書くことと、伝えることのジレンマ
最近、noteの更新がかなり滞っている。
筆不精と言えばそれまでなんだけど。
何だか自分の中で変なプレッシャーや義務感がある。
書きたい気持ちと、記事にしたい気持ちが噛み合わなくなってるみたいだ。
そのせいか、書こうとしても「あれ?書きたいのに言葉が浮かばない…」という状態になってしまう。
あれこれ走り書きのメモやプロット的なものを作り溜めてはそのまま放置することを繰り返している。
おかしいな。
書きたくて始めたのに。
伝えたくて始めたのに。
感情が上手く文字に乗らない。
この停滞状態を何とかしたい。
私は以前、オリジナルドメインとレンタルサーバーでWordPressブログを開設したものの、ほどなく続けるのが嫌になり、放ったらかしのまま1年間サーバー代だけを払って閉鎖するという、情けない過去がある。
あんなに入念に下調べしてサーバー選びとか散々迷いに迷ってやっと開設までこぎ着けたのに。
膨大な時間と、2万円くらいのお金をかけたが、ぜんぶムダにしてしまった。
あの時は仕事が続かず辞めてしまった直後だった。
「もう私は普通に働くことなんかできない、ブログで食べていくしかない。そのためには、大手のブログサービスでは先々どうなるか判らないし、尖った記事を書いたらいきなり消されるかもしれない、自分の記事を長期的に資産化するにはSEOやアドセンスのことを考えてWordPressで記事を書くんだetc…」などと意気込んでた。
自分の不器用さが嫌になりながらどうにか開設までいったものの、細かい設定やらプラグインやら、記事を書く以外にもちゃんとした集客のためにしなければならないことが山ほどあった。
手探りで記事を書き、できるだけ見栄えするように体裁を整えても、やっとの思いで投稿してみれば、それは太平洋のど真ん中で小石を投じるがごとく(笑)。
当然のように誰の目にも留まらなくて(本当に当然なんだけど)、まったく手応えを感じられない。
記事のテーマが悪いのか?
タイトルが悪いのか?
最初は伸びなくて当然にしても、こんな遅筆の私がこのペースのまま続けて、一定の成果に結びつくだろうか?
書きたいことがなかったわけじゃない。
せっかく開設したし、サーバー代ももったいないし、書かなきゃ。
でもお金に繋がるような「価値のある記事」を書こうと思うと、義務感に縛られてますます筆が重くなる。
そうしているうちに、ひと月書かなくなり、ふた月書かなくなり。
何ならWordPressのダッシュボードを開くのも億劫になり、そのままフェードアウトしてしまった。
それからだいぶ経って、無料のサービスでいい、別にお金にならなくてもいい(なったらいいなとは思うが)、
何のプレッシャーもなく、ただ自分の気持ちのまま、書きたいことを書きたいときに書きたい。
それを外の世界にアウトプットしたい。
それがほんの少しでも誰かの目に留まればいい。
そう思ってnoteを始めたのだった。
だからこの活動が重荷になったり億劫に感じることはないはずなのに、私はまたもや縛られている。
たぶん私は人の目を意識し過ぎなんだと思う。それが書くことのブレーキになっている。
読んでくれる人にガッカリされるのが怖い。
あと文章そのものに拘りすぎてる。
長文で推敲を重ねた完璧なものを作ろうとする。それか140字程度のごく短いつぶやきか。
どっちかしか選択肢がなくなっている。
日記感覚で思いつくままに書いたものを人に見せるのが嫌なのだ。
それは私自身の文章へのこだわりもある。
(自分が出来てるかどうかは別にしても)
いい文章に触れると感銘を受けるし、自分もそういう文が書きたいと思う。
でもそのための推敲作業はやりだすとゴールが見えないからけっこう骨が折れる。
嫌ではないけど、とにかく時間がかかるし疲れる。
一カ所書き換えたら、そこに繋がる他の箇所も直したり、
そうしてる内に微妙に文脈がおかしくなって、結果的に全体を見直さなきゃいけなくなったり。
やってるうちに記事の核心部分を見失うこともある。
あれ?なんでこんな冗長な文になってるんだろ?
私はそもそも何を言いたかったんだっけ?
本当に言いたいこと、伝えたいことって、もっとシンプルだったはず。
まとっていた言葉をどんどん剥がしていったら見えてくるもの。
最後に残るもの。
それって言葉じゃなく感情だったりする。
この記事でいうと本当に伝えたいのは、「もっと豊かに、もっと自由に、自分を表現できるようになりたい」といった感情の部分。
感情をそのまま言葉にする、それ自体は難しくない。
自分のスマホのメモ帳の中で構成なんて何も考えず、
めちゃくちゃな文になっても気にせずに思いつくままに頭に浮かんだことを吐き出してるとき、
そういうときは苦もなく感情が言葉に変換される。
実際私は毎日スマホのメモ帳でそういう雑記みたいなものを大量に書き出している。
そういうときは、心と頭と手がダイレクトに繋がっていて、それらが高速で回転していて、20分程度でも1000文字くらい書いたりしている。
インスピレーションが降りてる時だから、苦にならない。というか止まらない。
数時間かけてこの文章を書いてる時とはえらい違いだ。
言いたいことは明確にある。でもその本質は感情だから、それをそのまま文にしても読む人には中々伝わらない。
そのために言葉を肉付けしていくのだが、それはインスピレーションで書くのとは近いようでいて別の領域だ。
誰かに伝えるために文章を組み上げていくのは作業的な部分も多く、それは往々にしてインスピレーションや心の回転を鈍らせる。
そこがもどかしい。
文章を書くことの本質は私が一心不乱にスマホにメモ書きしてる瞬間にあると思うんだけど、それは他人に伝わるものじゃないから。
自分の中だけならちゃんと分かっている感情を、他人にわかる文にして伝えること。
そのハードルが変に上がってしまってる。
本当なら気負わなくていいはずだったnoteを「困難なミッション」にしてしまってる。
何をやっても力が入りすぎてしまい、消耗したり、無精になったりするのは私の悪い癖だ。
もっといい加減でもいいのかもしれない。
推敲を重ねた文章も、練りに練った文章も読む人にとっては大した意味はないのかもしれないし。
それはそうと、こんな私をフォローしてくれる人が少数だけどいる。
さらに少数だけど、スキをもらえる。
とても嬉しい。
たとえ「ふーん、まー悪くないね」くらいのスキだとしても。
もしフォロワーもスキも0なら、開き直って自分の感情を吐き出すだけの独りよがりな記事を乱造してたかもしれない。
私はもっと気軽に、できることならもう少し速いペースで記事をあげていきたい。
でもフォローしてくれる人たちを意識すればこそ、少しでも伝わるものが書きたい。
心の琴線に触れるものが書きたい。
でも自分の書いたものの中で、何が読んでくれる人の心に届いているのだろう。
4000字を超える自分にとって渾身の記事よりも、140字のつぶやきのほうが多くスキがついたりする。
わからないものだ。
自分と他人の価値観は違うのだと、当たり前のことを改めて感じる。
粉骨砕身して作ったものが人の心を打つとは限らない。
顔も見えない読む人がどう感じてるのかも分からない。
思いを綴るってなんて不確かで、コスパの悪いことだろう。
それでも私は書いている。
私は書いて、吐き出さないと、前に進めない人間だ。
今の自分の課題に明快な解決策はない。
時間がかかってもとにかく書いて、少しでも外に出すしかない。
質も大事。量も大事。
そう思って書いてみたけど、やっぱりまとまりのない変な文になってしまった。