学校で安心して過ごすための視点
金曜担当のりょーさんです。
僕たちの活動では、学校や福祉機関等と会議を開いて、利用するお子さんをチームでサポートすることを大事にしています。
発達障害のあるお子さんやしんどさを抱えているお子さんが、よりよい環境(
地域社会)で自分らしく育てるようなサポートをしていきたいからです。
今回はそのお話しから援助要請の難しさ、大人が見落とすことについてお話しします。
スピードと回転数
こんな例えからスタートしてみたいと思います。
写真みたいに、同じ道路に車が並んで走っているとします。
みんな同じスピードです。60km/時で走っているとします。
でもこの中にはミニバンがあり、バスがあり、スポーツカーがあり、軽自動車があるわけです。いろんな車がある。
ってことは「同じスピードでもエンジンの回転数が違う」ってことです。
もうちょっと言い方をかえると、みんなが同じスピードで走っているとしてもエンジンへの負荷(ストレス量)が車によって違うってことです。
子供たちが学校で安心して活動するということについて、このスピードとエンジンの回転数で考えるとわかりやすいなーって思います。
みんなと同じくってのは「みんなと同じスピードで走る」ってここと
学校はやはり「みんなと同じスピードで走る」ということを求めます。
先生が「みんな違ってみんないい」だから「バラバラのスピードでOK」と思っていてたとしも、先生一人の力には限界がある。
学校のシステムはどうしても同じスピードを求めてしまいます。
ある程度はしかたないと思います。
でも、やっぱり「ちょっと厳しいな」という学校やクラスはあります。
その中で、子供たちもみんなと同じスピードで走ろうとします。
でもどうしても差は出ます。30km/時の子もいれば、90km/時の子もいます。
全体を見渡した時、「みんな60km/時で走っているね」という形式をとっている。そんな感じです。
「できてますよ!」「頑張ってますよ!」の背後にある盲点
僕たちは仕事柄、学校の先生たちと関わります。
いわゆるケース会議※を行います。
そこで困り感のあるお子さんについてのお話をするんです。
「ちゃんと授業も聞いていて、活動も積極的で、がんばってますよ」
先生は言ってくれます。もちろん善意で、関係者を安心させるためにお伝えしてくれることだと思います。
そして確かに頑張っているし、できているんだと思います。
困り感(発達凸凹)があったとしても、ちゃんと適応しているように見える、頑張っているって子、たくさんいます。
その子を全体(クラス)の一員としてみると「あの子はちゃんと60km/時で走っているな!」って見えます。
だとしたら、先生からすると「もっと大変な子はいますよ」って気持ちになります。それは当然のことです。
ただ、そこで出てくる言葉、「頑張ってますよ!大丈夫ですよ!」…その言葉の背後には盲点があるかもしれないんです。
「みんなと同じスピード」でも、回転数はみんな違う、、、
発達凸凹、でもクラスでは、みんなとスピードは同じなんです。
では、回転数(エンジンの負荷)でみるとどうでしょうか?
もしかしたら、アクセル全開で、回転数爆上がり、オーバーヒート寸前かもしれません。
だとしたら、みんなと同じスピードではなく「みんなちがってみんないい」
そして、「走るスピードを調整し、ちょうどいい回転数で走りましょう」
本当に必要なのはそういうものだと思います。
しかし、学校はまだまだそうなっているとは言い難い。
だとしたら、可能な範囲で、アクセルの踏み方、ブレーキの使い方、調整しながら、「別の走り方でOKだよ、だって人ってそれぞれ違うんだもの」ってアプローチが必要なはずです。
(これができるようになるプロセスに「自己理解」が必要になっていきます。自己理解については改めてテーマにしたいなーって思っています)
「みんなと違ってみんないい!」…ができない理由がある…
なんか疲れる!
なんかみんなと合わせるのしんどい!
みんなと同じことをやっているだけなのに!
子供はなぜかわからないけどこんな疲弊感の中でもがいている可能性があります。
みんなと同じように動いているのにエンジンがプスプス言っている状態です。
そう、ここで「みんなと同じ」がネックになります。
もっというと「みんなと同じができちゃっている」がネックになるのです。
「みんなと同じでなくてもいいよ」と親や先生が思っていても、どうしても子供は「なんとなくのプレッシャー」を感じます。
「同じであることが正しい」「みんなと違うのは嫌だ」って思います。
横並びの集団って、そのようになりがちです。
そして、なんだかんだで大人たちは「みんなと同じく頑張っているあなた」に承認を与えてしまう。
「みんなと同じスピードで走れている」からこそ、そして大人も「できている」と思っているからこそ、援助要請を出しにくい、そういう構図が生まれてしまうのですね。「助けて!」が言えないのです。
そして、家でイライラする、泣きやすくなる、元気がない、癇癪が増える、「なんか疲れたー」を連発する、勉強しない、などシグナルとして現れます。時に明確に見えない形で。
これがいわゆる過剰適応ってやつです。
ということは、そのシグナルを受け取り、エンジンがオーバーヒートを起こす前に(つまりバーンアウトする前に)、何か対策をとる必要がある、ということになります。
そのためにも日頃から「子供の声を聴く」が必要になってきます。
今後、もうちょっと具体的に書いてみたいと思います。
追記
私たちNPO法人はるは、ぎふ寺といいう、いわゆるギフテッドと言われる子どもたちのコミュニティをつくっています。
小学館「みんなの教育技術」のサイトで特集されていますのでご紹介します!