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すゞめ-7


 村を出る前日、春休みのある日、エダさんは、田圃に入り床土作りを手伝っていた私の所へやって来ました。

「毎年、やっていらっしゃるけれど、床土作りとはなんですの?」

「田に肥料や燻炭を混ぜ込んで、稲のために土を育てるのです。」

「そうですか。」と、エダさんは土の均された田圃を見渡しました。

エダさんは、これまで田畑の仕事を手伝ってはいませんでした。コギノのお家が、エダさんに手伝わせないようにしていたのです。

 白い丸襟のブラウスに、紺袴のエダさんの隣で、私は泥だらけの足が恥ずかしく、丈の短い継の当たった野良着も恥ずかしく、エダさんの隣から、少し後ろに下がりました。

「私、明日村を出ますの。」

 村人はとうに知っていることでしたが、エダさんは宣言するような調子でそう言い、私は「ええ。」と応えました。

 エダさんは、視界から隠れていた私の方に、身体を向けられました。そしてあの、涼やかな厳しい目で、私を見つめられました。エダさんには、何か、私に話したいことがあったのだと思います。私はそれをずっと察しておりましたが、「どうされました。」と問うことが恐ろしく、私は黙っておりました。エダさんは、何度か口を開こうと喉に力を入れられたようでしたが、結局は口を噤んでおしまいになりました。

 翌日の早朝、エダさんを村総出でお見送りに出ました。と言っても、港まで出向くことはできません。始発のバスが出て、初めのカーブを曲がって見えなくなるまで、村の入り口でお見送りするのです。

 母は私に「港まで行ってもいいのですよ。」と言ってくださっていましたが、私は固辞しました。私は、船に乗り街に出て行くエダさんを見送ることが、できませんでした。自分にはその資格がないと、私は知っていたのです。

 早朝の朝日に照らされて、コギノのお家から出て来たエダさんは、ブラウスもスカートも眩しいほどお似合いで、そしてきりりとしたお顔は、戦場に向かう戦士のように、エダさんの魂の強さを現わしておりました。

「まあ、お綺麗におなりだこと。お母様と、よく似ていらっしゃる。」

 誰かが、そのようにエダさんのことをお褒めになりましたが、エダさんの戦士のお顔には、不快も喜色も、自慢すらも浮かびませんでした。村の中を歩きエダさんは村の入り口で、見送りに来た村人に向き直ると、きびきびとした丁寧な動作で、見送りのお礼をし、頭を下げられました。

「ああ、行って来い!」

「頑張っておいでね。」

 大人たちからは、誇らしそうに激励の言葉が出ましたが、エダさんはそれを戦士のお顔で受け、一礼してバス停に向かわれました。

エダさんについてバス停に渡ったのは、結局私だけでした。バスを待つ間、私はお話しすることができず、ひたすら地面をついばむ数羽の雀を見ておりました。

バスが来ると、雀は追い払われるように、飛び立ってしまいました。

乗り込む直前、エダさんは私の方を振り向かれ、私の肩に手を置かれました。

「メルさんも、頑張って。」

 それだけ言うと、エダさんはバスに乗り込み、一度も振り向いてはくださりませんでした。

私は、何も言葉を返すことができませんでした。私は、エダさんの心の内もすでに知っていたのです。エダさんは、私と共に大学に進むことを望まれていました。エダさんはきっと、そう言いたかったに違いありません。

しかし、私は昨日もそしてこの決定的な別れに際しても、その思いに応える言葉を持ってはいなかったのです。

振り向かずにバスに乗る彼女が、大きな翼を広げ飛び立つ、鷹の姿に見えました。彼女は離陸し空に舞い上がりました。地上から、眩しい空を見上げる私に影を落としながら、彼女は一切振り向くことなく、南の海へ渡っていかれました。私は飛び立つ彼女を、地上から見送るばかりでした。

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桜ノ本棚
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