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私の胎内記憶〜魂の壮大な旅路〜

バースカフェが終わり、


帰宅した後の夜。


私の胸はザワザワしていた。


(このメールに、何てかいてあるだろう?)


前の日に出した企画書(2件分)が、アドバイスと共に返ってきたのだ。


ドキドキが止まらない。2つとも通っただろうか、通ったならば、道ができたと言う事になろうが……。


家事やメッセージの返信など、やるべき事は他にもあったが、これを知らないとどうにも気持ちが落ち着かない。ソワソワする。


ええい、見てしまえ。今見ても後で見ても、いっしょだ!


思いきって、メールの開封ボタンを押す。


[大変お疲れ様でした。楽しく拝読させていただきました。

二つ目の企画(育児の方)で2月頭に配信しましょう。

一つ目の企画(漫画と混合)は企画としては非常に面白いのですが、実際の本としてのイメージがわかないためです。……(略)]


──グラッ──


私の心は、揺れた。


育児の方は、受け入れてもらった。ほっとした。


でも、1つ目の漫画の方は……。こちらも面白いという自信があったのに……。

私は『自分の人生を受容できる本』と、『子育てママ向けの本』、どちらも書きたかった。
どちらも、世の中には必要不可欠だと思ったからだ。
でも、『受容の本』は出せない、とハッキリ伝えられ、どうしたらいいのかと狼狽えた。
漫画のみで作品に仕上げるべきか、小説の賞に応募するか、はたまた、雑誌に応募する、もしくは、出版社の問い合わせフォームに、企画書が送れるとこがあるのか……。

探さないと。
そうだ。探すんだ。
どこかに道はあるはず。受け入れてくれるところがあるはず。
そうだ、きっと。

私は、コタツの中に潜り込み、スマホで「公募」と検索した。
数々のコンテスト・賞がヒットした。
人差し指でスクロールしては、8万字以上、エンターテイメントなどの条件にヒットする案件を眺め、ブックマークを付けていく。

しかし、私の書きたいのはただの小説ではない、もっと違う、新しいものを産み出し、多く人に伝えたいのに──。その思いが、作業中の頭にのぼってくる。
なんだろう、"これじゃない感"がある、あるのに、これ以外の道がわからない。
やればやるほど、どんどんと焦りが助長してくる。

夜中1時まで、その、目にとまった公募サイトをブックマークする作業を続けた。
皆が寝ている真っ暗な中、それをしたもんだから、目がしょぼしょぼする。

目をこすりながら、ふと思う。

どうする?
どうしよう……。
もういいかあ……。
明日も、友達と朝7時から話すし。明日、また頭スッキリしたら考えよう。



朝、7時。
私は早めに起きて、温かなお茶を淹れた。


今日は、学び仲間のYちゃんに、セッションしてもらう日。

Yちゃんは、ヒプノセラピーを勉強していて、
今日は、過去世〜胎内記憶 のセッションをしてくれる。


最初の雑談で、私は、昨日の出来事を話題にだした。

出版の企画が1つ、没になって、心が揺れたこと。
次はどうすればいいんだろう。どうすれば世に出るんだろう?
と不安と焦りが襲ってきて、検索魔になったこと。

もっと、「子育て」の本を世に出せる道が開いてきたことを喜べばよかったのに、そちらにフォーカスしていない自分がいたこと。

結果を急ぎ、まだ来ぬ未来を不安視する、ドキドキしてしまう、小心者の自分。
もっと、子育ての本が進められていることを喜べればよかったのに。それができず、ネガティブにフォーカスしてしまった。

私は、もっと違う自分でいたいと思った。
今、表れているのは、過去の「手放したい自分」であることをわかっていた。

本当は、こういう気持ちで歩んでいきたい。
今回のことも、「認められたな」じゃあ、子育ての本をもっとブラッシュアップしよう。
今は、こっちをやるんだ!、と。

自分の志をどっしりと据えて、ぶれずに、何年かかっても着実に歩を進める力が。
──ほしい。

私は、自分自身に、そんな過去世があるのか、ないのか、
この時点では全く予想がつかなかった。
どんな風貌なのか、どんな性格なのか・・・・・・。



今回のセッションでは、力を借りたい過去世について見られるみたいだった。
私は、『コツコツできる力』をもった過去世を見たいとおもった。

そこで、目的を、「前世の力を借りる」とセットした。


Yちゃんは、こう目的を整理してくれた。
「小さなことで揺らがずに、どっしりとしたい、そんな能力を引き出したいってことですね。
 では、それにかかわる前世療法をやってみて、そのあとに、胎内記憶のシーンに移っていこうと思います。」

そして、ここから、過去に意識を向け、前世を感じていく。
Yちゃんは、やさしい声で誘導をしてくれる。

「では、目をつむっていきますね。リラックスしていきます。
呼吸に意識を向けましょう。息を深ーく吸って、そして、とめて。そして、はいて。ストレスや緊張などの、すべての不必要なエネルギーが、体の外に出ていくのを感じてください。
鼻で息を深ーく吸って、口で息を吐きます。この素晴らしい、心地のよさを感じてください。そして私が、いまから1から10まで、数を数えます。一つ数えるごとに、あなたは10分の1ずつ、リラックスしていきます……」




私は、過去の場面にいた。
前世、人として生きていた、その場面に。

足元は、裸足であった。海岸で、砂浜の上。近くに木も見える。山と海がある場所だった。
足元は暖かく、服装は麻でできたような、簡単な服。黄土色のように見えた。着ている物は軽くて風になびくような素材であった。肩掛けの茶色いバックをかけていた。
髪の毛は黒くて少し長く、後ろでお団子にしていた。
私は、13歳位の男の子だった。

今は、明るい時間。足元の砂が太陽に温められて、あたたかい。
まわりには古民家のような建物。その周りに長老や子ども達が遊んでいて、自由な雰囲気。
みんなは、話をしたり、洗濯をしたり。
私は海に潜って、魚をとっている。潜るのが好き。

ここは、弥生時代付近の大和の国、という感じがした。
獲物をとるときの矢じりを、年上の人から教わって一緒につくることもしている。
みんなでやって、みんなで生きていくスタイルの場所。

新しいことを、年上の人から教わり、自分で試していき、自分で使いこなせるようになるのが楽しいと感じている。
周りのみんなが見守ってくれている、暖かい気持ちを感じていた。

次の場面。
ここは、今日体験すべき、重要な場面。

今私は、結婚して、奥さんと子どもがいる。
子どもが足元でだだをこねている。
私は、30歳くらいになっていた。

前の場面から、こんな風に人生が進展していた。

大きなトラブルとかはなく、ただ毎日同じこと、起床、ご飯、洗濯、獲物をとる、など、大体決まっていることをやる毎日。その中でも、魚がとれてうれしいとか、子どもが育って嬉しいとか感じられていて。その時々で感じられるのが、嬉しかった。

病気の人が苦しんでいる場面があった。見ているだけの私。「もっと私に知識があったら。自分は何もできていない」そんな悔しい気持ちがこみ上げ、自分を責めていた。
見ているだけが、つらかった。どうすればいいかわかっていたら、自分にできるのに。それがわからないから、つらい。

周りの人は、「こういう定めだ。こういうものだ」と、受け止めていた。うけとめすぎていた。自分たちで変えられる、とは思っていない。
だから、ますます悔しかった。みんなからの、こういうものだから仕方ない、という言葉を聞いて、本当にそうなんだろうか、と疑念を抱いた。長老が、「こういうもんだ」といい、それにみんなは、そうか、と従っていた。
私は、「もっとできるんじゃないか」という感覚がしていた。でも、自分ではわからなかった。何か困ったことがあったら、みんな長老に聴き、その通りにやる、というスタイルだったから。
自分にはわからなかった。自分で何とかその病気の人を助けられたらよかったのに。変えられることもあるはずなのに。知識がない自分、できない自分が、悔しかった。

時間をもっと先に進めた。
私はまた、今日体験すべき、重要な場面にいた。

私は家の中にいた。自分が年をとって、【長老】になっていた。

夕方か夜、の場面。
村人と共にいた。
私は、病気の人(横になっている)の枕元に座っていた。
周りには、それを見守るように、心配そうな表情をした村人たちが8人ほど座っている。

私はその時に、「可哀そう」などの気持ちではなく、とてもフラットであった。
私のもっているもの──祈り、話を聴く──を手渡していた。

もうその病気の村人が、長くないというのがわかっていたようではある。

私は、病人の人の、話をよく聴いていた。
その人が、いままでどんな人生を歩んできたのか。苦しかったこと、楽しかったこと、苦しかったこと、話したい事。それを、すこし微笑みながら、聴いている。

私はその時、病気とか、この世的には不幸だといわれる道を、自分で選んで生まれてきて偉かったね、それが、この人生で体験出来てよかったね、と感じていた。

心配とか、可哀そうとかではなく。その先の世界も知っているから、大丈夫だよという心持であった。
私はそのとき、死んだ後の世界のことも知っていたのだ。だから、無駄に心配せず、可哀そうとも思わなかった。その病気の人も、「自分がその道・人生を辿れて良かったんだ」と思えているのがわかって、長老の私は「道案内ができているな」と、安堵感と安心感さえ感じられている。

この長老としての心持になるまでの経緯はこうだ。
30歳くらいの私は、「なぜ病人など苦しんでいるひとがいるのに、何もやってあげないんだ。自分自身もなにもできなくて悔しい」と思っていた。
しかし、その後、自分が病気をしたり不幸に見舞われたりしたときに、ただ隣に寄り添って、話を聴いてもらえて。「ああ、それだけでいいんだな」という経験をした。
知識があるからどうにかできるんじゃなくて、みんなあなたのことを見守っているよ、大好きだよ、あなたならできるよ、というその寄り添いだけで、すごくエネルギーもわいたし、そこから復活しよう!と息直しができた。
そういう体験をしたから、自分がもっているものを出せばいいし、自分は寄り添えると分かった。自分は、もうこのままで大丈夫なんだなと思えたから、ほかの人にもそうできるようになったのだ。

「死んだ後のこと」を知った経緯はこうだった。
まず、前の長老が力を伝授してくれた。自然界・天とつながる方法を教えてくれた。
直感を研ぎ澄まして、必要なメッセージをおろすとか、神と繋がるということや、人々の相談にのっていくなかで、見えない世界・死んだ後の世界について知っていった。
その知ったものを、加工せずに、そのまま相談者や村の集会などで伝えていた。
そのため、この世界の仕組みが分かって、安心して人々をも見守れるようになったのだ。

「大丈夫だ、もし寿命が来ても、元居た場所に戻るだけだ」と村人皆が理解し、安心した空気をつくることができていた。

次に、この人生の死の場面。

いま、家の中で、みんなに見守られながら、静かに死をむかえようとしている。
怖さはない。
悲しんでいる子ども達がまわりにいるけれど、「だいじょうぶだよ。帰るだけだから」と話して聞かせた。

まわりの大人たちは、さみしさがあると思うけれど、そんなに揺れ動いては無くて。
長老の私に、「ありがとう」とメッセージを贈ってくれている。

私は、人生最後の場面を迎えて、
(やりきったな。満足だ。自分のできることをやったな)という、安心した気持ちでいた。

私の魂が浮かび、肉体を見下ろすと、少し微笑んでいるのが見える。

そのまま私の魂は上昇し、雲の上に一休みする。

楽しかったな、と感じながら、朝日が反射する海を見渡す。
キラキラ光っていて。自然がきれいで、透き通ったところで人生を過ごせてよかったな、と感じている。

人生を振り返ると、
平凡に見える、シンプルな毎日だったけれど、その中だからこそ、小さな心の気づきとか、人との触れ合いとか、あったかさとかに気づいて、味わえた。大きなことは起こらなかったけれど、すごく「心を大事」にした人生を歩めた。
自分の心にも、相手の心にも寄り添えた人生だったんだ。
自分ができることをしたなあ、やりきったなあと感じられた。

私は、このような学びを得ていたんだ。
私が長老としていきたこの人生では、「小さなことで揺るがない」大きな視点を得られていた。
そして、毎日の生活の中で、小さな心の響きを感じられることは、とても素敵なことだから、別に悪いことではない。
そういう心を見ることも大事だし、たまには自然の大きさに触れることも大事だ。
「揺らいじゃう自分はダメ」と思わなくていい。
揺らいでもいいし、揺らぐ自分と向き合うからこそ、そのつらさとか苦しさを感じられて、そして、次にそういった人が現れた時に、寄り添ってあげられる。
だから、全部いい体験なんだ、と教えてくれている。
だから、むしろ今は、『揺らぎを楽しんだほうがいい。』
今はそれを体験しているとおもえば、すべてプラスになる。

若い頃は、「長老でさえ、なにもしてあげないんだ」「自分は力がない」とすごく責めていたけれど、
だんだん、自分も人も責めなくていいという視点をもてて、それで人に寄り添えるようになってきた。
それが、今の人生のパターンに似ている。

自分が子育てで悩んできたからこそ、私の目の前に現れる人に、「大丈夫だよ」と言えているから。
最初から経験なくて大丈夫というんじゃなく、私は経験をして、大丈夫といえているんだ。

この前世から学べること。
自然が好きだった。自然は雄大で、いつも変わらず包み込んでくれていて。
朝は日が昇って。夕方は日が沈んで。そういうサイクルをつくってくれている。

自然は豊かでいいなと思う感覚を、この時ももっていたんだ。
もし病気になったりつらいことがあっても、「自然はあったかいよ。包み込んでくれているよ」と思い出させてあげたい。そういう、大きな視点があるよ、あったかい視点があるよ、と苦しんでいる人に伝えてあげたい。
これが、自分のいま、やりたいと思っていること、『子育てママを応援する本をつくる』という夢につながっていると感じた。

私はこの学びのおかげで、
これからの人生はこのようになっていく。
「気持ちが揺らぐことが、だめなこと」と、自分をジャッジし、否定していた。
でも、ちがう。この感情を味わいたくて、生まれてきたんだ。
そう思えている。
だからこれから、また、感情が揺れることがあっても、きっと大丈夫。
過去の自分のような人と出会ったら、きっと寄り添える。
ジャッジしないで見てあげられる。
これからも、相手にも、自分にも、大丈夫と言ってあげられる。

次に、今世の人生を始める瞬間に来た。

私が、今世のお父さん、お母さんの元に生まれるようになった経緯はこうだ。

自分の知識不足を嘆いた過去世のあの時の記憶。
そんな中、お空からみていたお母さんは、「すべてに身をゆだねるのではなく、自分で変えていく強さと知力をもった、勇敢な女性」だった。そのお母さんのところに、勉強しに行きたいと思った。

お父さんは、多分この人がなるだろうなあと思っていた、優しいお父さん。お父さんからは、「優しさ」を教えてもらおうと思った。

この2人のところに生まれるのを決めたのは、迷ったりしたときもあるけど、一緒に産まれる姉と妹と一緒に、ここにしようと決めたんだ。

私は、少し気持ちもやさしすぎるから、「私が先行くよ」と姉が言ってくれた。「じゃあ、あとでいくね」と私は言った。妹は「じゃあ、あとから行くからね」と。
そういう風に決めて産まれてきた。

お母さんのお腹の中の記憶。

(あったかいなかに、来れたなあ)

わたしはそう感じていた。そして、ドキドキしている。

自分を受け入れてもらえるかなあ、役に立てるかなあ と思っていた。

今、妊娠3、4ヶ月くらい。

周りでは、わちゃわちゃ賑やかにしている様子が見える。
姉が生まれて、まだ1歳にもならないころだから、みんなお世話をしたり、自分のことをしたり。ここは、昔皆で住んでいた、おじいちゃん、おばあちゃんの家だ。

おじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、おかあさん、姉。みんないる。

賑やかだなあ。お父さんかっこういいなあ。でもお父さん、ちょっと遠慮してるな。
おばあちゃんは声がでかいな。とか。
お母さんがちょっと疲れてるかな。
じいちゃんは、自然と共に生きているかんじだなあ。
姉は自由だなあ。

フフッ、そう感じていた。

お母さんの気持ちを感じてみた。

お母さんは、私に対して、こう思っていた。

「大好き」「嬉しい」

「けど、あまり目を向けられなくてごめんね。毎日が忙しすぎて」

大好き、って気持ちが、一番最初に来た。
 お母さんはこう思ってくれていたんだ。

(望んでいるんだけど、忙しすぎて・・・

次産まれてくる子は、
手のかかる子じゃなくて、
もっと静かな子で、育てやすい子がいいな)

──涙がバッと溢れてきた。
  そうだったんだね。

私は、お腹の中にいる赤ちゃんの意識に戻った。

お母さんの思いを聴いて、私はこう思った。

(お母さんが喜んでくれているのはわかってる。うれしい。
 だけど、お母さんが大変そうだから、しずかにしているよ。
 あまり迷惑かけないようにしよう。)

(私が、まず最初にできるのは、健康に生まれること。
 そして、あまり、うるさく泣いたりわめいたりしないで、しずかにできればいいな)

そう思ったんだ。

お母さんは、私がその思いをもつと、こう思っていた。

(ああ、そうしてもらえると、たすかるな。
 今はお世話とおばあちゃんからの小言、それに仕事もあって、こんなにおかしくなりそうで。
 そうしてくれると、助かるな)

そしてまた、私はこう感じた。
(うん、わかったよ。
 しずかにできる子に生まれたら、お母さんを助けることにつながるなら、そうする。
そうするから、安心してね。

 もともと、うるさくしたり人に迷惑かけたりするのはすきじゃないから、そういう風になるとおもうから、大丈夫。
まずそれが、お母さんを助けることになるなら、そうするよ。
安心してね。)

そうだ、私は、こう思ったんだ。
お母さんが大変なのはわかるから、少しでもお母さんを助けられるように、負担にならないように、するからね、って。
お母さんを助けられるように、気持ちをコントロールするからね、って。

かなしくは、ない。
そうしたほうがいいだろうし、自分のショウにもあってるから。
いまどうしたらいいか、周りをよく見て、わかるから。
そういうふうに、するよ。

たぶん、それが、わたしはできるから、大丈夫。
──そう思っていた。

今回のこの体験からの学び。

いままで私は、気持ちが揺れるのを、すごく、「いやだ」、と思っていた。
それは、お母さんやおばあちゃんが、怒りのエネルギーを出していたから、それで「いやだ」と思っていたんだと思っていた。
だから、幼少期に、反面教師にしよう、と決めたんだと思っていた。
そのせいで、自分が気持ちを話したり表現するのが苦手なんだ、と思っていたけれど、
けど。ちがった。
──もう、お腹の中にいたときから、決めていたんだ。

過去世でも、「自分の心をコントロールする」ことをやってきて、
自分でもできる、というのがわかっていたから、
お腹の中で、きめたんだ。

気持ちをコントロールして、お母さんの役に立とう、って。

だから、おばあちゃんやお母さんのせいでは、なかった。
『お母さんのためになりたい』『お母さんを助けたい』
その思いで、自分が、決めたんだ。

自分はそれができる、と思ったから、そうしたんだ。わかっていたんだ。
【誰のせいでも、なかった。】

お母さんの役に立ててたんだ。
すでに、産まれて、すでに、できていた。

「おとなしくて、いいこ」と言われてきたから、
そのせいで私は表現できないんだって思ってきたけれど。

自分で決めて、産まれたんだ。
──そう、腑に落ちた。

納得できた。

自分で決めた。だから、早いうちから自分の心に向き合える習慣・時間もつくってもらえたんだ。
周りのみんなが、迷惑とかおもわないような自分でもいられたし、結果的に良かった。
何もまちがいではない、とわかった。

うれしい。
そのきもちがほわっと湧き上がってきた。

Yちゃんからは、こんな言葉をもらった。

「すごい壮大な旅だったね。小さいころからお母さんのためにこうしようと決めてきた、すごくけなげな魂だな、って思ったよ。赤ちゃんって、すごく純粋にお母さんのためになりたいって思う赤ちゃん、すごいなって」

私はこのセッションで見えた過去世や胎内記憶から、確かな、人生の学びを得た。

私は、「どっしりとした心持ちでいたい」と、一長一短ではてにはいらないことを、早く手に入れたいと思っていたんだ。でもそれは、経験を摘むから、手に入るんだなと客観的にとらえられた。
「感情がゆらぐのはダメ」と思っていたのも、私がお母さんのお腹の中で決めたことだった。
私は、産まれながらに、お母さんの役に立てていたのだ。
それがわかり、腹落ちした、フッとお腹に力が入る感覚があった。それでいて、すごく爽快、晴れやかな気分がした。


私は、
セッション中にずっと流れ出す涙が、
魂に触れているサインであることと、
浄化の印であることに気がついていた。


とってもとっても
愛おしい私の魂に、
ありがとうの想いを手向けた。

もう、何があっても、大丈夫。

私は、私で、すばらしい。




🌟追記🌟 
Yちゃんのセッションを受けたい方はこちらをご覧ください↓


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taka✢3児ママ・いろんな愛の形
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