才能の在り処
「才能」
物事をうまくなしとげるすぐれた能力。技術・学問・芸能などについての素質や能力。
私は、みんな1つ以上何かの才能を持っていると思う。
だから、「私には何の才能もないから…。」「これといった取り柄もないし…。」と言っている人を少し不思議に思っていた。
最近読んだ本に、私の言いたいことが書かれていて驚いた。
これは、みんなが才能を持っている前提で書かれている。しかも1つ以上。
「○○の天才」「○○の才能がある」の○○は、たくさん種類があって大小さまざまなのだと思う。
友人の才能
例えば、友人のあんずちゃん(仮)は、その人が何を言われたら嬉しいのか、何を言われたら嫌なのかを感覚的に理解できる力を持っている。
彼女が末っ子だからというのもあるかもしれないが、気を遣うそぶりを全く見せず、無意識でやっている。
私は、これは立派な才能だと思う。
また、彼女には抜群の運動センスがある。走るのも球技も、特に努力しなくてもできてしまう。
でも、彼女は運動が嫌いなのだ。
20分歩くのも嫌で、運動はなるべくしたくない。そんな人だ。
運動が好きでもセンスが無い私は、やはりそれを、もったいないと思ってしまう。
でも、才能があることを好きになるかは本人次第だし、その才能を伸ばすかも本人の自由である。
気付いた才能
かくいう私にも、才能がある。
「努力の才能」だ。
これは周りの人に言われて気付いたもので、私にとっては当たり前だった。
言われてみれば、塾では「頑張り屋さんで賞」をもらったし、卒業アルバムに書いてもらったどの先生からのメッセージにも、「努力」の文字が入っている。両親や友人からも努力の面で褒められることが多い。
努力が苦ではなく、むしろ楽しい。
人よりもちょっと努力できる、頑張り続けることができる。
これも立派な才能なのだと気付いた。
才能の在り処
大学生になってたくさんの人と関わるようになって、より一層思う。
やっぱり、みんな1つ以上何か才能を持っていて、
その才能に気付くか気付かないか。
それを好きになるかならないか。
それを伸ばすか伸ばさないか。
の違いだと思う。
好きなことに才能があったらラッキーだけど、そううまくはいかない。
いろんなことにチャレンジして才能を見つけるもよし、見つけた1つの才能を磨いていくもよし、あえて才能もセンスも無いようなことに挑戦するもよし。
才能って感覚に近いもので、それが才能だと自分では気付いていない人も多い。
私にも、まだ気付いてない才能があるのかも!と思うと、わくわくする。
そう思うと、やったことないことでも挑戦しやすくなる。
どこに潜んでいるか分からない。偶然出会えるかもしれないし、一生出会えないままかもしれない。
才能っておもしろい。人生のスパイスみたい。