「心を込める」が重宝される時代。見えないものが、可視化されてゆく
スピード・効率、早く安く大量に…そういうものが重視される社会の中で、「心を込めて、丁寧にやる」って、馬鹿にされがちだったと思う。
「そんな無駄なことはいいから、さっさとやれ」って圧をかけられて、心を込めたい部分やこだわりたい部分を諦めさせられたこと、きっと誰の中にもあったと思う。
だけど今、まるで全員がサイキック能力に目覚めたんじゃないかと思うほどに、全体の目に見えないものに対する感度が上がっている。
そこに「心」がないものとか、嘘ついてそうなこととか、気持ち悪いほどに分かり過ぎてしまう。
スピーディーでなくても、多少不器用でも、「心」や「信念」がこもっているもの。
人の体温を感じられるもの。丁寧さを感じられるもの。
そういうものに、価値の比重が移り変わっている。
お店で出される料理なんて、一目瞭然。
「おいしいものを食べてほしい」と思いながら作られた料理ってすごくエネルギーが高くて、食べると本当に元気になる。
取引先から届く書類ですら、丁寧に処理されたものなのか、「面倒くさい」という思いで雑に処理されたものなのか、ただの紙1枚から、それが伝わってくることもある。
人の「心」を無視したような在り方では、きっともう何もうまくいかない。
人の「心」を無視しながら、旧体制のまま業務を回し続けようとする企業とか、近い未来本当に立ち行かなくなると思うし、既にその兆候はあちこちに現れ始めている。
「心」を大切にできるような工夫って、たくさんある。
私たちの「頭」は、その為に使うもの。
今までは、その逆がまかり通る社会だった。
だけど私たちは、そうやって「心」を無理矢理「頭」に追いつかせようとした結果起きてくる弊害を目の当たりにし、もう思い知ったはず。
そうやって築き上げてきたものは、いつか必ず崩壊する。
だから、いつかどこかで諦めた、「心を込める」ということ。
蔑ろにされ踏み躙られて、いつしかその必要性を、自分でも信じられなくなってしまったこと。
もう1度、改めて見直して、取り戻して、大切に大切に、自分が社会に対して表現するものの中に、誰かに対する思いやりの中に、組み込んでゆく。
目に見えないはずのそれが「見える」時代に、突入しているから。
分かる…
私も旦那さんも、
「似てる」って大騒ぎした。笑
姉弟なのかと思った。
何かすごーく、しっくりくる感じ。
単に「お似合いの2人」という以上の、深い安心感がある。
そのことを多くの人が感じ取れてるってこともすごい。
本当に、面白い時代に入ってきた。・☆
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