論語って基礎教養だと思ってたらそうでもなかった
「今日で四十の不惑となりました。」
社内でそんな話をしたら「不惑・・・?」と言われ「論語は基礎教養なのに読んでないのかよー」と部下に茶々を入れたのですが、その後どの部下に聞いても「不惑?」となり、さらには社長に聞いても「不惑・・・?」と言われる。
不惑ってみんな知らないのか・・・。
論語
『論語』というのは孔子の死後、弟子たちがその偉大な師の考えを残すために編纂された四書の一つで、儒教を学ぶ上でのスタートとして中国を中心にロングセラーとして愛され読まれている本です。
一説によれば「世界最大のベストセラーが聖書なら、最長のロングセラーは論語」といわれるくらいポピュラーな書。
書いたのはお馴染みの『孔子』
孔子を知らん人でも「子、曰く」といえばなんとなく聞いたことあるかもしれない。
「子、曰く」の『子』が孔子のことです。
ちなみに『不惑』が出てくるのはこんな内容
訳すとこんな感じ
孔子の一生はこんな感じだったよてな文です。
「独り立ちが30歳って現代の感覚からするとだいぶ遅いな」とか「60歳くらいって周りの意見全然聞かない俺が絶対正義だ!みたいな爺さんばっかよな」とか色々思うことはある。
現代感覚からするとズレがあるのか、孔子がスゲー聞き分けの良いおじいちゃんだったのか、謎は深まる。
この教えをもとに年齢を表す際40歳は『不惑』、50歳は『知天命』と呼んだりする・・・んですけど一般的ではなかったかぁ。
論語の全文はともかく『不惑』に関しては一般常識と思ってドヤ顔で語ってた自分を殴りたい。
そんな不惑の年のしょっぱなから道に惑ってます。