アントニオ猪木 最強の政治家 前編
まえがき
一部脚色してますが、ほぼ実話です。
平成初期にこんな怪物みたいな行動を起こせる国会議員が実際にいたんだと知ってほしい思いで書きました。
選挙の際毎度のように聞く「投票なんて誰に入れても一緒」という言葉は事実ではありません。
何故ならアントニオ猪木という政治家は『誰にもできない政治活動を行った』伝説の男だから。
湾岸戦争の気配
1990年8月2日、イラクが隣国のクウェートへと侵攻を開始した。
これをきっかけに中東を中心に世界中で緊張が走る。
そしてイラク国内ではイラクからの外国への国外渡航を禁止されてしまう。
しかしイラク国内にはまだ多くの在留外国人が残っており、その中には数百人の日本人も取り残されていた。
猪木、最初の渡航
1990年当時、スポーツ平和党の国会議員(兼プロレスラー)だったアントニオ猪木はイラクに取り残されてしまった日本人たちの安否を気遣っていた。
( ^ω^)「外務省の交渉全然進まないじゃねーか」
( ^ω^)「どうなってんだ、オイ!」
猪木議員の言う通り政府の交渉は遅々として進まず、日本国民も被害者家族も政府に対して日々イライラが募っていた。
( ^ω^)「もうオレが行く!」
猪木議員はそう言うと政府が止める声も聞かず、イラクへ飛び立った。
90年9月
( ^ω^)「ここがイラクか」
( ^ω^)「誰か迎え来たな」
イラク側「どうもイラクの副首相です」
( ^ω^)「日本人解放してくれ」
イラク側「できるわけないじゃんwwwww」
( ^ω^)「・・・」
( ^ω^)「・・・俺の尊敬するファイターに『ジュネード・バグダーディ』という男がいる」
イラク側「・・・!!」
( ^ω^)「その男は800年前活躍した格闘家で男気溢れる人だった」
イラク側「・・・」
( ゚ω ゚)「貧しいファイターと戦う時はわざと負けて、相手に賞金を遅らせるような凄いイイヤツなんだ!」
( ;ω;)「イラクには・・・彼のような”義侠心”はないのかい?」
イラク側「・・・」
イラク側「ジュネード・バグダーディは私のご先祖様だ・・・」
イラク側「話を聞こう。はるばる遠くから義侠心とともにやってきた”ファイター”よ」
そうして猪木とイラクとの最初の交渉が始まった。
だがここでは多くは決まらず次回に持ち越しとなってしまう。
猪木二度目の渡航
90年10月
( ^ω^)「また来ることになったな」
( ^ω^)「お、また迎えが来た」
イラク側「猪木さん、何度来ていただいても解放は約束できないですよ」
( ^ω^)「今日はその話じゃねぇ」
イラク側「・・・?」
( ^ω^)「戦争は気が滅入ってしょうがねえ。戦いたい奴が戦う。そんな祭りを開催しようぜ」
イラク側「祭り・・・」
( ゚ω ゚)「”スポーツ平和の祭典”のイラクでやろうや!」
イラク側「えええええ」
イラク側「その提案のために日本から来たんですか!?そんなんできるわけないですよ!」
( ^ω^)「出る前に負けること考えるバカいるかよ」
( ^ω^)「日本人がこの国を出国できねぇってんなら、せめて家族だけでも祭りに招待して会わせてやりてぇじゃねえか」
( ゚ω ゚)「やるぞおおおおお」
猪木は自身の人脈を使い、方々尋ね周りなんとかイラクの芸術相を説き伏せ開催の許可を取り付けた。
日本へ帰国
マスコミ「猪木議員!今回のイラク渡航の目的は!?」
( ^ω^)「祭りだ」
マスコミ「?」
( ^ω^)「祭りの開催を取り付けてきた」
マスコミ「それはイラクで・・・?」
( ゚ω ゚)「『アントニオ猪木主宰 スポーツと平和の祭典inイラク』開催だ!!!!!」
マスコミ「ええええええ!!!!?」
日本国民「えええええええええええええ!!!!?」
政府「えええええええええええええええええええええ!!!!!??」
この行動に怒ったのが時の政府である海部内閣。
政府「俺たちが粛々と人質奪還に向けて動いていたのに、あいつはなんであんな勝手な行動を・・・!!」
政府「おい!猪木が勝手な行動取れないように各所に通達しろ!」
怒り狂う日本政府だったが、その一方単独で進んで行動していく猪木に期待する人たちもいた。
人質被害者家族「政府は交渉を何か月も続けてくれているが全然進まない」
人質被害者家族「猪木議員!!!私たちはあなたを信じていいんですか!!!?」
( ^ω^)「プロレスラーに・・・」
人質被害者家族「・・・?」
( ゚ω ゚)「プロレスラーに・・・不可能はないッッッッッ!!!!」
人質被害者家族「!!」
人質被害者家族「イノキボンバイエ」
人質被害者家族「イノキボンバイエッッ!」
人質被害者家族「イノキ!!!!ボンバイエッッッッッ!!!!!」
とこうなったかは想像でしかないが、確かなことは当時人質被害者家族の会は行動で示す猪木議員に対し、自身の家族と会える一縷の望みをかけて支持することを表明した。
圧力
90年11月
日本政府の懸命な交渉で74名の人質の救出に成功。
政府「俺たちだってやればできるんだ」
一方猪木は・・・
( ;ω;)「どこの航空会社に行ってもなしのつぶてだ・・・」
イラクまで被害者家族と祭典出場選手を乗せてくれるよう交渉したが、日本政府から圧力をかけられどこの航空会社も全て答えは「NO」だった。
( ^ω^)「だが諦めるわけにはいかねぇ」
そう言って猪木議員は園遊会に参加していたトルコの全権大使に直で交渉することにした。
( ゚ω ゚)「トルコ駐日全権大使!!!!!頼みがある!!!!」
トルコ大使「えっ!?なんですか猪木議員・・・?」
( ゚ω ゚)「貴方の力が必要だ!!!頼む!トルコのチャーター機を貸してくれないか!!!!?」
トルコ大使「イラクへ行きたいってことですよね・・・費用の面で無理ですよ・・・」
( ^ω^)「・・・出す」
トルコ大使「えっ?」
( ^ω^)「・・・飛行機があって飛ばすのに金がいるなら」
( ゚ω ゚)「俺が全部出すッッッ!!!!!」
トルコ大使「ええええええええ!!!???」
猪木議員はチャーター機の費用を自腹で全て出すことで、トルコ大使からチャーター機を飛ばしてもらえるよう約束を取り付けることに成功した。
そしてさらには飛行機でトルコに入った後、トルコを中継してイラク入りする仲介も取り付けてしまった。
後編へ続くッッッッッ!!!!