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間に合わなかったメロスのその後の話④


メロスの敗北 第4話(全6話)

●●●●4

とうとう明日だ。
メロスはきっと約束の刻限までに戻ってくる。そして人の真実の存するところを王に見せてくれるだろう。

そうして、 そうして……磔にされる。 私の友が、明日、死ぬ。
まさかこんな風に別れが来るとは夢にも思わなかった。

この二日間ひどく腹を立てたり疑心と恐怖に怯えたりと冷静に考える余裕がなかったが、今このときになってようやく、明日友を失うのだという事実が押し寄せてきて、自分がどのような心持ちでそれを受け止めればいいのかわからないこと、何の覚悟もないことに気づいた。

私は生きて彼と再会する、だがそれも束の間、すぐに別れのときがくる。そのとき私はどんな顔をしているだろう。
どんな言葉をかければいいのだろう。今から死にゆく友にいったい何がしてやれるだろうか。

友の死を、私は見るのか。友が磔にされる恐ろしい瞬間、そこにいなければならないのか。
私は正気でいられるだろうか。わからない。

メロス、君はどうなのだ。君はこれでよかったのか。死ぬことに本当に一片の後悔もないのか。君はそのときどんな顔をしているのだ。何を思うのだ。最後まで胸を張っていられるのか。君は死ぬ。本当に明日死ぬのだぞ。

今さらながらに、こんな理不尽はないと思った。
メロスは本当に死ななければならないのか。まことの信頼を王に証明してもなお、死ななければならないのか。
そんな馬鹿なことはない。いや、もしかしたら、王の心が変われば、あるいはメロスは死なずに済むかもしれない。
メロスが戻ったことで王の人間不信が解きほぐされたら、メロスに温情がかけられることはあり得えないだろうか。

だとしたら、私は友の成り行きを黙ってみている場合ではない。
私からもメロスを許してほしいと必死で王に訴えねば。
そうだ、もしかしたら、あるいは、メロスは助かるかもしれない。

胸の鼓動が強くなった。わずかな望みが生まれた。明日誰も死なずに済んだら。明日奇跡が起きたら。

そこまで考えたところで、看守が小声で話しかけてきた。

「こっちにこい」
牢の外から手招きしている。何か私に耳打ちするつもりらしい。私は近づき、格子に耳を近づけた。

「もうよせ、これ以上気丈に振る舞っても無駄だ。今からでも遅くない。お前だけでも王に命乞いをしろ。あの男は卑怯な嘘つきで、もはや友人でもなんでもないと、貶めてみせるのだ。あるいは、王の気が変わるかもしれん」

それは先刻頭によぎったことだった。看守がそんなことを言いだすことに驚いたが、あいにく今の私はもうそんな気はない。
「メロスは必ず戻ってくる。私は友を売ったりはしない」

そこで看守ははっきりと告げた。

「聞け。メロスはシラクスに戻らない。途中で、私たちが殺すからだ」

私は息が止まりそうになった。
「どういうことだ、なぜ」

「お前の態度が、あの男が嘘つきでないと証明してしまった。王はそれが我慢ならない。あの男は殺される。私を含めた5人でやる。夜明けと共にここを出てシラクス手前の峠で待ち伏せる。あの男が現れたら山賊を装って襲い、殺す手はずだ。先刻そのように命じられた」

気が遠くなるようだった。いったい、なんという邪智暴虐だ、これではもはや道理も何もあったものではない。
今さっきまで都合の良いことを考えていた自分を呪いたくなった。明日にならずとも、結末は決まっていたというのか。

「ひどすぎる。結局私達は二人とも殺されるしかないということか。そなたはなぜ今そんなことを私に言えるのだ」

「それだから、いちかばちか、命乞いをしろと言っているのだ。もうあの男は助からない。命じられた以上、殺すしかない。だができるだけ苦しまないようにしてやる。今ここに他の囚人はいない、お前と私だけだ。こんな好機はない、だから打ち明けている。お前はあの男と違い、巻き込まれただけの身だ。ほとんど望みはないかもしれないが、やらないよりはいい。態度次第では、万に一つ、命を拾えるかもしれない。私にしてやれるのはこれくらいだ、これがせめてもの情けだ」

私は看守にすがりつき、ほとんど泣きそうになりながら必死に懇願した。

「お願いだ、どうか、どうかメロスを殺さないでくれ」
「聞けぬ願いだ。王の命令だぞ、背けば私達が殺される」
「これではただの犬死にだ。私達は一体何のために信じあってきたのだ」
「諦めろ。できるのはお前が命乞いを試すことだけだ」
「何が命乞いだ。私の無二の友だぞ、ずっと必死で友の名誉を守ってきたのに、いまさら裏切るなど、死んだほうがましだ。私の気持ちが分からないか、そなたに守る友はいないのか」
「いたからこそ言っているのだ!」

看守はぴしゃりと遮った。静かだが凄みを帯びた声だった。

「犬死にだよ。メロスとやらが犬死になら、私の友もこれ以上ないくらいに犬死にだ。知っているであろう。長年王に尽くし功績をあげ、王の側に賢臣アレキスありと言われていた、あのアレキスだ。私の一番の友だった。王の振る舞いに怯え心を痛める皇后様を密かに影で支えて、幾度も相談を受けていた。それに気づいた王が皇后様共々、処刑したのだ。処刑理由はなんだと思う。不貞と、反逆を企てたことだ。アレキスを知るものなら誰もが無実だと知っている。知らないのは王だけだ。尽くした君主の手で殺される、これが犬死にでなければなんだ。アレキスが反逆者なら、もうこのシラクスの誰もかもが反逆者だ」

私は返す言葉がなかった。

「だがよいか、名誉の死であれ犬死にであれ、死は死だ。名誉のため、信頼のため、そんな理由で意地を張っても、ひとたび殺されてしまえば、残るのは残されたものの苦しみ、それだけだ。セリヌンティウス、お前は義理や名誉のためにあの愛弟子を独りにするのか。お前はまだ死んでいない。望みがなくとも、屈辱に身を焼いても、生き延びることだけを考えろ」

私は格子越しに看守の服を掴んだまま、泣いていた。看守は辛そうに顔を背けた。

「メロスだって、同じだ」私はしゃくりあげながら言葉を絞りだした。

「もうしばらくで見張りを交代する。私にできるのはここまでだ。あとはもうお前しだいだ」

「メロスだって、まだ死んでいない。まだ生きているんだ、そなたに殺されない限り」

そう、生きている。殺されない限り。 --殺されない限り。

私は涙を拭った。

「そなたはたしか二日前、私を連行しに家にきた連中の一人だったな、名前を教えてはくれぬか」

「ネストルだが、何の話だ」
「ネストル、頼みがある。いま私の家に弟子のフィロストラトスがいる。このあと行って、これから話すことを残らず伝えてほしい」

「何を言っている。なぜ私がお前の頼みを聞いてやらなければならない」
「私に情けをかけたいのなら、どうか私の頼みを聞いてくれ。メロスを助けるためだ」
「助けられない。待ち伏せて襲うといったはずだ」
「襲ってもいい。ただし殺さないでくれ。倒れて気を失うか、動けなくなるまで痛めつけて、シラクスまで行けないようにしてほしい」

「だめだ、手心を加えている余裕はない。あの男も決死の覚悟であろう。もし失敗すれば私達が罪に問われる」
「そなたの言う通りだ、手加減は要らない。ひどい怪我を負うかもしれないし、約束の日没に間に合わないとなったらメロスは正気でいられないだろう。だがそれでも死なせないでほしい」

「あの男は、生きて身体が動く限り、何日過ぎても、たとえ這ってでもシラクスへ戻るのを諦めないのではないか」
「そのために弟子のフィロストラトスを迎えにやる。日没を過ぎた後は介抱が必要だし、私の遺言を伝えて、故郷に帰ってもらう。
弟子を見つけたら、メロスが倒れてる場所を教えてやってくれ。メロスがシラクスに現れなければ、王はメロスの生死が判らない。王を満足させるために本当に殺す必要はない。日没前にそなた達はシラクスに戻り、王には命令通り殺したと伝えればいい。」

「お前は、どうなるのだ」
「私は死ぬ。それでそなた達に対価を支払おう。私の財産のすべてだ。私の家に行ったとき、金目の物は全て持っていくがいい。危険を侵す値打ちのある額だ。そなたの仲間と山分けするといい。それで何とか仲間にも協力してもらってくれ。フィロストラトスが驚くといけないから、まず前もって私の計画を丁重に伝えてくれ。とにかく今は言うとおりに、そして誰にも言うなと」

ネストルは、突然私が吹っ切れたことに困惑していた。

「お前は、恐怖で気が触れたのか。なぜお前はそんなに平然としていられるのだ。お前も死ぬのだぞ。お前はあの男の身を案じてばかりいるが、先程から一度たりと自分の命の心配をしていない。私にはお前までもがあの男に見えてきた。なぜ突然あっさりと自分の命を投げ出すのだ。正気とは思えない」

「そうだ、私はいま正気じゃない。そなたの言う通り、気が触れたか、あるいは親友の馬鹿がうつったかだ。だが何故だろう、とても清々しい気持ちだ。生きるか死ぬか分からなかったときは恐ろしくて仕方がなかったのに、いったん死ぬことを受け入れてしまったら存外、怖くなくなった。

 メロスも、こんな気持ちでいたのかもしれぬな。ここに来てからの2日間、私は心がめちゃくちゃに引き裂かれたようで、まるで生きている心地がしなかった。だがネストル、そなたの話を聞いて、ふいに自分のやるべきことが閃いた。
メロスを、生かすことだ。恥晒し者になるのは辛かろうが、それでもメロスには生きていてほしい。

 私は石工としてこのシラクスでそれなりに認められていた。石工仲間も大勢いるし、今は弟子を取るまでになっていた。
この誇らしい暮らしと仕事を続けたいがために、シラクスの住人でありながら、この街で起きていることから目を背けた。
王が無実の者を次々と手にかけていくのを見ていながら、恐ろしくて何もできなかった。いや、何もしなかったのだ。
だがメロスは、ここで暮らす私が逃げていたものから逃げなかった。この街の住人でも何でもないメロスだけが、この街の住人を救おうとした。そんな男がむざむざ死んでいいわけがない。死ぬべきはこの私だ。ここで自分を偽って生きてきた私だ。

 この上メロスの代わりに生き延びても、私はメロスの親友を名乗る資格がない。だからこれはメロスのためだけでなく、私のためなのだ。私が私であるための決断なのだ。私は自分で自分の死に方を決める。ただわけも分からず殺されるのでなく、自分で腹をくくって死にたい。

 だからネストル、厄介事を押し付けて申し訳ないが、どうか私の最後の頼みを聞いてくれ。私の命に免じて、この通りだ」

ネストルはもうそれ以上異を唱えることはなかった。
「お前の名は、セリヌンティウスだったな。お前の頼みを聞こう。できるだけのことはしてやる。ただし全てうまくいく保証はない。他の者がどこまで従うかも分からぬ。それでもよいか」
「ああ、それでかまわない」

「セリヌンティウス、明日、もう一度お前の弟子をここに来させる。死ぬ前にきちんとお前の口からすべてを伝えろ。
何より最期の別れを告げる時間が必要だろう。交代の看守には、別れが済むまでの間は二人だけになれるよう、特別に取り計らってやる。あの若い弟子がろくに血の通った別れもできぬまま遺されるのは不憫でならぬ。最期くらい大事にしてやれ」

友を殺すはずだった男が、いまや私の弟子のことまで案じてくれている。

「ネストル、何から何まで、お礼の言葉もない」
「乗りかかった船だ。気にするな」

「亡くなった友のこと、話してくれてありがとう。そなたも辛かったであろう」

ネストルは少しだけ黙った後「じき、私の番もくるだろう」と言った。

外の扉が開く音が聞こえた。

「交代の時間だ。これでお別れだ、セリヌンティウス」
「感謝する。さようなら、ネストル」

直後、ネストルはただの看守に戻った。
入ってきた交代の男に見張りを引き継ぐと、私の目をちらと見て、そのまま出ていった。

私は牢の奥で身体を横たえると目を閉じた。フィロストラトスへの遺言を考えているうちに眠っていた。三日ぶりの安眠だった。

翌日、はたしてフィロストラトスは私のもとにやってきた。
看守はフィロストラトスが何も身につけていないことを確かめると、「扉の外で待つ。終わったら呼びにこい、あまり長くなるな」と告げて出ていった。

私は心のなかでネストルに感謝した。

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