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突き放すことに愛を見る〜ゲーム「moon」プレイ雑記
switch版「moon」を、先日ようやくクリアした。
2023年の秋に購入してからだから、約1年がかりである。
以下は、ネタバレ含むその感想です。
最初にゲームを始めて、例の「ゲームなんかやめて⋯」という台詞でお母さんから注意を受けたとき、
私はゲームが好きなことを、ゲームが好きな自分自身をも否定されたような気がして、実は少し不愉快だった。
初回ED到連時も、このセリフは、あまりに残酷な結末を容赦なく締めくくる一言として機能しているように感じた。
ラブが足りないと、勇者の凶行をとめることもできず、なすすべなくやられてしまう。
助けたアニマルたちも、ムツジローも、ヨシダさんも、そして女王様とドラゴンも殺され奇盤となってしまう。
「しまった、やっぱりラブがある程度足りないとバッドエンドなんだ⋯!」と愕然としている中、響く無情な声。
「ゲームなんかしてないで、早く寝なさい」
暗い画面と沈黙したゲーム機。
容赦なく突きつけられる現実、そして明日も早く起きて仕事に行かなければいけないというもう一つの現実。
ダブルで打ちのめされながら、現実世界の自分が本体の電源を切るという始末だった。
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真エンディングもこの展開は変わらない。
ラブを集めきって、今度こそ、と意気込み臨む宇宙飛行。
約束されたハッピーエンドを待つ祝福されたような雰囲気の中、何度ボタンを押してもやっぱり扉が開かない。
前回と同じセリフをなぞる、展開が変わらないことへの絶望感。ムツジローの間延びした声で容赦なく抉られる心。
何が足りなかったんだ?悶々と考える中、前回と同じように現れ蹂躙していく勇者。またも斬られるもう1人の自分。
しかしそこで称号が(ラブのビックバン)までたどり着いていると、少しだけ展開が変わる。
透明な自分が切られた直後、勇者であるもう一人の自分も消える。
現れた現実世界でのゲームオーバー画面でCONTINUEかNOを選ぶことになる。
私は初見時、迷った挙句にCONTINUEにした。
私はカービィ 64で、ラスボス戦時「つづける」「がんばる」の選べない2択を経験した世代だ。
ゲームセンターCXで、時間の限りレトロゲームと戦う有野課長を見ている人間だ。
そんな自分が、破壊されたムーンワールドを放り出したままやめていいのか。あの住人たちを助けないと。
そう思って続けることを選んだ。
だが、選択は実体を持った自分を再び透明にしてしまう。
自我の境界が揺らぐ。やばい、まちがえた!と確信した瞬間、ゲームの中に再び入りこんでしまう。
そしてEND。ラブデリックのしかけた罠に見事にはまったわけだ。
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扉を開けること。それははじめ、ゲームを放り出す選択のように思えた。
でも、そうではなかった。現実の延長にゲームの世界がある。
ゲームの世界は閉じられていない。そこを救うには、地続きの現実の世界に飛び出す必要があるのだ。
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個人的に鍵は「扉を開けて」、「月を光で満たす」ことではないかと思っている。
月は自分で光ることができない。故にゲームの世界であるムーンワールドにも、現実世界の光が必要なのではないかということ。
扉を開けて、差し込んでくるのは現実世界の朝日。太陽の光だ。
扉から光が差し込んで、月が光で満ちると、奇盤だったキャラクターたちが姿を取り戻し、ゲームにエンドマークが現れる。
劇中キャラのクリスが歌うスタッフロールの中、現実世界に紛れたかのような、キャラクターやアニマルたちの姿がある。
その光景は彼らが閉じられたムーンワールドから解放されたのと同時に、現実世界の延長に、このムーンの世界がある、という風にも私には感じられた。
ムーンワールドの主人公となった自分を含むキャラクター達には、それぞれの行動、生き様が記された「奇盤」があった。
ゲーム上で行動を規定するプログラムである、ゲームの「基盤」にかけているのだろう。
その先をつむげるのは、奇盤をもっていない現実の、ゲームをプレイしている自分自身しかいないのだ。
ゲームなんか、と言っているお母さんは、ゲームそのものを否定しているわけではない。
正確には、ゲームに夢中になって夜更かしをしていることを注意しているのだ。
私たちは、確かに地に足をつけて現実の世界を生きている。そこをおろそかにしてまで、ゲームをするな、ということだ。
子どもの頃よりゲーマーの身としては耳が痛い。
このエンディングにたどり着けるのが、このゲームをやりこんだ人というのもまたミソであるように感じる。
それだけムーンワールドを探索し、遊びつくした人だけが至れる場所。
通常のゲームであったら、真エンドというのはわかりやすい救済が用意されているように思う。
けれどmoonは違う。やっとたどり着いた最後のフィールドで、助けたアニマルたちに迎えられて、月へようこそ、と迎えられたのに、そこで突然手を離される。
深く入り込んだ世界から、突然切り離されて、
夢を見ていないで、現実を見ろ。そう突きつけられているようにも感じる。
ムーンワールドで出会える人々はみなどこか奇妙で、でも魅力的だ。
童話のようでありながら、どこか現実世界でも見たような人たち。
極端にリアリティな要素も持っている。離婚歴のあるイビリーなどがその例だ。
かと思えば、アメリカンファミリーのような、属性から感じられるステレオタイプさも持っている。
独自性で知られるMOTEHRシリーズにも通じるユニークさ。でもそれよりももっと毒気が入ったテイストがある。
アンチRPGという構造もだが、全体的にどこか現代社会を皮肉っていて、人を選ぶ作品という評は当たっているなと感じる。
エコ倶楽部のくだりなどは、簡単には触れがたい雰囲気を感じるし。
ポッカの変態性などは、別になくてもいいだろうにとも思う。
第二拠点である家を出るたびに、自ら磔になっている彼を見ると毎回何とも言えない気持ちになる。
ショートカット機能でお世話になるおしべとめしべも、少ないセリフながらアクが強い。
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でも日曜日にイビリーの飛行機が無事に飛べば、自分のことのようにうれしくなるし、おばあちゃんが病気から治ったらほっとするし、ノージとの別れでは涙が出た。
moonというゲームは非常に作りこまれている。
時間帯・曜日によってキャラクターの行動が変わり、特定の条件下でないと見れないイベントも多々ある。
それだけそれぞれのキャラを作りこんでいる。
それに、愛がないといえるのか?
否。愛がなきゃできない仕事だ。
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愛とは、ラブとはなんだろう?
原作版セーラームーンに有名なセリフがある。
「だきしめて キスをするだけが愛してる証拠じゃないわ スモール・レディ
遠くからそっと思うだけの見守る愛のかたちだってあるの」
決して目に見えるものだけが、わかりやすい形のものだけが、愛ではないことの証だ。
ゲーム開発者側は、ずっとこの世界で遊んでいてほしい、ゲームをプレイしているときは、幸せな気持ちを感じてほしい、そんなことを考えて作っている人たちも多いだろう。
実際インタビューを読んでいると「ずっと遊べるように」という思いを語られている方は多いように感じる。
その中で、あえてゲームを愛する人に、ゲームから離れて現実を生きろと言う。
矛盾しているようだが、それもまたラブ。愛なのだ。私はそう解釈している。
ゲームの世界だけに閉じこもらず、現実世界にも意味を見出して、人生を楽しみなさい。
晴れやかな空の下、自由に動き回る様子のアニマルたちを見ながら、私はそんなメッセージを受け取った。
決して万人受けするゲームではないが、刺さる人にはとても刺さる。
そんな意味がよくわかった作品であった。
私はmoonに費やした時間を、少なくとも、苦労はしたけれどなかなかに楽しい日々だったと感じる。
ゲーム終盤はラブ集めのために、しらみつぶしに色んなキャラをストーキングして過ごしたり、
ひたすら城のベランダで座ってイベントが起きるのを待ったりと、なかなか歯がゆい気持ちもあった。
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でも、それらの時間を経たからこそ、新しい発見をしたときの喜びはひとしおであり、
かけた時間に対して、作りこまれた愛を感じられたからこそ、クリアした今、このゲームに費やした日々を愛せているのかもしれない、なんて思った。
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ゲームクリアの翌日の天気は、抜けるような冬の青空だった。
そこにEDで見たアニマル達の姿がいる気がして、私は今日も頑張るか、と通勤路を行くのだった。