「ババァ!!」や「クソ親父!!」と罵っても
まっけいです。
最近受けたコーチングの中で「幼少期の親からの教育」が今大人になった僕らの「無意識の選択」に繋がっているということを学びました。
この辺りはまたコーチングの話を深掘りした記事の中で解説していこうと思うのですが
ここで思ったのが
僕の人生はとにかくvs親との戦いだったなと感じました。
反抗期の頃は当たり前のようにタイトル通りの言葉を日常会話で投げつけてましたし。
社会人になってからは
「とにかく多趣味に色んことに挑戦する」
「縛り付けられたくない」
「あんたらの思い通りにはなりたくない」
上記のことで実家暮らし中何度も何度も喧嘩しました。
飲みに出かけて話す友達にも「また親と喧嘩したの?」と毎回聞かれるくらい。
本当に呆れちゃうレベルでした。
しかしこれらは僕にとって必要なプロセスだったそうです。
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まず前提として
子どもは親に反抗を示すものなのです。それは親に似ない努力をするということ。
特に、思春期や社会人になり「時間」と「自由に使えるお金を手に入れた時」というのは、若者特有のファッションをしたり、髪を染めたり髭を伸ばしたりして「外見的に親に似ないように」努力をします。しかし、そんな涙ぐましい努力も実は遺伝子によって最初からインプットされていた機能で、親と違うように行動することで親にはない要素を獲得する狙いがあるそうです。
僕の父親は自動車メーカーの営業マンを30年続け49歳の歳に市議会議員へ立候補しました。母親は水泳のインストラクター・保育士・介護職員と転々としていましたが、二人とも人と常に関わってきた職種だったなと。それゆえに幼少期から人ととの話し方や人との接し方について厳しかったように思い出します。
その影響もあってか、僕は両親達と全く異なる工場での製造勤務を8年続けました。ただ、そこから転職した先は父親と同じ営業職。そして個人で行なっている事業は母親と同じ指導者。認めたくはないんですけど、二人の要素を併せ持って今の仕事を選択しているのは否定できないなと。
これに気付かされた時は納得とショックと半々でした。笑
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ただ間違いなく言えるのは二人のいいとこ取り+αにはなってきているなと。
今こうして趣味でnoteや小説などを書いていた部分が「父親とは違う部分」であり、父親の30歳の頃と僕の30歳の頃を比較しても「父親にはない要素を獲得した父親」のような感じになっています。
結局、自由意志だなんだといっても、生物が進化していく本来の仕組みの上でしかないのかなと面白くなりました。
世代交代をしつつ「基本的な要素」は親から受け継ぎながら
僕たちは新しいプログラムを取り入れてアップデートしていく。
なんかiPhoneのバージョンアップみたいですよね。
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