素直さと健やかさを取り戻して/軽井沢・江ノ島
春本番といっていいくらい暖かくなった頃から、うまく笑えなくなっているように感じていた。
誰にも何も言われないから、自分にしかわからない、肌の調子のわるさとか喉の違和感みたいな類いのものだったんだろう。
わたしの不調は、本を読んだり文章を書いたりできなくなるからすぐわかる。何かを受け入れたり考えたりできる余白がなくなってしまうのだと思う。
原因は結局いまいちわからなかったけれど、連休でしっかり休むただそれだけで、じんわりとかつしっかりと、怠さは抜けていった。職場からちゃんと離れると体調がよくなる(というよりふつうに戻る)のだと実感してしまって、なんだか複雑で悲しくなってしまった。
そういう理由で、noteを続けたいと思いつつなかなか書けないでいた。今こうして書けているのは、紛れもなく回復の兆しだ。
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先日、梅雨の真っ只中に誕生日を迎えた。
尊敬しているライターの夏生さえりさんが、年始ではなく誕生日ごとに抱負を決めているらしく、今年はわたしもと決めていた。
誕生日もあと数日というところで、すっと思い浮かんだ抱負は
「生まれたての素直さと健やかさを取り戻す」
自分の変化も周りの変化も、戸惑いながらそっと受け入れ抱えてきたこの数年。大切な存在が増えた友人もいた。
笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣き、食べたい時に食べ、眠りたい時に眠る。いとしい天使たちのそんなふつうの営みが、わたしには驚くほど新鮮に映っていた。
いつのまにか悲しくても笑えるようになっていたし、適当に適切にごまかせるようにだってなってしまっていた。それがここまでくるために必要な過程だったのだとしても、大事なものまで削ぎ落としてしまったのかもしれないと、そう思わざるを得なかった。
周りの人の期待に応えることで自己肯定感を育んできたわたしにとって、"ほんとう"の自分の気持ちを見つめ汲み取ることは容易くない。誰でもない自分自身に、正直に、素直に向き合うのは、言葉で表現するよりずっとずっと難しいことだ。
それに、看護師として心身ともに健やかに日々を過ごしていくことも、わたしにとっては簡単ではないのだと知ってしまった。
闘病する方々との関わりにうまく折り合いをつけられれば、過酷な仕事に耐えられる強靭な精神と身体があれば、これからの看護師としての明確なビジョンがあれば、コロナなど流行らず精神的に限界に達しなければ。
そうすれば今の職場から離れないという選択肢を取れたかもしれない、そんなたらればが頭の中を占めたこともあった。
それでも、あしたあさってではなく、もっとはるか遠い未来を見つめてみたときに、自分の今の選択は間違っていないと心から思えている。だからあとは、これからの自分がこの選択を正解にするだけ。
漠然とした不安や孤独に襲われるから、退職後のことを考え続けていたのだけれど、正直日々乗り切るのに精一杯な自分がいて。肩の力が抜けたような自然な状態のわたしでないと、これから自分がどう生きていきたいのかなどわからない気がしている。
私たちはいつでも、過去を悔やんだり、まだ来てもいない未来を思い悩んでいる。どんなに悩んだところで、所詮、過ぎ去ってしまった日々へ駆け戻ることも、未来に先まわりして準備することも決してできないのに。
・・・
過去も未来もなく、ただこの一瞬に没頭できた時、人間は自分がさえぎるもののない自由の中で生きていることに気づくのだ。
—『日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ―』/森下典子
過去でもなく未来でもなく、お世話になった職場、看護師というやりがい溢れる尊い仕事をしている今このときを、精一杯やりきること。それがきっと、わたしが退職までにできることだ。
27歳は、わたしの人生におけるひとつの節目になるだろうとすでに確信している。まだぼやっとしか見えない未来も、いくらだって今のわたしが選び掴んでいくことができる。そう思えばこんなに楽しみなことはないはずだから。
不安は常に付き纏うけれど、それでも今このときのわたしに素直になって、心身ともに健やかに過ごしていけますよう。