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『文にあたる』
約一ヶ月にわたる仕事が無事、終わった。正しくは、エージェントのコーディネーターさんに提出したので、これからチェックしていただく。
今回はチームではなく一人での仕事で、まあまあのボリューム。いつものことながら途中、沼にはまり込んでなかなか出られない数日があったり、2行くらいの一文を翻訳するのに数時間かけてもスッキリ解決しなかったのに、湯船に浸かってリラックスしていたらふと、解決の道筋が見えたりといういつも辿る工程を経ながら、何とか終えることができた。
いつもは仕事をしているときに本を開くことはほとんどないけれど、今回は、朝、仕事に入る前や昼休憩の後に少しずつ読み進めていた本がある(まだ途中)。
校正者の牟田都子さんの著書『文にあたる』。
8月には私のイチオシの本屋さんTitleで出版記念展が開催されていた。校正の仕事現場を再現する、とあって「絶対に行くぞー」と思っていたけれど、スケジュール的にどうしても行けなくて、泣く泣く諦めた。けれど、出版当日に本を購入し、一つのエッセイが4ページほどの短さなので、仕事をしながら少しずつ読み進めることができた。
牟田さんについてはTitleの店主、辻山さんが幻冬舎のエッセイにも書いている。
私が初めて読んだ牟田さんの文章は、これも私にとって宝物のような本である『本を贈る』に寄せていたものだったと思う。『本を贈る』は、本ができるまでに携わる人たち(編集者、装丁家、校正者、印刷、製本、取次、営業、書店員、本屋)のそれぞれの仕事にまつわるエッセイを集めたもので、牟田さんはもちろん校正者として文章を書いていた。その文章を読んだとき、校正は「職人」という言葉とぴったり重なると感じ、まさに「職人気質」好きの私にとって、ドストライクだったのだ。それ以降、校正という仕事に興味が湧いて創元社の『校正のこころ』なども手にした。
ただ、この『文にあたる』を読んでいるときも、本当に職人という言葉がぴったりだなぁ、、と思っていた次の瞬間、ページをめくったところのタイトルが「職人ではない」とあって、これにはクスッと笑ってしまった。ちなみにその理由は、職人は年数を重ねると熟練してきて同じ水準が保てるものだけれど、校正はどんなベテランも、明らかに間違いと思うようなところもスルーしてしまうからだとか。また、この仕事のいいところは、新人だろうがベテランだろうが、見「落とす」時は見「落とす」かわりに、ミスを「拾える」かどうかも案外経験の長さとは関係ないようだという。
牟田さんの文章を読んでいると、校正という仕事自体への興味が沸くと同時に、少し自信なさげな、それでいて校正という仕事に対する「愛情」みたいなものを秘め、強い軸を併せ持つ牟田さんに対する興味も芽生えてくる。牟田さんがお薦めしている本なども読んでみたくなった。
また、校正は、ひたすら一人でゲラと向き合う仕事ではあるが、疑問や調べものの結果をえんぴつでゲラに書く、という作業を考えると、一人での作業でありつつも、編集者や著者に伝える、語りかける、という側面もある。『文にあたる』の中にも、校正の仕事について「赤鉛筆で間違いを直す仕事ですよね」といわれて、「私の場合は赤鉛筆ではなく鉛筆で、直すというより尋ねる感じです」とある。一人の作業だけど一人じゃない、というところがほんの少し、私の翻訳作業と似ているなぁと思った。
他にも、「上手い人」の校正を見て勉強する、ともあり、私もできることなら、上手い人の翻訳、に触れていたいと常日頃から思っている。
さいごに、『文をあたる』の中に「鉛筆」という言葉が何度も登場して、「書く」道具にも多少興味がある私はさっそく、近くのデパートに入っている伊東屋で鉛筆を一本、買ってしまった。書く必要がある時はいつもは万年筆か、ちょっとメモをする程度ならボールペンだったけれど、「鉛筆」も使ってみようと思ったのだ。影響を受けやすい性格です。