遠隔教育が、地方のマインドセットを変えるかもしれないと思う。
地方と都会では、教育格差が存在する。これは、現代の日本にとっても、正直否定できない。義務教育までは、地方は優れている。学級数が少なくてのびのびできて、先生たちも熱心である場合が多い(私の県はとても田舎で、教員採用試験倍率が全国トップクラス)。しかし、高校以上になると、地方の教育レベルは大きく下がると思う。これは、自分が肌で感じてきたことだった。大学にもなれば、そもそも志望する学部が存在しないという事態に陥る。私の県には、工学部・医学部・教育学部くらいしかなかった。しかし、現在、そんな教育格差が軽減されつつある状況にある。
地方でも、多くの専門的情報が手に入るようになってきた
今は、一昔前より地方にいても情報が手に入りやすくなっている。以前は、最先端の考えに地方の人が触れる機会は、本くらいしかなかったと思う。しかし、執筆から出版までに1年くらいはかかるので、それが最先端の情報かといえば、そうでなくなっている場合も多い。一方、現在は様々なコンテンツが充実していて、タイムリーに専門家から知見を得られるようになっている。
私が最近よく利用するのは、Youtube、Newspicks、Courseraである。Youtubeは無料でいろいろな人の考え方に触れられるのが楽しいし、Newspicksの有料コンテンツは、テレビの対談よりずっと面白いしためになると思う。Courseraは、ほぼ無料で専門家たちの授業が受けられる。多くは英語なのがちょっと厄介なところではあるが、裏を返せば、どこに居ても海外の専門家たちの授業を受けられるというのは、親世代の人、特に地方民としては、夢のような話ではないか。
これに拍車をかけるのが、コロナウイルスである。コロナウイルスの蔓延により、大学や専門学校の授業を遠隔で受けられるようになった。これまで、多くの高校生たちは、良い大学教育を受けるために、県外に出ざるを得なかった。地方国立大学と都会の有名大学との間には、やはり格差がある。今回の騒動により、大学でオンライン授業が行われるようになった。卒業論文も、教授たちとオンラインでやりとりしているらしい。それで成り立つのなら、わざわざ大学まで通学する必要があるのだろうか?
地方の人たちが、都会へ進学することのデメリット
地方の人たちが、大学で都会に出ることは、個人としても社会としても、デメリットは多いと思う。個人としてのデメリットは、まず金銭的な問題だろう。一人暮らしをすると、生活費のために月に10万円くらいの仕送りが必要になる。4年間で480万円、6年間で720万円かかる計算になる。これに加えて、学費が国立なら年間50万円、私立なら100万円以上かかるので、かなりの経済的負担であることは明らかだ。
個人としてのデメリットの二つ目は、親や友達と離れて暮らすことではないだろうか。18歳は、精神的に未熟な場合が多く、初めての土地でひとりぼっちで生活すると、鬱になったり、逆に遊んでばかりで留年になってしまったりすることがあると思う。知らない土地で得られる刺激も大切だが、それが合わない人もいる。
最後に、社会としてのデメリットを考える。現在は、地方から優秀な若い人がどんどん都会へ流出し、そのまま都会に居続ける場合が非常に多い。田舎であればあるほど、その傾向は強い。私の県であれば、約7割が進学先として県外の大学を選択している。志望する学部がないなどの問題もあるが、「都会でなら、面白い人たちに出会えそう。」というような気持ちがあるように思う。地方から、先進的で独創的で志ある人たちが、都会へ流出するループが生まれているような気がしてならない。
今こそ、地方のマインドセットを変えよう
この前、動画で視聴した安宅さん(イシューから考えよ・新日本の著者)と落合さんの対談が印象に残っている。彼らがいうには、システムを変えても意味がない、ということだった。システムを変えたところで、変えられた側は文句を言うだけだ。なぜそれが必要なのか、きちんと深いところまで個人で納得していないと、システムを変えても無意味。本当に大切なのは、マインドセットである、というような内容だった。私は、この見解に非常に納得した。今こそ、地方の人たちがマインドセットを転換して、立ち上がる時だと思う。
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