海外のカラフルな社会主義国の街で迎える日本の正月。そして執筆への意欲が復活。③
正月休みが一日だけあるこの国。何時も大渋滞の幹線道路は驚くほど空いていた。お盆や正月の、皆が帰省し、ビジネスビークルも殆ど存在しない時期の東京に似た感じだった。ただ一つ異なるのは、街にカラーが溢れている事。
東京の街はシックでモダンな、かつ無機質な色が数多く存在する。高層ビルのそれだったり、皆の着ているコートやスーツの色からだろうか?
しかしこの国には、そこら中にピンク、緑、青、赤、黄色、と言った、カラフルな原色が存在する。また、それらを纏った現地の方々も存在する。 なので、街を走っているだけで、彩が沢山溢れている場面に出くわす事が多い。それが自身を頗る楽しい気分にさせる。(渋滞が無い特別な日のみだが)
【作家は早死にするが、画家は長生きする】
有名な言葉だ。モノトーンの世界で生活をする作家は、寿命が得てして短くなりがちで、自死なんて行動も頻繁に起こっている。PCが飯盛な現代、文字を黒では無く、カラーで書けば、その弊害はまのがれるのでだろうか?
”カラー文字”
上記文言を、Wordでピンク色で打って貼り付けてみた、Noteのこのページはカラー対応では無いのだろうか?黒く成っている。
ま、それは置いておいて。
一方、色を操る画家人は?と言うと、ゴッホを除いて殆どの方が長生きをしている。【色】【彩】と言うのは、生物にとって重要な要素なのかもしれない。オーラソーマ、カラーセラピーなんて言葉も近代には出現している。
話を戻そう。昨日の昼間、PM 1:00に、自分は自宅を離れた。路程を知らべると、日本食屋さんがあるセントラルの外れまでは30分で着くとAIが教えてくれた。近年の急激な発展で街にバイクと車が溢れているこの国の大都市。全く渋滞にぶつからず、気持ち良いクルージングが出来たのは何時振りのことだろうか? そして周りにはカラフルなヘルメットや、カラフルな着衣に包まれた現地の人々。最近急激に増加した明るい色彩の良質なデザインのネオンボードやサインボードも見逃せない。やはり、街を走っているだけで、楽しくなり、笑顔が溢れてくる。
後部座席に乗るNさんに、『いい街に成ったね』『この国の色は自分が暮らした東京とは異なっていて明るくていいね』『南国は服装が一年中同じで良いから楽だね』等と、思った事を英語で伝えた。本日のショートトリップパートナーはこの国一番の巨大都市であるこの街で生まれ、この街のカレッジに通い、この街の企業に就職した。Nさんだ。この国ではシティーボーイ、シティーガールのポジションに成るのだろう。その為、現地の地理に詳しく、様々な抜け道やレアなローカルエリアへと、渡航間もない当時の自分を頻繁に案内してくれた。自分が初めて就職した企業で、偶然入社日が近く、自然と仲が良くなり、また英語を話せる素養を持つ心優しき人物だったので、友人的存在に成るのに時間はかからなかった。
英語の方は三か月間毎日ランチ時に会話をしていたら、あっという間に会話が出来る存在へとNさんは成長した。それ以降、通訳や秘書的な仕事も担ってくれるように成り、とても助かった思い出がある。ある日、Nさんの学力について訪ねてみると、学区で一番頭が良い高校を出ており、カレッジでも推薦奨学金を貰っていた才能のある人物だという事が判明した。素養って大事なのだな。と再度痛感した。ベースにしっかりとした学力が有れば、後はプラクティス、実践の経験を積むだけでグーンと伸びる。自分は学生時代にしっかりと学んでいた方では無かったので、海外に出て最初の一年は本当に苦労した。気が付けば、こうしてノンネイティブの皆さんとは普通に会話が出来る様には成っているが、未だにアメリカンイングリッシュは苦手で、ネイティブの皆さんのスピードと語彙、言い回しについて行けない場面に幾つも出くわす自分がいる。しかしながら、USに住んで耳が慣れるまで数か月暮せば行けそうな気もする自分がいる。何故なら相性の良いUKイングリッシュはキャッチ出来る自分がいるからだ。気のせいだろうか?
話を戻そう。
Nさんとの出会い、それは十三年と半年前の事だ。
今日は正月、めでたい日だ。と言うことで、十三年前に初めてNさんを招待したお寿司屋さんへと向かった。この国で、現在では老舗の部類と成るそのお店は、今日も現地人で賑わっていた。Nさんは当時生魚を食べる習慣が無かったため、実は内心ドキドキで刺身や寿司を食べていたと数年後に教えてくれた。その為、初見の寿司の味の方はドキドキ感の方が勝り、全く覚えていないとも伝えてくれた。
今では刺身が大好物で、ワサビもすんなり生わさびか練り物か見分け、魚の鮮度にも精通するNさんがいる。 そしてNさんの大好物が『Sake』そう、日本酒だ。Nさんの持論は【この国で取れる穀物を元にしたスピリッツ類は悪魔の酒だが、日本産の日本酒はホーリー(聖なる)な酒だ】とのことだ。そこまで褒めて貰えると日本人としてはうれしい限りだ。
日本酒を世界に広めようとしている、元サッカー選手の中田氏も、この国にお忍びでやって来て、日本酒バーで一杯やっていたとの噂もある。
日本酒の良さがNYや欧州だけで無く、アフリカや亜細亜、中東と、世界中に広がると素晴らしい事だと自分は感じた。皆がホーリーに成ってくれれば世界は笑顔で溢れるだろう。戒律でお酒がダメな国を除いてだが。
さて、お寿司屋さんに到着。早速握りとNさんの好物、海鮮丼をオーダー。飲み物は先ずはレモンチューハイと梅チューハイ。エキストラに漬け梅を沢山。そして日本酒の冷やを徳利で。
海外でしっかりとした出汁の効いた味噌汁を、正月から飲むことが出来る幸せを感じつつ、Nさんと乾杯。
『新年、あけまして、おめでとうございます』
『今年もよろしくお願い致します』
と、はっきりとした発音の日本語で伝えると、
『シンネン、アケマシテ、オメデト、ゴジャイマス』
と、片言の日本語で返礼が戻って来た。片言の日本語って誰がしゃべっても可愛い。思わず微笑んでしまった。
12年間据え置きだった価格が値上がりした事と、冷やを頼んだのに、熱燗が出できたこと以外は全てハッピーな体験だとNさんは自分に微笑んでくれた。
海外で迎える新年。意外と悪くない。勿論、振袖姿の日本女子や、着物や袴姿の日本男児も恋しいが、25年~26年日本で暮らした。四半世紀暮らした事に成る。人生100年と考えても1/4だ。
1st四半世紀→日本国
2nd四半世紀→オセアニア、アジア
3rd四半世紀→ユーロ
4th四半世紀→アフリカor中東
なんてのも悪くない。あ、USと南米が抜けている。
どうも銃がある社会には行きたくない。なのでフィリピンも避けている。
ドュテルテさんが表れて大分安全には成ったと聞いたが、どうも未だ腰が引けている。アジアのメキシコ。そんなイメージがフィリピンにはついてまわる。この安全だと言われる国で、一昨年、殺傷事件に巻き込まれて、刺されている自分がいる。自分は多分アホなのだ。アホなので、刺される。なので、銃社会に行ったら、アホすぎて、一発で撃たれて、この世から消される。今は現世に執着がある。夢が戻って来たからだ。『作家になる』と。27歳の香港で誓った、『作家になる』夢。大分遠回りをしたが、練習し、実践し、新たな一冊の作品を作って行こう。
おっと、パートナーが昨夜寝ていないのだから、昼寝しろ。と。シエスタの国らしいアドバイス。あとは根を詰めて書きすぎるな。とも。兎に角休め。とのアドバイス。『大丈夫』と、日本式で昼寝をしない自分は答えるが、父の言葉を思い出した。「Haru、仕事中にな、昼に15分でもいいから眠ると違うぞ、お父さん寝だしてから体調良いぞぉ」と、彼が昔言っていた。いい歳だ、抗う抗うで生きて来たが、そろそろ【素直】と【アドバイスに従う】事も覚えよう。
素直に昼寝すっか。
では、Note二日目、終了。
次回は何時になることやら?