見てくれている人と自分自身を信じたい/逗子・葉山
先日、退職したいと師長に伝えた。
3月で退職した先輩に事前に聞いていた内容から、考えられるあらゆる反応を想像していった。8割はネガティブなものを。いや、ほとんど全てだったかもしれない。
ただでさえ深刻な人手不足なのに、これから産休に入るスタッフもいるし、職員が減るというそれだけでもいい顔をされるわけがない、そう思っていた。自分では納得のいく結論に至っていたけれど、あらゆる理由をつけて引き留められ、辞められないかもしれないとまで考えていた。
わたしは傷つきたくなかった。だから、長く続けている人には辞めていく人の気持ちなど本当の意味では理解できないのだと決めつけることで、心にバリアを張って挑むよりほかなかった。
全力で戦闘態勢をとるわたしに反し、師長の反応は意外なものだった。嫌な顔などひとつもせず、たどたどしいわたしの言葉にじっと耳を傾けてくれた。
「これからの人生がよりよいものになるように応援していますよ」
最終的に、師長としてだけでなくわたし個人の思いとして、と前置きをしてからくれた言葉。
ほとんど泣きそうだった。とにかく嬉しかった。そして言われてから、もしかしたら分かってくれるかもしれないと微塵も予想していなかった自分に驚いた。
わたしはいつから、見てくれている人のことを信じられなくなっていたのだろう。
それに、今まで自分なりに真摯に仕事と向き合おうとしてきたわたし自身のことも。
師長が本当の本当は何を思っていたのかわたしには図れなかったが、それが心からの言葉かどうかぐらいわたしにもわかる。少しでもこれまでの働きを思い返してのことだったとしたら、これほど報われることはない。
1人になった帰り道、安堵と喜びがじわじわ沁みて、一気に全身のこわばりが解けていった。
敵は自分で作り上げていただけだったし、案外周りは味方だらけなのかもしれない。迷いながらも日々を積み重ねてきた自分と、それを見てくれている人たちのことを、ちゃんと信じられるようになりたい、と強く思った。
これまでは自分を守るために鎧をまとうこともあったけれど、これからはそんなもの必要とせず、もっと身軽にかろやかに、生きてはいけないだろうか。
少し前まで、自分は看護師としてどう成長したいのだろうと悩んでいたし、同期の中で誰よりも長く続けているだろうという確信もあった。少し前まで、がんばろうと自分を鼓舞し奮い立たせて働いていたのに、今はすっぱりと新しい道に進もうとしている。
幾度となく未来というものを思い描いてきたけれど、人生で思い通りになったことなど案外少ないのかもしれない。でもそれでも今、納得できているからそれでいいのだ、きっと。
私も、自分で思い描いた未来を歩くために、もがいていた。自分で決めたはずなのに、その道を歩くのが困難だった。でも、描いていた道を降りてから、見つけたものはたくさんある。
ー春、戻る/瀬尾まいこ
不安もつきまとうけれど、焦ってもいいことがないことは身をもって学んだし、退職してどんな景色が広がるのか、今はちょっとだけ楽しみだ。
自分の心が喜ぶ方へ向かって流れに身を任せていけば、たどり着いた先もきっとわるくない。むしろ目指していたのはここだったと驚くようなことだってあるかもしれないのだ。
自分にとって重大な一仕事を終え、また海に来てしまった。
今は東京という場所と現実から逃げるように訪れているけれど、仕事をやり切って解放されたあとのわたしにとって、東京とは、暮らしたい土地とは、どんなものなのだろうかと考えている。今はまだ都心を離れることの方が非日常だから、これが日常になることを本当に望んでいるのかは、退職後に見極めなければならないなと思っている。
あなたにとっての心地よい暮らしとは?
『旅好きであったわたしにとって意外だったのですが、「ここではないどこかへ行きたい」という心を持ち続けることは、時として心労になることを移住を経験して知りました』
ー&premium〈心地のいい暮らし、を考えてみた〉根本きこさんへのインタビューより
わたしもずっと持ち続けている「ここではないどこかへ行きたい」という思いが、退職後にどう変化するのかも気になることのひとつだ。
なぜこんなにも海に惹かれるのかわからないけれど、心ときめくものなんてほとんどが"なんとなく"だろうし、そういう"なんだか心地いい"感覚を大事に、ゆるやかにしなやかに生きていけたらいい。
春の日差しをたっぷり反射して、眩しいほどにきらめく海を眺めながら、思う存分物思いにふける。久しぶりの心穏やかな週末だった。