見出し画像

「子供と向き合う」ということ

こんにちは!りょーさんです。

このエッセイ書き始めて、もうちょっとで五ヶ月です。
書きながら、思考を巡らせ、ときに文献にあたったり、ネットで検索したりってことをしてきました。実践をもとに理論との整合性を整えつつと思っていますが、経験則から書いているところも多いです。
なにか疑問があったり間違いがあったらいつでもご指摘ください。それをもとに思索したり学び直したりして再発信します。

●今まで書いてきたことの整理をするとー

僕が、これまで書いてきたことをちょっと整理します。

①子供の援助要請(ヘルプを求める)の力を育てることは大事!
その援助要請を大人が受け取ろう!

②子供の人生のことは子供が決める、自己決定が大事。
子供が、大人のコントロールに従属していても、反発していても、いいことはあまりありない。
自分の人生が自分に決定権があるって実感が大事。
その練習のためには、ちいさな「あなたはどーしたいの?」って問いの積み重ね。

③基盤となるのは子どもとの信頼関係。
そのために、ちゃんと子供の声を聴こうね。
子供が大人への忖度(大人の正解)ではなく、自分の心からの言葉を話すことが大事だよ。

っていうような話でした。
それを踏まえ、今回は「子供と向き合う」ってことをテーマに考えてみます。


●ゆるーい関係がいいのかな?

上記を読んで、「大人と子供の関係はゆるーい感じがいいのね」「なんでも話せるラフな関係がいいってことね」って思われる方もいるかもしれません。
確かに、厳しすぎる、コントロールしすぎる大人であれば、もっと「ゆるーく」でいいかもしれないです。
でも、ゆるすぎるのがよいというわけでもない。ラフな関係がいいってわけでもない。

そうではなく「大人が子供とどう向き合っていけば良いのか?」って言う話しなのです。


●「誰かのせい」で済ませて無責任を学ぶことだってある

たとえば、大人は子供が、ある種の枠から外れたとき、合意していたことを守らなかったとき、自分の課題を別のものにすりかえたとき、「それは違う!」と言える存在でいるべきだと思います。
ちゃんと目を見て、毅然として「ダメなものはダメ」「あなたが考えるべきことだから考えなさい」ってことを伝えられる存在です。

たとえば、こんなことがよくあります。
なんでもやってあげるタイプのお母さんがいるとします。
学校、塾や習い事の準備もほぼほぼやってあげる。
「あの子にはできない」あるいは「どうせやらないし」って思って一生懸命お世話をしているわけです。
そして、たまたまお母さんがミスって忘れ物をしてしまった。

子供はこう言います。
「お母さんが準備したから、お母さんのせいだ」

どう思いますか?
ここで「あ、お母さんが悪かったね、ごめんごめん」ってやってしまうと、子供は「無責任」を学びます。
そもそもお母さんを「なんでもやってくれてる召使い」みたいに思っているかもしれません。

上記を、ガミガミ言いながらやってあげるお母さんもいます。
「何でこんなこともできないの!」「だからあなたはダメなのよー!」って言いながら、ぜんぶやってあげちゃう。
「あー、それはやっちゃダメー!」って思います。
子供の自尊心傷つけながら、召使いをやっちゃっているって感じです。


●「ままならぬもの」としての他者

子供にとって大人は他者です。たとえ親であったとしても。
他者は「ままならぬもの」です。子供は発達のプロセスで、他者が「ままならぬもの」であることを受け入れていくことが大事です。
ぬるーい関係ではそれは生じません、無責任と間違った万能感を育ててしまいます。かといって叱られてばかりでは従属を学び、自尊心が挫かれます。

そのために、大人は「子供と向き合う他者」として存在するってことが大事だと思っています。
子供に向き合わせる他者ではなく、子供と向き合う他者です(結果として子供が向き合ってくれるかもしれない)。

常に叱りつけているような状態であれば、それは向き合っているとは言いません。叱ることで自分や他者と向き合うことから逃げているだけです。
怒鳴りつけることでコントロールしようとするスポーツの指導者や教員・支援者は子供と向き合っているとは思えません。ただ「コントロールしたい」って欲望に忠実なだけです。(これについては僕はやっぱり厳しい意見を持っているんだなーって思います。傷つく方がいたらゴメンなさい)

一方で、相手を腫物のように扱っていたり、ぬるーい関係のまま「何でもあり」を許していれば、これも向き合っているとは言えません。「任せる」という名の丸投げです。
うちで働き出したばかりの若いスタッフが「子供に怒れないんすよね…」って言ってくることがあります。まあ気持ちはわかります。経験も少ないし、別に怒ることが正解でもない。でも「向き合う覚悟がない」って言葉にも聞こえる。この場合、「寄り添う」と言う名のもとで、大人にとって安全なだけのぬるーい関係になることがあります。こうなると、その人は信頼に足る大人になることはできません。


●向き合うって何だろうか?

大事なのは子供を恐れず、子供の人格や成長を信頼し、一人の人間として遇すること。「ダメなものはダメ」としっかりと向き合って対峙しつつ、「あなたの大事なことは何?」「それをやり遂げなさい」と温かく背中を押す人、腹を据えて支える人であること、そんなスタンスが必要なのであります。

書いていて思います。「俺厳しい!」笑
…そう、簡単な話ではないのです。
永遠の漸進(ちょっとずつ進むこと)が求められます。



最後まで読んでいただきありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?