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ギャップイヤーという選択をした私の話:その2

大学を卒業してから、その後のお話。

その1はこちらからどうぞ

ギャップイヤーという第三の選択肢を知ってから、大学卒業までの数か月間で、私の世界はなんだかぐんと広がった気がしました。

「ああ、自分はもっと自由でいていいんだ」そう感じられたからかもしれません。

もしくは、ギャップイヤーという「日本ではあまり知られていない概念」を知っている自分に、ちょっとどこかで酔いしれていたのかも...

今日はそんな私の卒業後のお話です。

レールを外れていく感覚

卒業式の日。

かろうじて対面での式ができ、久しぶりに友人や教授たちに会うことが出来ました。四年生の一年間はずっとオンライン授業だったので、心の底から嬉しかったことを覚えています。

でも、それと同時に、

「四月から社会人だよ」
「実は大学院に進学することになったの」

みんなの進路を知るたびに、自分に後ろめたい感情も抱くのでした。

周りの人たちが新しいステージに行くのを見て、焦りもあったし、自分は怠けているのではないかとも思ったし、羨ましさもありました。

自分でギャップイヤーを取るって決めたのに、こんなことを思うなんて、どれだけ自己中心的なのだろうと思いますが、その当時はなんだかもう、みんなが眩しかった。

でも同時に、「これでいいんだ」と呟く自分もいて、心の中は様々な感情が混ざり合って、もう自分で自分がよく分からないような。

卒業して気付く、「私守られていたんだ」

2021年4月。

待ちゆく人たちの中、緊張した面持ちで新しいスーツに身を包む人たち。SNSには同期の人たちとの仲良さそうな写真。

卒業式の日で終わりと思っていた、あのごちゃごちゃな感情が、またもや私の心に顔を出します。

とても抽象的だけれど、もっとユニークで刺激のある日々が待っていると、勝手に思っていました。だけれど実際は、全て自分で決めて動いていかないと何も変わらない、シビアな日々。

「自由には責任が付きまとう」
高校生の時言われた言葉の意味が、やっとこの歳にして分かった気がしました。

ここで、昨年末に書いた私の振り返り日記をご紹介します。当時の困惑具合がお分かりいただけるはず(汗)

自分でギャップイヤーを取る選択をして、自分の考えた「理想」を私は歩いている、確かにそんな感覚はありました。

でも、正直なところ今年はかなり孤独に思う日々も多かったです。
就職や進学をしていったみんなの姿を見ては、
なんだか自分がちっぽけに思えることもありました。

自分で自分のこと「ニート」とか言ったり、
でも本当に今の私って何?って考えたり。

何かに申請するときに、個人情報を入力しますよね。その「所属」の部分で、私はいつも手が止まっていました。
今の私は「社会人」でも「学生」でもなく、その選択肢の中に当てはまるものがない。その「所属」がないことへの恐怖。

特に上半期は、こうして人と自分を比較したり、
社会の現実を思い知ったような気もしたり、
なんだか色んなことに必死でした。

私の場合、「大学生」というあの肩書きがあったことで、周囲からの一定の信頼や、自分自身への安心感を想像以上に得ていたように思います。

でもまあ、焦りや自己批判/否定をある程度してしまうのは仕方ないよね、人間だもの。

ノープランなプランを描き始める

モヤモヤずっと悩んでいたって仕方がない!と、ついに吹っ切れ、私は兎にも角にも、何か行動を起こすことを決めました。

それが四月中旬~下旬の頃合い。

もともと、海外大学院に行くという目標があったので、
何かしら経験を身に着けようと、自身の関心のある分野で活動している、NGO、ベンチャーなどでのインターンを探しました。

全てはマッチングということで、拾ってもらったNGO2団体でのインターンがスタート。

そうやって少しずつ、自分の輪が広がり、新しい人たちとも出会い、実感したのは「自ら決めて動くこと」の大切さです。

別に大きなことをしなくてもよくて、近所を散歩するとか、普段読まない本を読んでみるとか、逆に「今は休むんだ!」と決めて、何もしないことだって立派な決断と実践だと思います。

どんなに小さなことでも、それはいつか水の波紋のように、あなたの周囲を巻き込み広がっていくはず、今はそんな風に思います。

次回は、今現在について。ギャップイヤーの話は、ひとまず次回で終わりに!

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