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同性の友達がいない妻でごめん。どうか見守ってね

 人に合わせることが苦手、もっとちゃんと言うと、同世代の同性に合わせることが苦手。すごく大きなコンプレックスだよなあ。ずっと前から自覚しているのだけれど、特に最近そう思う。たぶん夫と暮らすようになったことがきっかけ。夫が私を「友達がいないやつ」と思っていることが、日々のちょっとした会話の中で伝わってくる。うーん、確かに私には、定期的に友達と会ってお酒を飲んだりランチをしたりしないし、電話やSNSで常に交流してもいない。日常的に遊ぶ友達がいない。「それがなくてどうやってストレス発散するの?」と思われても無理はない。そして何より”女友達がいない女”というレッテルが心に刺さる。刺さるけど、どうにも対処できずに30年以上過ごしてきたので、この痛みにはもう慣れた。慣れたけど、しんどいはしんどいです。

 友達がいないとは言え、本当に数少ないけれど、信頼している大好きな人たちがいる。その人たちは年齢も性別も所属もバラバラで、なんとなく「友達」と定義しづらい。「大事な人」とか「大好きな人」と呼んだほうが自分の中でしっくりくる。その人たちと数年に数回連絡を取り合うだけで、私の“人と交流したい”欲は充分に満たされてしまう。毎月とか毎週とか毎年とか定期的に楽しい時間やエピソードを共有しなくても、本当に心の底から大好きな人が私のことを忘れないでいてくれて、たまーに連絡を取り合えたら、私は1年でも2年でも満たされたまま過ごせる。その人たちの存在があるから、自分に友達がいないという事実と折り合いがつきつつある。他人からの「あいつボッチじゃん」みたいな視線は鈍感で気にしないタイプ(便利)。でも夫の視線はとてもとても気になる。友達がいないことはそっとしておいてください案件なのだけれど、毎日一緒にいると気になるんだろうなあ。私だって、相手の中に理解できない部分を見つけると、気になってしまうものね。

 私から見て、夫のコミュニケーション能力の高さはとても魅力的だ。夫が人と交流している様子を見ると、同じように能動的になれない自分に対してコンプレックスを感じる。でも、そんな自分のままで良いと開き直ってもいる。友達がいなくて何が悪い!?とキレたりせず、どうせ私はコミュ障です…と卑屈になったりもせず、「確かに私は友達いないからなあ…友達の多い人から心配されるのも無理はないよなあ…でもこれが私の通常モードなんだよなあ…だけどもう少し頻繁に友達と連絡をとらないとだめかなあ…」と煮え切らないままでいる。この事実がしんどい日がたくさんあるけど、平気な日も同じくらいある。いつか夫に理解してもらいたいけど、今はこのままでいいや。これが今の自分。


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