ルール変更。他人の言葉は全捨てする。
もう、他人の言葉はいらないな、って思う。
例えば何かを選択しようとした時に、ふと、過去誰かから言われた言葉や、どこかで読んだ何かの文章を思い出すことがある。
それが自分にブレーキをかけたり、逆に背中を押されたりすることもあるわけだけれど、最近はそれがすごく重たく感じて、もう全部捨てッッ(゚Д゚)ノ てなる瞬間が、すごく多い。
それら全部を捨てて、自分が、今何を感じているかに全集中する。
なんかもう、選択の基準はこれだけでいいんじゃないかって思う。
そして、言葉の呪いにかかっていた自分に気づく。
もう、今までの価値観や成功法則みたいなものの多くが旧時代のものになりつつあって、その中で語られた多くのことが、今や呪いになりつつある。
それは、根本を成す“力学”みたいなものが本格的に変わってきていて、要点が、ちょっと前とはだいぶ違うから。
今月の前半。
株価大暴落が起きて、そんな“大元のルール変更”が、本当に目に見える形で現れてきたな、、ってことを、すごく感じた。
ルールっていうのは、これまで作用していた地の時代的な力学のこと。
やっぱりこれまでって、すごく物質的で、腹の中に何を抱えていようが、物質的に、三次元的にどう働きかけられるかが結果の大半を占めていて、波動が不安定だったり、乱れていようが、がむしゃらな行動力で色々カバーできてきた。
それがだんだんと、腹の中に何を抱えているのか、っていう方が、もう誰の目にも明らかなほどに重要性を占めてきていて、波動がダイレクトに現実に影響するようにもなっている。
本当は、今までもずっとそうだったのだろうけれど、その速度が間違いなく早まっていて、もう誤魔化しがきかない。
現実を形作る粒子が、より繊細なものに反応するようになっている とも言える。
旧時代の、“重たいもの”が振り落とされてゆく。
「過去の時代こうだったから」は、もう通用しない。
他人の言葉は捨てていく。
「行動しろ」っていう言葉に煽られて、焦って動かない。
「これをやっとかないと後でヤバいことになる」っていう動機で、選択しない。
「軸」が整い、ちゃんと「安心」に着地したなら、人は自然と動き出す。
意識することは、ちゃんと自分に休息と回復の時間を与えることや、「埋める」ことよりも、空白を意識すること。
無駄に力んでジタバタするよりも、リラックスして「浮く」ことを、心がけること。
そして次の瞬間、私のこの言葉も、捨ててゆくこと。