子供については謙遜しない、に一票!

はじめまして/こんにちは。

今日は、「謙遜の習慣」の功罪について書こうと思います。

何とも仰々しい書き出しになりましたが、内容は単純です。私個人の幼少期の体験を元に、今の我が子に対する子育てでは「謙遜しないよう」気を付けているので、その理由について書きます。

と、この記事をほぼ書き終わって寝かせておいたところ、いとうさんの素敵な記事を見かけたので、構成無視して、この場所に貼って紹介します。

いとうさんが書かれていることは、正に私の言いたいことと同じ!
さらに、いとうさんは自主キャンペーンの呼びかけまでしていらっしゃる!
すごいわ〜。このアイデアは私の中では出なかった。うん、常時参加します(してます)よ。

子供の頃の苦い思い出

さて、本筋に戻って、私自身の子供の頃の話から。
私の実母は、非常に謙遜するタイプの人です。自身についてはもちろん、家族についても。
私は子供の頃から、他者の前で、常に過小評価やネガティブ評価されてきました(たまにはそれが真実だったこともありますが(汗))。それは、私が大人になった今も続いています。

例えば、実母は、結納の席で「うちの娘はろくに料理が出来なくて…」と、将来の義父母へ、私を紹介しました。(そりゃ〜、お母さんよりは下手かもしれないけど、一人暮らし20年近くやってるのでそれなりにできるわ。との言葉は飲み込んだ(苦笑))
実母にとっては、そういう表現から会話の取っ掛かりを作ることが自然なので、本人は何も違和感は感じていないのだと思います。もしかすると、ある程度のお年を召された方や、住んでいる地方によっては、全く普通の会話なのかもしれません。

でも、私は小さい頃、親戚一同が毎年集まって合宿のようにワイワイ過ごす中で、自分の母親が自分の子供の劣る面ばかりを強調するのが嫌でした。
「他の子のお母さんは、誉める言葉も言っているのに、何故、私の家族だけ。。。」と僻み、自分は、いとこ達より劣っているんだ、とその親戚の集まりの中では強烈な劣等感を感じるようになりました。

今思えば、いとこ達はどの子も才能あふれる子たちでしたし、ユニークで活動的だったし、都会に住んでいたし、垢ぬけて見えたのでしょう。謙遜の害と事実の判断は、半々くらいかな。

時が経ち、現在ではもう自分の立ち位置や日本文化について客観的に見ることができるので、一歩引いて、割り切って対応することができるようになりましたが。

もちろん今も昔も、母は好きですし尊敬もしています。見習いたい所も、たくさんあります。
でも、この「謙遜する」という一点に関してだけは、私は子供に対して同じ轍は踏むまい、と自身に言い聞かせているのです。

Compliment in アイルランド

大体、アイルランドでは、この考え&話法は通用しません。
引越しした当初、日本気質が抜けず、2〜3回、謙遜の表現を使ってしまったことがあります。
その結果、どうなるか。

引かれて会話が止まります(チーン)。

もちろん英語で話していますから、私にそれなりの会話能力があれば何とかなったのかもしれません。ジョークとかにして。でもそんなスキルは持ち合わせていないので、その会話は相手とのギクシャク感を残したまま終了したのでした。
そんな体験をすれば、流石に、この言い回しの不味さに気付きます。それ以来、褒められたら素直に「Thank you」と返します。相手の事も、何か目新しい事があれば褒めます。そこから話題が発展する事もあれば、さらりと流れる時もあります。
そう、complimentが自然なのです。いやらしさがない。
辞書で、complimentは、賛辞、褒め言葉、お世辞、と出ています。
アイルランドの実生活では、日本語訳から受けるような格式ばった感じではなく、素直な挨拶でcomplimentしています。
このcomplimentについては、アイルランドの英会話教室でアイルランド人から聞いた内容ですので、この国では常識なのでしょう。控えめな気質が似ているアイルランド人と日本人で、謙遜の度合いが違うのは面白いですね。

アイルランド流の返し

そんな事いわれても、どう返答すればいいかわからないという方へ、アイルランド流を伝授します。

「気付いてくれてありがとう!」 ←ヘアスタイルを変えた時とか
「気に入ってくれてうれしい!」 ←料理を褒められたときとか
「ありがとう。新しく買ったんじゃないんだけど、暫く着ていなかったから新しく感じるのかもね」 ←滅多に着ない服を着た時に
「とても嬉しいコメントありがとう。私、○○が好きで良くやっているの。○○について知りたいことがあったらいつでも聞いてね」 ←ガーデニングや趣味を誉められた時に
「あなたのお役に立ててうれしい」 ←お礼を言われたときに

逆に、アイルランドではNGの受け答えの例は、

例1)
服を誉められた時、店名○○(有名店)を言って、値段の高さを自慢するような結論にもっていくこと。たとえ有名店で買っていても、この部分のデザインが気に入ってね、等の、金銭に関係のない方向へ会話を持っていくのがベター。
例2)
自分が自慢したいことがあって、その前振りとして相手の同じような部分を誉める行為は絶対にやってはいけない。例えば
A:「昇進したんだって?おめでとう!」
B:「ありがとう」
A:「実はね、私も転職のオファーが出て、いいポジションに移ることになったんだ」

これらのNGの例は、日本と似たような感覚ですよね。人間として普通の教養がついていれば、なんということのない内容だと思います。

アイルランドに住み始めて自分の謙遜もやめた

アイルランドに住みはじめてから、子供だけでなく自分に対しても謙遜する事がなくなりました。とても気分が上向きます。謙遜する人と会話しても楽しくないのです。ネガティブな言葉の応酬にエネルギーが吸い取られる感じがして。
言葉には言霊が宿ります。私は、パワーをあげたりもらったりできる言葉を、聞きたいし喋りたいです。

さあ、気楽にcomplimentしませんか。
何か世界感が変わるかもしれませんよ。

最後に、これまたウンウンとうなずいた記事を紹介します。
アンロック・ジョーさんの記事。「自己肯定感」を育む子育てについて、素敵なエピソードを添えて書かれています。

日本が少しでも生きやすい社会になりますように!

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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