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【長男と三つ子育児実体験】エピソード2〜20歳での妊娠生活〜


ハタチでお腹に出来た赤ちゃんを産む決心をした私。
産むと決めてからも、不安になったり、
本当にこれで良かったのか
と悩むこともしょっちゅうでした。

妊娠発覚当時、大学3年の終わり頃でした。
私は大学を辞め、お腹の子の父親である彼と結婚して
家庭を待つことにしました。


当時彼はフリーターで
定職には就いていませんでしたが、
結婚して子どもを産むと決まってから
すぐに就活をして仕事を見つけてきました。


しばらくは私の実家に同居というかたちでお世話になり、
妊娠生活を送りました。

実家のサポートもあり
安定した毎日を送ってはいましたが、
やはりそれでも妊娠生活は不安だらけ。

ついこの間まで学生として生活していた
精神も未熟な自分にとっては
毎日何かしらの不安を抱えていました。


妊娠、出産時に限らず
女性はとにかくホルモンに影響されやすい
なんならホルモンに支配されているのでは?
と思うほどですが、今思えば妊娠中は特にそれが大きかったように思います。


いつも次回の検診までの間
ちゃんとお腹で生きてくれているか不安でいっぱいで、
検診で元気なのを確認しては安心したり。
胎動を感じるたびに生命の不思議を感じたり。体重管理がうまくいかなくて焦ったり。
今日は塩分過多と言われたと落ち込んだり。

幸い身体は頑丈な方で、経過こそ順調でしたが
妊娠とは別のところでも精神は不安定でした。

この間まで一緒に学生をしていた
周りの友人たちは就活に向けて進んでいく中、
自分は取り残されているような錯覚に陥って
勝手にひとりでへこんだり、

実家で過ごしていることで
自立できていない自分にも嫌気がさしたり、

産後の事を考えると
漠然とした大きな不安が襲ってきたり…


当時の私は夫に勧められて
妊娠中の日記をつけていました。
読み返してみると、メンタルの浮き沈みが激しかったのがよくわかります。


そんなこんなで、
長い様で短い妊娠期間も臨月にさしかかりました。

当初、出産予定日は5/5、なんと子どもの日でした。
臨月に入った頃から、病院の先生には、
安産のためにもよく歩くのが良い
とアドバイスをもらっていて、
その頃の私は基本的に徒歩移動をよくしていました。
階段も積極的に使って、安産を目指していたのです。

初産あるあるだそうですが、1人目は予定日より遅れる
というあるあるが存在するそうで、
私も例に漏れず予定日を過ぎても陣痛は来ませんでした。


先生のアドバイス通りたくさん歩いたのにな…
足りなかったのかな?

そんな些細なことでも神経質になっていました。


でも中々陣痛が来ず、やっと陣痛が来たのは
その年の母の日、予定日の6日後の5/11でした。


早朝4時頃。
ん?陣痛…?陣痛来たかも!!

でもまだまだ余裕でいられる程度。

本当に陣痛なのかよくわからず、
とりあえず母に伝えて、病院に電話すると
入院の用意をして来て下さいとのこと。

夫を起こして病院へ向かいました。

着いてからも中々陣痛は強くはならず、
産まれる気配はあまりせず。
とりあえず診察を受けたり、NST(赤ちゃんの心拍数と子宮収縮具合を調べる器具)つけたり。

今日はまだ産まれへんっぽいかな〜
それか陣痛促進剤とか打たれるかも…?

そんな事を思いながら病室で待機していた時、
看護師さんが『ハルさん、分娩室に移動しましょう』
と言って来ました。

私の頭には?が飛びました。
まだ陣痛来てないのになぜ???

混乱していると、外で待っていてくれた母と夫が部屋に入ってきて、続いて先生も入って来ました。

先生が言いました。
『ハルさん、今から緊急帝王切開をします。』


私の頭はさらに?でいっぱい。
余計混乱していると、先生が落ち着いて説明しました。

『今、お母さんの陣痛が来るたび
 赤ちゃんの心音が落ちていて
 元気な今のうちに出してあげないと、
 2、3分間隔の陣痛が来る頃には
 心臓が止まってしまう危険があります。』


散々聞かされて自分でもわかっていたつもりでした。
出産は命懸け。母親も、赤ちゃんも。



次回、エピソード3〜長男が産まれた日〜



↓エピソード1〜長男の妊娠発覚〜↓







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