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社会的弱者とは誰が決めるのか。きっと、自分でも自分に近しい人でもなく、大きな社会だ


女性であることの不利益は
自分の力である程度なんとかできると思っていた。
でもなんとかできるのはほんのわずかな範囲だけ。
自分がどれほどあがいても信じても
社会はあまりに広い。

女性であることを言い訳にせず必死に働いて
男性に負けないように、遅れを取らないように
強くあり続けた。
女性だからという理由で仕事上の評価を下げられることなく
差別されることなく、
多少の気は遣われていただろうけど
なんとかやってこれた。
だけど、その会社を離れれば一人の女性。

結局、親の介護を引き受けるのは女性だ。
長女、娘、長男の嫁 etc…。
必死に働いてそれなりの地位についたとしても
親近者に何か起きればその多くを背負うことになる。
そして自分も、大きな疑問を持たず
そこに従っている。
その時点で、社会の波にのまれていたのだ。
知らず知らずのうちに社会的弱者になっていた。
自分は違うと、自分で決めた道なのだとそう思っていた。
ただあがていただけなのかもしれない。
それを決めるのは自分ではなかった。

むしろ認めたほうがよかった。
弱者であると主張すれば社会的な補償を受けられることも多い。
無関心でいると得られるものも得られない。
それが現実だった。

女性であることが弱者であるとは思わない。
必ず背負わなくてはいけないわけでもない。
ただ、社会や家族が同じ考えかどうかは別の話。
知らず知らずのうちに、女性だからという理由で
未来を決められたり、差別を受けたりしていることもある。
そして自分の意図しない方向に
意図しないタイミングで運ばれていくことがある。

その荒波にどうやって抗えばいいのか。
そしてそれが可能なのか。
それを決めるのはきっと、社会だ。

私ではなかった。

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