちゃくちゃ美脚でびっくりした。ほんと面白いなこれ。こんなのありなのか。本当に家の中を覗き見ているようなライブの雰囲気がただただ愉快だった。マスクの中でニタニタが抑えきれない。
チャイムが鳴り、電子ピアノが届けられる。ほやボーイのぬいぐるみも同封されていた。かわいい〜じゃなくて、え、電子ピアノ、え???
中央にあるグランドピアノの前、床に設置された電子ピアノ。まさかと思ったら本当にそうらしい。ここで寝そべって曲弾くのか。まじ???
そこからは、お客さんからのリクエスト曲を藤井風が寝そべりながら弾き語りするコーナーとなった。抜けがあるかもしれないけれど、演奏された曲の一覧を書いておく。
以上が、事前に会場で募集されたリクエスト曲。レイニーブルーと楽天の応援歌は、なんとYouTubeで音源を調べてから耳コピで弾いていた。絶対音感持ちだとか、普段の配信でよくやっているとか、それは知っていたけれど、スッゲーーー、とアホな感想で頭がいっぱいになった。だって楽天の歌とか1、2回聴いただけでそのまま弾けちゃうんだよ。すごい。
『帰ろう』を聴いたとき、自然と泣いていた。理由はわからない。ただ泣いてた。一音目が鳴った瞬間の引力がものすごくて、なだらかに響く歌声がとても暖かくて。この曲を聴けた幸運に感謝した。
母は、私より先に藤井風を好きになっていた。母世代の人たちが藤井風の曲を好む理由が少しだけわかる気がする。なんというか、人生経験を積んだ人ほど響く曲なのだと思う。『帰ろう』は特に。きっと私はこの曲の深みを、全然理解できていない。一歳しか変わらないはずなのにこの世界観を作り上げられる藤井風って一体何者なんだ。少し怖さまで感じる。人生8回目だったりするんかな。
次は、会場から直接リクエストを募るらしい。客席の構成上見切れ席があるため、今回はそこに座る人が優先となった。ずっとチラチラと端っこを見ているなとは思っていたのだけど、どうやらずっとその見切れ席を気にしていたらしい。優しい人だなぁ。
ご当地ソングの割合高くておもろい。宮城県民1年生、一緒に楽しませてもらいました。
本人が知らない曲が出てくる可能性も大いにある中で、お客さんからのリクエストをその場で演奏する心意気、冷静に考えたらとんでもないことだ。その絶対的な自信と度胸に感服した。成功させる自信があるというよりは、知らない曲のリクエストが来ても会場の雰囲気を保てる、というお客さんとの空間への信頼を感じた。
ゆるゆるとして見えて、大きな緊張と闘っているのかもしれない。それでも「生演奏」というガチガチな高級感よりは、ピアノを得意とする友達の家で「ねぇあれ弾いてよ!」とお願いするような柔らかな空気を感じるからすごい。この日この場でしか聴けない、もう二度と味わえない体験をとてもありがたく思う。
「そろそろ藤井風さんの曲を歌おうかと思うんですけれども、」と中央のピアノに戻り、『何なんw』『ロンリーラプソディー』『青春病』『燃えよ』が披露される。
『ロンリーラプソディー』を歌う前の話が印象的だった。孤独を感じることもあるだろうけど、大きく見れば人は皆同じ、と彼は言う。
きっと藤井風という人は、私が思っている以上に繊細な心を持っているのだろう。割れないシャボン玉みたいな人だなと思った。ふよふよと宙を舞う、空気と一体化できる柔らかく美しい、光を一身に纏う球体。
個人的な現状に『青春病』の歌詞が突き刺さりすぎて、ここでもまた泣いた。
痛い。歌詞を書き写すだけでなんかまた泣きそうになっている。この感想は心に留めておきます。ひーん。
ところで青春病のジャケットの藤井風さん、かっこよすぎて直視できなくないですか? これ↓
『青春病』や『燃えよ』でライブの特別さを感じたのが「低音で発声が切り替わる瞬間」だ。ある音を境に、藤井風の声の出し方が変わったのがわかった。瞬間鳥肌が立った。地の底をさらに掘り下げるような、彼にしか出せない深い深い音が脳を揺らす。ああ、今、私はこの人の声を聴いている。ピアノの音以外何もない、加工もない生まれたての声を、私は今浴びている。思わず手を握りしめた。やっぱり私は、ライブが好きだ。
そんなライブもそろそろ終盤。
続く『damn』と『まつり』ではミラーボールが吊るされ、会場が大きなカラオケ部屋のような顔になる。終盤にして初めて音響から音源が流れた。心臓に直撃する重低音。ビカビカと観客を刺すように駆ける光線。思わず体が動く会場の熱気。ステージを左右に行き来し、ゆるくダンスしながら歌う藤井風。私が知ってる“ライブ”だった。これこれェ!!
この2曲、めっちゃくちゃ楽しかった。『まつり』ではMVの振付を会場中が踊った。本当に屋台とか金魚すくいとかがそこにありそうな、祭の雰囲気そのもの。隣にいた物静かそうなお兄ちゃんが突然ノリノリで踊り出して「うわ、好き……」って言った。心の中で。ライブでノれる人大好き。ステージの2階に上りマイクスタンドで熱唱する藤井風の頭にはハチマキが見えた。楽しかった〜!
思えば私がこれまでに行ったライブは、音響から音源が流れるものか、バンド演奏かの2択だった。こんなにも長い時間、ピアノしか使われないライブは初めてだったのだ。様々なことが新鮮だった理由をここへ来て理解した。弾き語りの良さも、音源を使う良さも両方感じられた。
ライブを締めくくるのは『旅路』。
中央のグランドピアノへ戻り、最後の弾き語りが始まる。聴きながら私は、この2時間のことを思い返していた。
先ほど藤井風を「割れないシャボン玉」と表した。シャボン玉なのに「割れない」と感じたのは、『まつり』であり祭でもあった時間が終わった後の話を聞いたからだ。
彼は、壁にぶつかるときもあるけれど、自分の中には絶対にパーフェクトな人間がいるのだと信じている、と言った。繊細な心に潜む強靭な芯に触れた気がした。寝そべりピアノ演奏をライブでできる強さに圧倒されたのを思い出す。繊細で、優しくて、深く広い心を持ちながらも、その奥には絶対に揺るがない、人類の幸せを願う炎を抱えている。藤井風を好きな人たちが壮大なことを言う理由がわかった。
まぁ、明日も生きるか。
そんな気持ちになった。雑な感想に見えるけれど、これなのよ。過去の傷や黒い思い出を笑える日が来ることを、一応、わかってはいる。それでもウジウジモヤモヤと考えてしまう。『旅路』は後ろからそっと抱きしめるかのように、肩の力を抜いてくれた。
とりあえず、明日。それを繰り返していくうちに、今の靄は少しずつ薄くなっていく。そのはずだ。
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個人的に初めての経験をたくさんさせてもらえたライブだった。おうちを覗かせてもらいながら、藤井風の生み出す音楽に酔いしれる時間。ファンと一緒に、今回一度きりのライブ空間を作り上げる時間。貴重な2時間だったなぁ。
紅白を見た私、ナイス。
先にハマってた母、ナイス。
理想を含めた勝手な妄想ではあるけれど、藤井風はきっとどれだけ大きなアーティストになろうと、あの寝そべってのほほんと優雅に歌ってくれた彼のままでいてくれるのではないだろうかと思う。そうある優しさと強さを兼ね備え、彼を愛する人たちの道を照らし続けてくれる人だと感じたライブだった。
5000字に及ぶ感想の羅列を読んでくださった皆様、ありがとうございました。行ってよかった!
藤井風さんありがとう!
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