フリーランスママが経営者に。ようやく芽生えた志(こころざし)とは? vol.1
皆さんこんにちは!初めましての人は、初めまして。静岡でマーケティング会社を経営しているハルと申します。
もうすぐ会社の2期目が終わります。2020年にフリーランスになって、2022年に法人化し、とってもありがたいことに売上も右肩上がりに増え、業務委託として関わってくださるスタッフさんも増えました。
お取引企業さんや、セミナー登壇などの機会も、最近では目に見えて増えてきました。
今回は、ここ数年の歩みを振り返りつつ、これまで志なんて何にもなかった私に、最近ようやく芽生えた「志=これからやっていきたいこと」について、ここに宣言をしていきたいと思います。
私は2020年に会社員を辞めてフリーランスになりました。当時フリーを選んだのはどちらかと言うと消去法でした。
理由1:地方にはママが働く選択肢が少ない
子供が生まれた2019年はコロナ禍が始まった年でした。産休育休のタイミングで、私はゼクシィという雑誌のディレクターをしていましたが、業界そのものが大きく傾いたことで当時いた会社の業績が厳しくなり仕事を追われることになりました。子どもを抱えながら働ける仕事を探しましたが、30歳を超えて乳児を抱えたママをコロナ禍で採用してくれる企業は、ほとんどありませんでした。
理由2:女性がきちんと稼げる仕事がない
ベンチャー以前の私はリクルートという会社で働いていました。リクルートは男女関係なく実力主義という会社で、給与水準も決して低くはありませんでしたし、営業賞の特別報酬などもあり、女性ですが当時はそこそこの給与をいただいていました。仕事を追われて転職活動をしている中で、紹介される仕事や求人の多くは、条件面が合わず、条件面をクリアする求人は、その分、厳しい業務内容のものばかりでした。
理由3:給与の高い仕事は、だいたい激務
ある時に目にした東京の会社の「静岡拠点立ち上げ責任者」の仕事が、自分には一番、仕事内容と条件面が合っていたので、そこに内定をもらい、産休育休から復帰するタイミングで転職をしました。乳児を抱えて、拠点責任者の仕事を両立するのは、本当に大変でした。子供は毎日のように熱を出し保育園からの電話がなり、立ち上げたばかりの拠点の全ての責任を負い、私のヘルプでお迎えに行く夫の有給まで、あっという間にゼロになりました。
私は仕事が生き甲斐のような人間なので「こんな風に家族全員が疲弊してボロボロになって、子供を犠牲にして、それでも仕事をしたい自分って、間違っているのかな?」という葛藤を常に抱えるようになりました。
ある時、会社側への不信感が爆発する事件をキッカケに「もう会社員で働くことを諦めよう」と決心をして、フリーランスとして働くことを決めました。だけどフリーランスになって、すぐに暮らしが楽になったからと言うとそうではありませんでした。
駆け出しフリーランスの頃は、お金も全く稼げなかったし、休みなんかも全然取れなくて、まるで会社員時代の地獄が地続きで続いているかのようでした。
でも、コツコツと地道にお仕事獲得を頑張って、ある時からは外に出て人とのつながりを増やしたり、とにかく打席に立つ場面を増やし続けました。そして、それに伴って徐々にお仕事も増えました。
行政からの依頼などもいただくようになり、個人名での活動では体裁が良くない場面が増えてきたのもあり、2022年には法人化をしました。
いまでは会社として、まだまだ少ないながらも安定した売上をいただけるようになりました。
だけどチームの中には、昔の私のように、「安定した仕事が確保できない」と悩む方や「困った時にまわりに相談できる人がいない」と孤独を抱える方、「家事育児との両立やバランス」で悩む方などが、本当にたくさんいます。(私ももちろん、今現在も七転八倒をし続けている訳ではありますが笑)
自分が通ってきたこのデコボコ道を、何とかもっと後から通る人のために舗装された道にすることはできないか?という気持ちが徐々に芽生え始めたのでした。
すみません、長くなってきたので、続きはまた次回。
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