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子供たちのこと、信頼している?

こんにちは!りょーさんです。

今日は、子育てや教育現場、もっというとすべてのあらゆる組織において大事な「信頼」について、です。


●不信の眼差し

「あの子のこと、信じられなくて、、、」

子供たち、、、ずっと一緒にいれば、嘘はつくし、誤魔化すし、必要なこと伝えてくれないし、だらしない。「勉強した」って言って、ウソ、やってねーし、、、。
子供は、確かに、大人との信頼関係を壊すようなことをしてきます。
思春期ともなるとそれをアクロバティックな方向からしてきます。「そんな手があったか!」っていうことを笑

その都度、親(大人)はイライラするし、不安にも駆られますね。
アイツ、嘘つきになるんでないか? 勉強ダメになるのではないか? 人として大丈夫だろうか?

その不安、わかります。
でも、その不安、どう処理しますか?
もし、叱りつける、コントロールすることで不安への対処しているとしたらどうでしょうか?
さらに、、、子供が間違った行動をしないように「疑い」の眼差しで見るようになったらどうでしょうか?

子供は「不信の眼差し」を向けられることを感じとります。


●大人だって「不信の眼差し」キツいです。

さて、これは大人でもしんどいことです。
たとえば、職場で、、、
「あいつはできないやつだ」
「あいつは必ずミスする」
「だから監視し、管理し、ミスした瞬間に指摘しないとダメだ」

この話、かつての僕の経験なのです。
ある職場で僕は、たくさんミスする存在でした。
最初は上司も優しく教えてくれました、でも、繰り返すうちに、「ミスをする奴」ってなっていいきます。指摘が多くなるし、「またミスしたのか」とため息をつかれます。
僕も指摘が怖くて、萎縮する。しまいにはミスを隠したいって気持ちになる。
ミスを隠せばさらに不信は高まります。

完全に悪循環です。

幸い、その職場の人たちの多くは僕を支えてくれましたが、でもやっぱりしんどかった。ミスする自分をうまく受け入れられなかった自分の未熟さもあります。でもやっぱり、不信の眼差しもキツい。
下手すれば、職場全体からそんな眼差しでみられていたかもしれません。
そうなれば、その職場は「敵だらけだ!」って思ってしまうかもしれません。
不信の眼差しを向けられれば、不信の眼差しで返すしかない。それはとても悲しく、辛いことです。

相手のネガティブな視線や姿勢や対応は、ネガティブで返すのが人間ってものです。


●いずれ「バカなことをしてたなー」って何思うんです

子供たちへの関わりに話を戻します。
確かに子供たちは嘘をつきます。誤魔化します。やることを先延ばしし、てきとーなことをやります。

でも、、、、
いずれそんなことやっても不毛だな、って思います。気づきます。
振り返って、黒歴史だったなって笑ってすませるようになります。

僕たちは、それを「成長」と言うんです。
そしてその成長は、ビデオテープみたいに早送りで進めることはできません。
でも不信の目で見られていると感じれば、このような気づきや成長は得られないかもしれません。ビデオテープを止めることになります。
成長というのは環境や関係性によって止めたり、ぐしゃぐしゃにこじらさせたりすることはできるけど、早送りすることはできない。そんなふうに思います。

だとして、僕たちができることはなんでしょうか?

眼差しとして向けるべきは「信頼」です。
「信頼して待つ」
のです。
「うへーー、一番嫌いなやつだーーーー」って思う人もいるでしょう。でもこの姿勢、とても大事です。

子供が嘘をつくとしたら、それなりの正当性(理由)があるんだろうな。
自分が同じ年頃だったら同じようなことをするだろうな。
いずれそんなバカなことをしなくなるだろう。
アイツは間違いも犯すが、根っこは素晴らしいやつ
なんだ。

そんな眼差しを向けること、それが信頼をするってことだと思います。

子供たちは、大人から、信頼してもらっているな、待ってくれているなって思えるから、試行錯誤できるんです。
試行錯誤は、成長のために絶対に必要なプロセス
試行錯誤によって人は成長する。
自分だけの早さ
で、です。


●信頼のトリクルダウン

札幌ではちょっと有名な(元)校長先生が伝えてくれた言葉があります。
「自分にできることは、現場の先生たちを信じ切ることだ」
そしてこう付け加えました。
「それはとても大変なこと。朝起きるときしんどいって思うこともある」

学校のトップである校長先生が現場で働く先生たちを信じる。
その信頼が伝播して先生たちは生徒たちを信じる。
その信頼が伝播して生徒同士が信頼し合う。
学校全体が「信頼醸成の場」となっていく。
あの時、校長先生はこういうことを言いたかったんだと思います。
組織においてトップが信頼を注ぐ、すると信頼が滴り落ちていくんです。

組織も、クラスも、家族も、同じです。

綺麗事に聞こえますか?

信頼を注ぐ、それは目に見えない、曖昧模糊としてよくわからないこと。
それをしなければならぬとすれば、まるで自分が修行僧にでもなったかのような取り組み
です。
でも、全ての土台となると思います。
組織運営をする立場からも、子供たちをサポートする立場からも、強い実感を持っています。

ただ、これは誰かの支えないとできないよなーとも思います。
だから、子育てには「人の支え」が必要なんです。
(ここから日本の子育ての社会的な構造的な問題を語り出すとこれはこれで言いたいことがたくさん、、、でもそれはまた別の話ですね)

最後まで読んでいただきありがとうございました。



●追記 ぎふてっど寺子屋

NPO法人はるのとりくみのひとつである「ぎふ寺」こと「ぎふてっど寺子屋」が紹介されています。
ギフテッドは今、話題ですね。話題になると本質からはずれた議論になりがちですが、ちゃんとした理解が必要です。ぜひご覧ください。

第1回「ギフテッドの特性と学校」https://kyoiku.sho.jp/171041/
第2回「ギフテッドもしくは2Eの子どもの支援実例 https://kyoiku.sho.jp/172207/ 
第3回「学校に行けない子の居場所。社会性を育むとは?」https://kyoiku.sho.jp/171244/
第4回「等身大の自分を伝えたい!」https://kyoiku.sho.jp/171891/
第5回「探究学習への変革のヒントをギフ寺から探る」https://kyoiku.sho.jp/172975/

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